第三十六話「名前が、流れていた」
朝、目が覚めたとき、まだ残っていた。
エンドロールの残像。縦に流れる文字列。名前。顔は思い出せないが、文字が流れていた記憶だけが、くっきりと残っていた。
(昨夜の夢は、ただの夢ではないかもしれない)
顔を洗いながら、記憶を辿った。
前世。麻衣のアパート。夜。テレビの前。麻衣がコントローラーを握っていた。俺はその隣で缶ビールを飲んでいた。
(あの日、麻衣は何と言っていた。「最後のルートだよ」と。つまり全ルートクリアの最終周回だ)
エンドロールが流れた。
(思い出せ。何が流れていた)
フィオナの名前はあった。主人公だから当然だ。
攻略対象の名前。レオン。シャール。クロード。ファイン。4人とも流れていた。たぶん。記憶が曖昧だが、主要キャラの名前は全部あったはずだ。
(では、ランベルト・ヴェルツは)
思い出せなかった。
*
朝飯を作った。
フィオナと2人で台所に立った。昨日の炊き合わせの残りを温め直しながら、汁物を新しく作った。
「今日は目の下にクマありますよ」
「……夜更かしした」
「また本ですか」
「いや。……夢を見た」
「夢?」
「ああ。昔の夢だ」
「どんな夢ですか」
「……文字が流れる夢だ」
「文字が流れる。怖い夢ですか」
「怖くはない。しかし、気になる夢だった」
フィオナは首を傾げた。
「気になる夢って、大体見たいものが見られなかった夢ですよね」
(見たいものが見られなかった)
(確かにそうだ。エンドロールに俺の名前があったかどうか。見たかったのに見られなかった)
「……そうかもしれない」
「また見られるといいですね。夢は待ってれば戻ってきますよ」
「そうだな」
汁物を器に盛った。2人分。
食べながら、フィオナを見た。
フィオナは普通に食べていた。汁物を一口飲んで「うん」と頷いて、また一口。
(この女は、ゲームの世界の住人だ)
(フィオナ・リースフェルト。ゲーム『Eternal Crown』のヒロイン。エンドロールに名前が流れるキャラクター)
(俺はランベルト・ヴェルツ。台詞が3行の当て馬。エンドロールに名前が流れたかどうか、覚えていないキャラクター)
(……3行)
不意に、記憶が鮮明になった。
麻衣の声が蘇った。
「このキャラ、台詞3行しかないんだよ。かわいそう」
麻衣が画面を指して笑っていた。ランベルト・ヴェルツが一瞬だけ画面に映って、すぐに退場した。台詞は確かに少なかった。3行かどうかは正確に覚えていないが、極端に少なかったのは間違いない。
(台詞が極端に少ないキャラクター。出番もほとんどなかった。背景のようなキャラだった)
(そんなキャラがエンドロールに載るか)
普通、載る。どんなに端役でも、名前のあるキャラクターはエンドロールに記載される。ゲームの仕様として。
しかし。
(覚えていない。名前があったかどうか、覚えていない)
「覚えていない」と「なかった」は違う。1周しかプレイしていない。エンドロールを注意深く見ていたわけでもない。見落としただけかもしれない。
(考えすぎだ。飯を食え)
汁物を飲み干した。
*
午後、丘に行った。
フィオナが修行を始めた。光が安定して放たれる。
風が吹いた。
――聞こえた。
旋律。
4回目だ。
穏やかで、少し切ない。ゲームのフィールド曲に似ている。しかし完全には一致しない。
(また聞こえた)
フィオナの魔力が強まるのに連動して、旋律も大きくなった。目を閉じると、はっきり聞こえた。
(前に聞いたときより、鮮明だ。音が近い)
鮮明に聞こえた瞬間、記憶がフラッシュした。
モニター。麻衣の部屋。エンドロールが流れている。BGMが流れている。
(……このBGMだ)
今丘で聞こえている旋律と、エンドロールのBGMが重なった。
似ている。完全に同じではないが、構造が同じだ。メロディラインが共通している。
(エンドロールのBGM。ゲームのエンドロールで流れていた曲と、この丘で聞こえる曲が似ている)
(偶然か)
フィオナが魔力を止めた。旋律が消えた。
「今日も良かった」
「ありがとうございます」
フィオナが隣に座った。いつもの距離。1メートルもない。
「ランベルトさん、今日もぼーっとしてましたね」
「……していない」
「してました。目つむってましたよ」
「……光が眩しかった」
「私の光が眩しい? いつも普通に見てるのに」
「今日は特に強かった」
「嘘ですよね」
「……嘘ではない。半分は本当だ」
「半分。じゃあ残り半分は」
「……また、音が聞こえた」
フィオナの目が少し大きくなった。
「前に丘で聞いたやつですか。風じゃないやつ」
「ああ。同じ旋律だ。今日は前より鮮明に聞こえた」
「私には聞こえないんですよね」
「聞こえないだろうな」
フィオナは少し考えた。
「……それって、あなたにだけ聞こえる音なんですか」
「わからない。しかし、お前が魔力を使うときに連動して聞こえる」
「私の魔力と連動……」
フィオナは草を一本抜いて、指の間で回した。
「変ですね。あなたって、変なことばっかり起こりますよね」
「自覚はある」
「糸のことも、音のことも。全部あなたの周りで起きてるんですよ」
「……ああ」
「それって、あなたが特別ってことじゃないですか」
(特別)
(当て馬が特別であるはずがない。台詞3行のキャラクターが特別であるはずがない)
(しかし、エンドロールに名前がなかったとしたら。それは「端役すぎて省略された」のか、それとも別の理由なのか)
「……特別ではない。俺はただの端役だ」
「端役って何ですか。あなたがよく言うやつ」
「物語の脇にいるキャラクターのことだ」
「脇って、誰が決めたんですか」
(誰が決めた)
(ゲームの開発者が決めた。俺を当て馬に設定した誰かが)
「……わからない」
「わからないなら、まだ決まってないんじゃないですか」
フィオナは草を放り投げた。風に乗って飛んでいった。
丘を下りた。
(エンドロール。BGM。台詞3行。名前があったかなかったか)
(何かが繋がりそうで、繋がらない)
*
夜、書斎で紙を広げた。
覚えていることを書き出した。
ゲーム『Eternal Crown』。乙女ゲーム。攻略対象4人。ヒロインはフィオナ・リースフェルト。
ランベルト・ヴェルツ。当て馬ポジション。序盤で退場。台詞は極端に少ない。
麻衣が言っていたこと。「ヴェルツ家にはボツになった設定がある」。攻略wikiの未確認情報。
エンドロール。名前が流れていた。ランベルトの名前は……不明。
BGM。丘で聞こえる旋律。エンドロールのBGMに似ている。
(……ボツになった設定。エンドロールに名前がなかったかもしれないこと。BGMがエンドロールの曲に似ていること)
(これらは繋がるのか)
紙を見つめた。
営業マンの頭が動いた。断片的な情報を組み立てる。顧客の言葉の裏を読む。パターンを見つける。
(まだ足りない。情報が足りない。麻衣に聞きたい。しかし手紙は月1通。次に送れるのはまだ先だ)
(書いておこう。次の手紙に入れる質問を)
紙の隅に書いた。
「麻衣へ。質問。ゲームのエンドロールに、ランベルト・ヴェルツの名前はあったか」
ペンを置いた。
窓の外で、離れの明かりが灯っていた。
フィオナが起きている。
エンドロールにフィオナの名前は確実にあった。主人公だから。
俺の名前は、わからない。
(当て馬の名前は、エンドロールに載っていたか)
(載っていなかったとしたら、それは何を意味するのか)
明かりを見ていた。考え続けていた。
答えは出なかった。しかし、問いの形がはっきりした。




