第三十一話「お兄ちゃんへ、緊急です」
麻衣から手紙が届いた。7通目。
封筒が、今までと違った。
普段は上質な紙に、リリアの家紋入りの封蝋。今回は封蝋がなかった。紙も安い。急いで出したことがわかる。
そして、表書きに「緊急」と書いてあった。
麻衣が「緊急」という言葉を使ったのは、初めてだった。
「お兄ちゃんへ」
(お兄ちゃん)
麻衣が手紙で「お兄ちゃん」と書いたのは、初めてだった。いつもは「ランベルト様」だ。
(……よほど急いでいたのか。それとも、よほど重要な内容なのか)
「まず謝ります。この手紙はいつもの手順を経ず、信頼できる使用人に直接持たせて送りました。ファイン兄様が学術会議から戻られたため、通常の手紙経路は危険です」
(ファインが戻った。通常の経路は危険。麻衣は別ルートで手紙を出した)
「本題です」
「縁糸は本当にあります」
(……)
「お兄ちゃんの前回の手紙を受けて、私も王宮図書室で調べました。ヴェルツ家と縁の魔法に関する記録は、ほとんどが封印扱いでしたが、リリアの家名を使って一部にアクセスすることができました」
(麻衣が、リリアの家名で王宮の封印資料に)
「確認できたこと。ヴェルツ家は縁の魔法発祥に関わる最古の貴族家系。体質として縁糸が異常に育ちやすい。これはお兄ちゃんが見つけた本と一致しているはずです」
「そして、お兄ちゃん」
「お兄ちゃんとあの女の子の間にも、糸があります」
「見ました。私にも見えます」
手紙を持つ手が止まった。
(麻衣にも見える)
(リリアの体はこの世界の人間だ。縁の魔法の本にも書いてあった。この世に生きる者は、微かなる感応を持つ。麻衣はリリアの体を通して、うっすらと見えていたのか。王宮の資料で理論を学んで、それが鮮明になった)
「正確に言うと、前からうっすら見えていました。しかし確信がなかったので書きませんでした。今回、王宮の資料で縁視の原理を理解したことで、見え方が鮮明になりました」
「お兄ちゃんとフィオナ様の間の糸は、金色です」
「太いです」
「とても」
(とても)
「私が見た中で、これほど太い糸は他にありません。学園にいる生徒たちの間にも細い糸は見えますが、お兄ちゃんのとは比較になりません」
「金色の意味は、お兄ちゃんはもう知っていると思います。知らないならエマに聞いてください。知っているなら、認めてください」
(認めてください)
「お兄ちゃん。お願いだから認めてください。当て馬のふりをしている場合ではありません」
手紙の文字が少し乱れていた。麻衣の字は普段きれいだ。焦って書いたのだろう。
「以上が、糸の件です」
「追記。もう一つ重要な件があります」
「ファイン兄様の監視が、段階を上げました」
(ファインの監視が。段階を上げた)
「以前こちらを訪ねてこられた時点で、手紙の相手がお兄ちゃんだとご存知でした。しかし今回、内容に踏み込んできました」
「『リリア。お前は最近、誰と手紙のやりとりをしている』」
「笑顔で聞いてきました。目は笑っていませんでした。お兄ちゃんの表現を借りるなら、確認の目でした」
(ファインが、手紙の中身を探り始めた)
「私は『学園の友人です』と答えました。ファイン兄様は『そうか』と言って去りました。信じていません。確実に」
「手紙の頻度を下げる必要があります。しばらく月に1通が限度です」
(月に1通)
「今後はこの手紙のように、信頼できるルートが確保できたときだけ追加で送ります。通常便は検閲されている可能性があります」
「最後に」
「お兄ちゃん。糸のことを知ったのに、まだ逃げるつもりですか」
「逃げてもいいです。でも、逃げるなら、逃げる理由が『当て馬だから』ではなく、お兄ちゃん自身の意思であってほしいです」
「自分の気持ちを糸のせいにしないでください」
「リリアより。追伸:ファイン兄様の件、本当に気をつけてください。あの方は、頭が良すぎます」
手紙を折りたたんだ。
書斎の椅子に座ったまま、動けなかった。
*
1時間、動けなかった。
手紙の内容を、頭の中で整理した。
情報が多すぎる。
一つ。縁糸は確認された。麻衣にも見える。
二つ。俺とフィオナの糸は金色。太い。とても。
三つ。ファインの監視が段階を上げた。通信経路が危うい。
四つ。麻衣が「認めろ」と言っている。
一つ目から三つ目は、情報として処理できる。対策を考えればいい。
四つ目が、処理できない。
(認める、とは何を認めるのか)
(金色の糸があることを認めるのか。フィオナに対する感情を認めるのか)
(糸があること自体は、もう否定できない。エマが見ている。麻衣が見ている。本に書いてある。父も経験している)
(では、感情は)
昨日、父の手紙を読んだ。「糸はあなたがすでに選んだものの証だ」と。
今日、麻衣が「自分の気持ちを糸のせいにするな」と書いた。
父と麻衣が、別の言葉で同じことを言っている。
(糸のせいではない。俺の選択だ)
(俺が選んだ。「どうぞ」と。「合格だ」と。「おかえり」と)
(選んだのなら、認めるべきなのか)
*
昼前に、書斎を出た。
フィオナが台所にいた。干し果実の煮物の残りを温め直していた。
「あ。遅かったですね。どこにいたんですか」
「……書斎だ」
「また本ですか」
「手紙だ」
「手紙? リリア様から?」
「……ああ」
「何か問題でも?」
「……ファインが、リリアへの監視を強めたらしい。手紙の中身を探り始めている」
これは伝えるべき情報だった。フィオナにも関わる。
フィオナの顔が少し引き締まった。
「ファイン先輩が……。それは、まずいですか」
「まずい。手紙の頻度を下げなければならない」
「……リリア様は大丈夫ですか」
「大丈夫だと思いたい。彼女は賢い」
「……そうですね。あの方は、すごく賢い方ですよね」
フィオナは鍋をかき混ぜながら、少し考えている顔をした。
「……ランベルトさん」
「何だ」
「手紙の内容、他にもあったんですよね。ファイン先輩のこと以外にも」
(鋭い。フィオナはいつも、隠していることに気づく)
「……ああ。あった」
「教えてくれないんですよね」
「……今は、まだ」
「今は、ですか」
フィオナは少し目を細めた。不満ではなかった。待つ顔だった。
「いつか教えてくれますか」
「……そのうち」
「そのうち、って、あなたの場合すごく長いんですよ」
「……長いかもしれない」
「でも、待ちます。私、待つの得意なので」
(待つの得意)
(フィオナは最初から待っていた。俺が「どうぞ」と言うのを。「合格だ」と言うのを。「おかえり」と言うのを)
(全部、フィオナが待って、俺が遅れて答えた)
「……すまない」
「謝らなくていいです。待つのは、嫌じゃないので」
フィオナは煮物を器に盛った。2つ。
「はい。食べましょう」
「……ああ」
食べた。干し果実の煮物は、2日目のほうが味が染みていて美味かった。
フィオナは「美味しい」と言って、笑った。
その笑顔を見て、麻衣の言葉が頭を過った。
「認めてください」
(……もう少しだけ、待ってくれ)
(麻衣にも。父にも。エマにも。フィオナにも)
(もう少しだけ)
*
夜、返事を書いた。
麻衣と同じルートで送れるよう、エマに託した。エマは「承知いたしました」と言って、いつものニコニコで受け取った。
「リリア様。報告を受領した。ファインの件、最大限注意する。通信頻度の制限は了解した」
「糸の件について」
筆が止まった。
「糸の件は、認識している。逃げるつもりはない」
書いてから、「逃げるつもりはない」を見つめた。
(本当か。逃げるつもりはないのか)
(本当だ。もう逃げられない。逃げたくない)
(逃げたくない、と思ったのは)
一行加えた。
「ただし、時間がかかる。父も10年かかったらしい。俺はもう少し早いと思うが、約束はできない」
封をした。
窓の外で、離れの明かりが灯っていた。
金色の糸は見えなかった。しかし、明かりは見えた。
それで十分だった。




