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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
V「糸を切る者たち」

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第百二十一話「包囲」



 夜明け前に、声で目が覚めた。


 怒号ではなかった。唱和だった。複数の声が、同じ言葉を繰り返していた。


「縁は呪い。糸を断て。縁は呪い。糸を断て」


 窓を開けた。


 別邸の門の前に、人が集まっていた。20人ほど。灰色の衣を着ていた。手に松明を持っている。冬の夜明け前の暗闇の中で、松明の火がオレンジに揺れていた。煙の匂いが窓から入ってきた。


 (来た)


 フィオナが離れから走ってきた。寝間着のまま。


「ランベルトさん。外に」


「見えている。教団だ」


「何人ですか」


「20人ほど。武装はしていない。松明と声だけだ」


 (武装していない。暴力ではなく、圧力だ。声と光で包囲する。デモンストレーション。営業で言えば……いや、営業の比喩は今はいらない。これは俺の家を囲まれている。それだけだ)


「ランベルトさん。どうしますか」


「まず、落ち着く」


 台所に行った。水を汲んだ。お茶を入れた。手が震えていなかった。震える理由がなかった。


 (怖くない。なぜなら、来ることを知っていた。ノエルが教えてくれた。レオンに伝えた。ファインに伝えた。備えはある)


 お茶を淹れた。2人分。フィオナに渡した。


「飲め」


「お茶。……今ですか」


「今だ。腹が据わる」


 フィオナがお茶を飲んだ。手が震えていた。しかし、飲んだ。


「……温かい」


「ああ。温かい」



 *



 外の声が続いていた。


「縁は呪い。糸を断て。ヴェルツ家は縁の魔女の末裔。呪いを撒く者を王都から追い出せ」


 (縁の魔女の末裔。ヴェルツ家の縁糸体質を「呪い」と呼んでいる。俺の存在自体が呪いだと)


 窓から見ていた。灰色の衣の集団。顔が見えた。知らない顔。しかし、1人だけ、見覚えがあった。


 カテリーナだった。


 糸を切られた貴婦人。感情が薄くなったと言っていた女性。灰色の衣を着て、唱和していた。表情がなかった。ただ、口だけが動いていた。


 (カテリーナが教団の側にいる。感情が薄くなった人間が、教団の道具にされている。糸を切って感情を奪い、従順な兵隊にしている)


 玄関の戸を叩く音がした。


「ヴェルツ。出てこい。縁の呪いを止めろ」


 叩く音が大きくなった。


 フィオナが立ち上がった。光を灯そうとした。


「待て。光を出すな」


「なんでですか」


「光を出したら、教団の主張を裏付けることになる。『ほら、ヴェルツ家の関係者は魔力で脅す』と言われる」


 (政治的な判断。武力で対抗してはいけない。声には声で。圧力には論理で。それが王都の戦い方だ)


「じゃあどうするんですか」


「門を開ける」


「開ける?」


「ああ。そして、茶を出す」



 *



 玄関の戸を開けた。


 灰色の衣の集団が目の前にいた。松明の火が顔を照らした。煙の匂い。冬の冷気。緊張の空気。


「どちら様だ」


「灰糸教団の信徒だ。ヴェルツ家の者に告げる。縁糸の成長体質は呪いだ。王都から出て行け」


 先頭の男。40代。目が据わっている。しかし、狂気ではない。信念の目だった。


「出て行けと言われても、ここは俺の家だ。家から出て行く理由がない」


「お前がいるだけで、周囲の糸が太くなる。お前は存在するだけで呪いを撒いている」


「存在するだけで呪い、か。……ずいぶんな言い方だ」


「事実だ」


「事実かもしれない。しかし、大根も育つ。大根の成長は呪いか」


「……何を言っている」


「俺の体質は糸を太くする。同じ手で大根も育てている。糸が育つのが呪いなら、大根が育つのも呪いか」


 先頭の男が一瞬だけ黙った。


「茶を飲まないか。冷えるだろう」


「……何だと」


「茶だ。寒い中で叫んでいたら、喉が痛くなる。中に入れとは言わない。ここで渡す」


 台所に戻った。茶を20人分淹れた。フィオナが手伝った。急須が足りないので鍋で沸かした。


 盆に載せて玄関に持っていった。


 20人の前に、20個の湯飲みを並べた。湯気が立った。冬の夜明けの空気の中で、白い湯気が20本立ち上った。


 誰も手を伸ばさなかった。


 しかし、1人が手を伸ばした。集団の後ろにいた女性。若い。20代。手がかじかんでいた。湯飲みを持った。飲んだ。


「……温かい」


 もう1人が手を伸ばした。もう1人。


 先頭の男は飲まなかった。しかし、後ろの数人が飲んだ。


 「縁は呪い」の唱和が、少しだけ小さくなった。


 そのとき、馬の蹄の音が聞こえた。


 街道の向こうから。速い音。複数の馬。


 レオンだった。


 王太子が護衛を連れて来た。夜明け前に。


「レオン殿下」


「報告を受けた。……茶を出したのか」


「ああ」


「お前は本当に……変わった男だな」


 レオンが灰色の衣の集団に向き直った。王太子の顔に変わった。


「ここにいる者たちに告げる。ヴェルツ家は王室の庇護の下にある。ランベルト・ヴェルツは私の友であり、この国の臣民だ。彼の住居を包囲する行為は、王法に反する。速やかに散れ」


 王太子の声が響いた。冬の夜明けの空気を切った。


 集団が動揺した。松明が揺れた。


 先頭の男が言った。


「殿下。我々は平和的な訴えを」


「訴えは貴族院で行え。夜明け前に個人の住居を囲むのは訴えではない。脅迫だ」


 集団が散り始めた。後ろから。1人ずつ。松明の火が消えていった。


 先頭の男が最後まで残った。俺を見た。


「ヴェルツ。これで終わりではない」


「知っている」


「お前が何杯茶を出しても、縁の呪いは消えない」


「呪いかどうかは、俺が決める。お前が決めることではない」


 男が去った。灰色の衣が、夜明けの薄明かりの中に消えていった。


 門の前に、20個の湯飲みが残った。半分が空だった。半分が手つかずだった。


 飲んだ者と、飲まなかった者。


 (半分が飲んだ。半分が飲まなかった。飲んだ者は変わる可能性がある。飲まなかった者は変わらない。それでいい。全員を変える必要はない。半分で十分だ)


 フィオナが隣にいた。


「ランベルトさん」


「何だ」


「お茶、足りましたか」


「足りた。30枚の皿と20個の湯飲み。備えておいてよかった」


 夜が明けた。冬の朝日が門の前を照らした。湯飲みの影が、石畳に長く伸びていた。



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