第百二十話「嵐の前」
料理教室に30人が来た。
台所に入りきらなかった。
「先生。立ち場所がないです」
「知っている。しかし断る理由もない」
結局、半分を中庭に出した。冬の中庭にテーブルを並べた。シャールが余っていた板で即席のテーブルを2つ作った。
「シャール。なぜここにいる」
「壁を直しに来たら人が多かったから手伝うことにした」
「テーブルは壁ではない」
「平らなものは全部同じだ」
(シャールの哲学が進化している。壁→テーブル→次は何だ。床か。天井か)
レオンが来た。護衛なし。前触れなし。
「飯を食いに来た」
「殿下。料理教室です。食べに来る場所ではなく、作る場所です」
「作るのか。俺が」
「ああ。エプロンをつけろ」
王太子がエプロンをつけた。白いエプロン。王家の紋章入りの服の上に、無地のエプロン。
30人の生徒が固まった。
「あ、あの、レオン殿下……?」
「殿下と呼ぶな。今日は生徒だ」
マリアが横で小声で言った。
「先生。王太子が生徒って、大丈夫ですか」
「大丈夫ではない。しかし、断れるか」
「断れないです」
「だろう」
レオンが大根を手に取った。
「これを切るのか」
「3ミリに切れ」
「3ミリ。……この幅か」
「それは1センチだ」
「1センチと3ミリの差がわからん」
「定規はないが、目で覚えろ。この幅だ」
デュランが隣で見本を切った。レオンが真似した。5ミリだった。
「……まだ太い」
「太いか。……王太子の包丁さばきを批判する貴族は、この国にお前だけだぞ」
「批判ではない。指導だ。大根の前に王族も平民もない」
生徒たちが笑った。30人分の笑い声が中庭に響いた。冬の陽射しが斜めに差していた。テーブルの上の大根が、白く光っていた。
*
煮込みの時間。30人が鍋を見守っている。
ことこと、という音が30個。中庭と台所に分かれて、鍋の音だけが響いていた。
フィオナが俺の隣に立っていた。
「すごい光景ですね」
「ああ」
「王太子も、教団の幹部も、門衛も、生徒も、全員で大根を煮ている」
トーマスが来ていた。門衛の休憩時間に。エプロンをつけて、鍋を覗いている。
「ヴェルツ殿。火加減はこれでいいですか」
「いい。そのまま」
「門を守るより緊張しますな」
「鍋の火加減のほうが難しいからな」
ノエルがいた。今日は白い服ではなく、灰色でもなく、普段着だった。教団の印がない服。誰かに借りたのだろう。少しだけ大きかった。
デュランの隣で鍋を見ていた。2人は無言だった。しかし、敵対的な無言ではなかった。鍋を挟んだ、穏やかな沈黙だった。
*
試食。30人が一斉に蓋を開けた。
中庭に大根の匂いが充満した。甘い匂い。冬の冷たい空気の中で、湯気が白く立ち上った。
レオンが食べた。
「……うまい」
「殿下が作ったものだ。当然うまい」
「俺が作ったのか。……俺の手で」
「殿下が切った5ミリの大根だ。少し太いが、味は悪くない」
「5ミリだったか。……次は3ミリにする」
「お待ちしています」
シャールが4杯目をおかわりした。
「おう。テーブルを作った甲斐があった」
「テーブルを作ったのは食べるためか」
「食べるためだ。……壁を直すためでもある。食べないと力が出ない」
30人が食べていた。中庭で。冬の陽射しの中で。白い息を吐きながら。
(30人。最初は1人だった。門の前で握り飯を食べていた。それが14人になり、22人になり、30人になった。器が足りないのではなく、場所が足りなくなった)
マリアが言った。
「先生。来週は何人になるんですかね」
「わからない。予測できない」
「予測できない成長は良い成長ですよね。前に言ってましたよね」
「言った。……しかし、台所のキャパシティを超えている」
「中庭があります」
「中庭も超えたら」
「広場があります」
「広場で料理教室を開いたら、それはもう屋台だ」
「先生の屋台。……大根貴族の屋台。流行りそうですね」
(大根貴族の屋台。それは……悪くないかもしれない。いや、今はそれどころではない)
*
夕方。全員が帰った後。
中庭を片付けた。シャールが作ったテーブルはそのまま残した。「また使う」とシャールが言ったから。
フィオナと2人で台所にいた。
「ランベルトさん。今日、楽しかったですね」
「ああ。騒がしかったが」
「騒がしいのがいいんですよ。……静かすぎると、寂しいですから」
窓の外に、冬の夕暮れ。オレンジと灰色が混ざった空。
「フィオナ」
「はい」
「楽しい日の後に、嵐が来ることがある」
「知ってます。天気でも、人生でも」
「ノエルが言っていた。教団が動くかもしれないと」
「覚えてます」
「備えておく必要がある。レオンに伝えた。ファインにも。クロードにも。全員が知っている」
「全員が知っている。……じゃあ、大丈夫ですよ」
「なぜだ」
「だって、今日30人が大根を煮たんですよ。30人の味方がいるんですよ。教団が来ても、30人分の出汁で迎え撃てます」
「出汁で迎え撃つのか」
「迎え撃ちます。あなたの出汁は最強なので」
フィオナが笑った。
しかし、目の奥は笑っていなかった。フィオナも知っている。嵐が来ることを。
中庭に、シャールのテーブルが残っていた。夕暮れの光を浴びて、木目が金色に光っていた。
その上に、洗い残しの大根の皮が1枚、風に揺れていた。




