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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
II「縁糸と秘密」

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第四十二話「帳簿に書かれていること」


 クロードが3日後にまた来た。


 「近いうちに」が3日。前回は2週間だった。間隔が短くなっている。


 (追い込みに入ったか)


 馬車から降りてきたクロードは、今回も穏やかに笑っていた。しかし帳簿が2冊になっていた。


「ランベルト殿。立て続けで申し訳ありません」


「構わない」


「前回の調査で、いくつか追加で確認したいことがありまして」


「どうぞ」


 お茶を入れた。3人分。フィオナの分も。


 フィオナが離れから出てきた。クロードを見た。


「また来たんですか」


「また来たよ」


「先輩、うちの常連になりつつありますね」


「自覚はある」


 フィオナはお茶を受け取って、クロードの正面に座った。


 前回は横だった。今回は正面。


 (……フィオナが、俺とクロードの間に座った。無意識か。あるいは意識的か)



 *



 クロードが帳簿を開いた。


「前回の続きです。農産物の出荷ルートについて、南の中継街を経由していると伺いました」


「ああ」


「中継街の商人に確認したところ、ヴェルツ家の大根は『変わった品種で、味が良い』という評判でした」


「ありがたい話だ」


「しかし、出荷量は控えめですね。もっと増やせるのでは」


「畑の規模に限りがある。無理に増やすと質が落ちる」


「なるほど。品質管理の概念をお持ちなんですね」


 (品質管理の概念)


 (前世の営業マンの語彙が、この世界では「辺境貴族が持つはずのない知識」になる)


「常識だ」


「いいえ。常識ではありません。この地域の農家で品質を意識している方は、ほとんどいません」


 クロードが帳簿のページをめくった。


 そのとき、風が吹いた。窓からの風で、帳簿のページが2枚ほど捲れた。


 見えた。


 一瞬だけ、見えた。


 帳簿のページに、文字が並んでいた。項目が整理されていた。


 「ランベルト・ヴェルツ」という見出しの下に、箇条書きが並んでいた。


 読めたのは3行だけだった。


 「農業知識:辺境貴族の範囲を超越。輪作・品質管理・相場予測」


 「料理技術:独学との申告。しかし体系的。味の構造が王都の一流料理人に匹敵」


 「対人技術:貴族の礼儀とは異なる。商人の交渉術に近い。訓練された笑顔」


 クロードがページを押さえた。風が止まった。


 (見えた。帳簿に、俺のデータが書かれていた)


 (この男は、俺を分析した結果を帳簿に記録していた)


 顔に出さなかった。営業スマイルを維持した。


 しかし、背筋が冷えた。


 「訓練された笑顔」。クロードは俺の営業スマイルを、そう分析していた。



 *



 昼飯を作った。


 今日は干し肉と根菜の煮込み。フィオナが味付けを担当した。


 3人で食べた。


 クロードは今日、味の分析をしなかった。普通に食べた。


 それが逆に不気味だった。


「美味しいですね」


「ありがとう」


「フィオナ、味付けが上手になったね」


「ありがとうございます」


「……ランベルト殿に教わったのかい」


「はい。最初は全然ダメだったんですけど」


「今はもう、一人でもできるんじゃないか」


「一人でもできますけど、一人じゃ作らないですよ」


「なぜ」


「一人で作ると味が変わるんです。二人で作ったほうが、この味になるので」


 クロードが俺を見た。


 穏やかな笑みの奥で、何かを確認した目だった。


「……なるほど」


 (今日最初の「なるほど」。ただし、今日の「なるほど」は質が違う。納得の色がある)


 (この男は、フィオナの言葉で何かを確認した)



 *



 食後、フィオナが食器を洗いに行った。


 居間に俺とクロードが2人きりになった。


 クロードが帳簿を閉じた。


「ランベルト殿」


「何だ」


「少し、真面目な話をしてもよろしいですか」


「……どうぞ」


 クロードの営業スマイルが消えた。初めてだった。


 表情が変わったのではない。笑みの質が変わった。営業スマイルではなく、本物の笑みに近いものが残った。


「私は商人です。商売の基本は、人を見ることです」


「ああ」


「人を見て、その人が何を考えているか。何を隠しているか。何を本当に望んでいるか。それを読み取って、適切な提案をする」


「……営業と同じだ」


「営業」


 (しまった)


 「営業」という言葉が出た。この世界にない概念だ。


「……商いのことだ。同じようなものだ」


「そうですか。面白い言い回しですね。営業」


 クロードは「営業」を復唱した。帳簿に書き加えた。


 (書かれた。「営業」という単語を記録された)


「ランベルト殿。私はこの半年、いくつかの気になることを溜めてきました」


「気になること」


「はい。あなたの料理の技術。農業の知識。市場への理解。対人技術。全て、辺境の没落貴族が持つべきものの範囲を大きく超えています」


「……」


「しかも、それらは『最近身につけた』ものではない。最初からお持ちだった。フィオナがそう言っています。『最初から変な人でした』と」


 (フィオナの言葉が引用された。前回の会話をフィオナから聞いたのか。あるいは、フィオナが自分からクロードに話したのか)


「何が聞きたい」


「一つだけ。今日はまだ聞きません。しかし、次にお会いしたとき、一つだけ聞かせてください」


「……何を」


 クロードは立ち上がった。帳簿を抱えた。


「あなたは何者ですか」


 それだけ言って、穏やかに笑った。


「今日はありがとうございました。また伺います」


 (……予告された)


 (「あなたは何者ですか」を、次回聞くと予告された)


 クロードは馬車に乗って帰った。


 フィオナが台所から出てきた。


「帰りました?」


「ああ」


「なんか顔色悪いですよ。何か言われました?」


「……少し、重い話をした」


「クロード先輩って、穏やかそうに見えて、たまにすごいこと言いますよね」


「ああ」


「何言われたんですか」


「……次に会ったとき、質問があると」


「質問? 何の」


「俺が何者か、と」


 フィオナが止まった。


「……それ、私もずっと気になってたやつですけど」


「ああ」


「私より先に聞くんですか、あの人」


「……聞くと、予告された」


「予告。なんかずるいですね。私は待ってるのに」


 (ずるい。フィオナが「ずるい」と言った)


「……お前には、いつか話す。約束した」


「しましたね。約束」


「クロードには、話すつもりはない」


「本当ですか」


「本当だ。……少なくとも、今は」


 フィオナは腕を組んだ。


「じゃあ、次にクロード先輩が来たとき、私もいますからね」


「いる必要はない」


「あります。あなた一人だと、あの人に押されますよ」


 (押される。確かに押される。クロードの分析力は、営業スマイルでは防げない)


「……助かる」


「5回目です」


「5回目」


「ありがとう、の5回目。……いえ、今回は『助かる』でしたね。新しいカウントにします」


 フィオナは離れに帰った。


 明かりが灯った。


 (「あなたは何者ですか」)


 (その質問に、どう答える)


 (転生者です、とは言えない。前世の営業マンです、とも言えない)


 (削除されたキャラクターです、とも)


 (しかし、何も答えなければ、クロードの疑念は深まるだけだ)


 (……答えを、考えなければならない)



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