第百二十七話「封印の前で」
エマが大根の煮物を持ってきた。
何も聞かなかった。地下の話をしたあと、台所に消えて、10分後に煮物を持って戻ってきた。湯気が立っていた。農村の大根。農村の出汁。農村の味。
「エマさん。頼んでいない」
「頼まれなくても出すのが使用人でございます」
「……ありがとう」
「お礼には及びません。大根が余っておりましたので」
(大根が余っていた、というのは嘘だ。エマが出汁を常に用意しているのは知っている。いつ坊ちゃまが帰ってきても、すぐに出せるように。55年間、そうしてきた)
煮物を食べた。農村の味。王都とは違う。土が違うから。水が違うから。しかし、出汁は同じだ。エマの出汁と、俺の出汁。同じ根から出た味。
「エマさん。フィオナに連絡を取る。王都から来てもらう」
「承知いたしました。馬車を手配いたしましょうか」
「頼む。……あと、ファインにも連絡を」
「ファイン殿にも」
「ああ。地下を開けたら、魔法学の専門家が必要だ。記録の解読に」
「クロード殿は」
「クロードは王都で教団の動きを見張っていてもらう。セレスティーヌが先に動く可能性がある」
「……坊ちゃまは、いつの間にか指揮官になりましたね」
「指揮官ではない。料理人だ。ただし、台所が広くなっただけだ」
「台所が広い料理人。……素敵でございます」
エマがニコニコした。
*
フィオナが翌日到着した。
馬で。1人で。半日で来た。
「ランベルトさん。来ました」
「早いな」
「急いだので。……大丈夫ですか」
「大丈夫だ。お前が来れば開けられる」
「私の光が必要なんですよね。エマさんの手紙に書いてありました」
「ああ。俺の血とお前の光で、封印が解ける」
「血。……痛いですか」
「指先を少し切る程度だと思う」
「思う、って。確信がないんですか」
「ない。初めて開けるから」
「初めて。……ぶっつけ本番ですか」
「ぶっつけ本番だ。営業……いや、人生はだいたいぶっつけ本番だ」
「営業って言いかけましたね」
「言いかけてない」
「言いかけました。久しぶりに」
(久しぶりに営業と言いかけた。この数ヶ月、ほとんど使わなかった。しかし、緊張すると出る。営業用語は、俺にとっての安全弁だ。安全弁が作動するのは、緊張している証拠だ)
*
午後。蔵に入った。
フィオナ、エマ、俺の3人。
記録室の奥。本棚の裏の扉。
フィオナが扉に触れた。
「……冷たい。すごく冷たいです。氷みたい」
「地下の冷気が染みている」
「冷気だけじゃないです。……何か、重いものが封じてある感覚がします。光の魔力が反応してます」
「反応」
「はい。手のひらが、少しだけ震えます。光を灯したくなる。扉が呼んでいるみたいに」
(扉が光を呼んでいる。封印を解くために光が必要だから、扉自体が光の魔力を引き寄せている)
「エマさん。手順は」
「坊ちゃまの血を扉の紋章に。フィオナ様の光を同時に当てる。お二人の力が合わさったとき、封印が解けます」
「紋章」
扉の中央に、彫り込みがあった。ヴェルツ家の紋章。大根の葉を模した意匠。風化して薄くなっているが、指でなぞると形がわかった。
「……大根の紋章か」
「ヴェルツ家の紋章は大根でございます。古くから」
「知らなかった」
「お父様もあまりお気になさっていませんでした。『大根の紋章は恥ずかしい』と仰っていました」
「父も恥ずかしがっていたのか」
「はい。しかし、変えませんでした。『恥ずかしくても、うちの紋章だ』と」
(恥ずかしくてもうちの紋章。大根貴族は代々大根を恥ずかしがりながら、大根を捨てなかった。俺もそうだ)
フィオナが笑った。
「大根の紋章。……素敵じゃないですか」
「素敵か」
「素敵ですよ。あなたらしいです。大根の紋章に血を捧げて、光を当てて、地下を開ける。……なんか、伝説みたいですね」
「伝説ではない。没落貴族の家事だ」
「家事で封印を解く人、初めて見ます」
*
準備が整った。
扉の前に立った。フィオナが隣にいた。エマが少し離れた場所に立っていた。
「フィオナ」
「はい」
「開けたら、何が出てくるかわからない」
「わかってます」
「ヴェルツ家の秘密が出てくる。俺の家系の真実が。俺が当て馬だった理由が、わかるかもしれない」
「わかるかもしれない。……怖いですか」
「……少し」
言った。正直に。営業スマイルなしで。
フィオナが手を伸ばした。俺の手を取った。
前に俺がフィオナの手を取ったときと、同じだった。考えるより先に体が動く。
「大丈夫です。一緒に開けましょう」
手が温かかった。修行の後の冷たい手ではなかった。最初から温かかった。
「ああ。一緒に開ける」
エマがニコニコしていた。薄暗い蔵の中で。55年分の重みのニコニコだった。
「坊ちゃま。フィオナ様。いつでもどうぞ」
扉の紋章に、指先を当てた。




