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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
V「糸を切る者たち」

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第百八話「浄化の実験」


 ファインから返事が届いた。送った論文の分析結果だ。


「ランベルト殿。論文を読んだ。結論から言う。浄化の理論自体は、魔法学的に矛盾していない。光の魔力が縁糸に蓄積した負の感情を分解する、という仮説は成立しうる」


「ただし、実証がない。理論だけだ。実験で安全性を確認しない限り、フィオナに関わらせるべきではない。実験には私が立ち会う。ノエルだけに任せてはならない」


「追伸。リリアが論文に興味を示している。彼女の縁糸の知識は深い。分析チームに入れたい。許可を」


 麻衣が分析に加わりたがっている。ゲームの全ルートの知識と、この世界での研究。確かに適任だ。


 返事を書いた。リリア本人の意思を尊重する、安全が確保される限り異存はない、と。



 *



 フィオナに伝えた。


「浄化の理論は成立しうる。しかし、実証がない。ファインが立ち会う条件で、実験をする方向だ」


「私も参加していいですか」


「条件がある。俺が同席する。護衛として。それと、ノエルと二人きりにならない」


「……それは護衛の条件ですか」


「護衛の条件だ」


「護衛の条件ですよね」


「ああ」


「……わかりました」


 フィオナが何か言いたそうだった。しかし、飲み込んだ。俺が「護衛の条件」と言い張る限り、フィオナはそれ以上突っ込まない。ただ、目は「嘘つき」と言っていた。



 *



 実験の日程が決まった。三日後。ルーシェ家の別邸。ファインの魔法研究室。


 準備として、ノエルが浄化の光の調整方法をフィオナに教えに来た。学園の中庭で。俺は五メートル離れた場所に立っていた。護衛の距離。


「フィオナ殿。光を、糸に向けて放射するのではなく、糸に沿わせて流すイメージです。川の流れのように。表面をなぞるように」


「沿わせて」


「はい。すると、糸に蓄積した負の感情が光に溶けて消える。施術を受けた人は『温かい風が通り抜けた』と表現します」


 フィオナが頷いていた。真剣な顔で。光の新しい使い方を吸収している。


 それは良いことだ。フィオナの力が広がる。人を守るだけでなく、癒す力になる。理性ではそう思う。


 しかし、五メートル先でノエルと話しているフィオナを見ていると、腹の奥で何かが動く。これは警戒だ。警戒だと、自分に言い聞かせた。


「ランベルト殿。近くでご覧になりますか」


「いや。ここでいい。護衛は距離を保つ」


「フィオナ殿は飲み込みが早いですね。素晴らしい使い手だ」


 ノエルの笑みがフィオナに向けられているのを見て、腹の奥のものがまた動いた。


 動くな、と自分に言った。今はデータが足りない。実験の結果を待て。



 *



 夕方。帰宅。


 弁当の残りで夕飯を作ろうとした。しかし、手が動かなかった。台所に立ったまま、包丁を持ったまま、止まっていた。


「……ランベルトさん。大丈夫ですか。手が止まってますよ」


 フィオナが後ろに立っていた。


「……ああ」


「今日は私が作りましょうか」


「いい。俺が作る」


 手を動かした。大根を切った。三ミリ。手だけは、ちゃんと動く。


「ランベルトさん。ノエルさんのこと、本当に警戒だけですか」


「警戒だ」


「警戒で、包丁を握ったまま止まりますか」


「……止まる。難しい相手の前では、止まることもある」


「ランベルトさん。一つだけ言います」


「何だ」


「ノエルさんは、私に浄化を教えてくれています。私の力を広げてくれる人です。それは事実です」


「ああ」


「でも、私がノエルさんのところに行くことはないです。それも事実です」


「なぜだ」


「台所がないからですよ。教団に」


 台所がない。フィオナの判断基準。台所がある場所が、帰る場所だ。教団には台所がない。だから行かない。


「……台所か」


「台所です。あなたの台所がある場所に、私はいます。それだけです」


「……ありがとう」


「カウントに入れますか」


「入れない。今のは普通のやつだ」


「普通ですか。……じゃあ、覚えておくだけにします」


 味噌汁を作った。今日は味付けを間違えなかった。二枚の皿。


 台所がある場所にいる。フィオナの答えはいつもシンプルだ。複雑なことを考えている俺より、ずっとまっすぐだった。


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