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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
V「糸を切る者たち」

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第百六話「ノエル」


 門の前で弁当を食べていたら、フィオナが昼より早く出てきた。顔色が普通ではなかった。興奮と困惑が混ざっている。


「ランベルトさん。話があります。今日、教室にノエルさんが来ました。灰糸教団の」


 ノエルが講演に来た日だ。


「講演の内容は」


「……説得力がありました。正直に言います。『縁糸があるから人は苦しむ。見えない糸に縛られて、自由に生きられない人がいる。その人たちを救いたい』って」


「そう言ったか」


「はい。そして、講演の後、私のところに来ました」


「お前のところに」


「私の光の魔力で、縁糸を浄化できるかもしれないって。……切るんじゃなくて。糸に溜まった『痛み』だけを取り除く。糸も感情も残して、痛みだけ消すって」


 痛みだけを取り除く。糸は残す。それが本当なら、断縁とは違う。副作用のない解決になる。


「それで、お前はどう感じた」


「興味がありました。……カテリーナさんみたいな人を、糸を切らずに助けられるかもしれないから」


「しかし、教団の人間の言うことだ」


「わかってます。だから相談しに来たんです。一人で判断しないって決めたので」


 一人で判断しない。自分で動く前に、俺に相談しに来た。これは護衛への信頼ではない。隣に立つ人間への信頼だ。


「行く。学園長に許可を取る」



 *



 学園の中庭で、ノエルがいた。


 灰色の衣ではなかった。白い服。清潔感がある。銀色の髪。目が澄んでいた。二十五歳。整った顔立ち。しかし冷たさはない。穏やかだ。


 悪人の手ではない。会う前にそう判断した。問題は、悪人でないことだ。嘘をつく敵は楽だ。信念を持った相手は、倒せない。納得させるしかない。


「あなたが、ランベルト・ヴェルツ殿ですか。噂は聞いています。大根貴族と」


「ああ。大根貴族だ。フィオナに声をかけたと聞いた」


「はい。フィオナ殿の光は、私たちの研究にとって重要です。縁糸の浄化です。断縁ではなく。痛みだけを取り除く方法を模索しています」


「フィオナに何を求めている」


「協力です。浄化の実験に参加していただきたい。強制はしません。フィオナ殿が断れば、諦めます。それが教団の方針です」


 強制しない。善意の顔。しかし、善意の裏に何があるかはまだ見えない。


「一つ聞いていいか。お前は、なぜ教団に入った」


 ノエルの目が、わずかに変わった。穏やかさの下に、何かが通った。


「……母が、縁糸で苦しんでいたからです。父との縁に縛られて、笑わなくなった。私が教団に入ったのは、母のような人を救いたかったからです」


 母が縁糸で苦しんでいた。デュランと同じだ。教団に来る人間には、理由がある。個人的な痛みが、信念に変わっている。だから揺るがない。


「ノエル殿。フィオナへの接触は、俺を通してくれ。護衛だから」


「承知しました。……あなたは、誠実な方ですね」


「誠実ではない。嘘つきだ」


 ノエルが少しだけ笑った。初めて見る笑い。穏やかで、しかしどこか寂しい笑いだった。



 *



 帰宅。夕飯。二枚の皿。


「ノエルさん、どうでしたか」


「悪い人間ではない」


「思いますよね。私もそう思いました」


「しかし、個人の善意と組織の方針は別だ。ノエルが誠実でも、教団全体が誠実とは限らない」


「でも、浄化の話は気になります。もしかしたら、カテリーナさんを助けられるかもしれない」


「……ああ。もしかしたら」


「私の光で、誰かを助けられるかもしれない」


 フィオナの光。あなたを守るための光、と前にフィオナは言った。それが今、別の意味を持ち始めている。守るだけでなく、救う光に。


「焦るな。まず調べる。ファインに浄化の理論を確認してもらう。クロードに教団の裏を。その上で判断する」


「わかりました。……ランベルトさん。ノエルさんと話してるとき、あなた、少し怖い顔してましたよ」


「怖い顔」


「はい。営業スマイルじゃなくて。もっと、真剣な顔」


「真剣だったからだ」


「何にですか」


「お前の安全にだ」


「護衛として?」


「……護衛として」


「嘘つき」


 フィオナが言った。咎める声ではなかった。


 食器を洗った。二枚。フィオナが拭いた。


 ノエルは悪人ではない。しかし、フィオナに近づいた。フィオナの力を求めている。それが善意であっても、腹の奥で何かが反応した。警戒、と呼ぶには熱すぎる、もっと原始的な何か。


 名前はつけなかった。つけると、面倒なことになる気がした。


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