第百三話「灰色の名前」
クロードが名前を見つけてきた。
「灰糸教団。正式には『灰糸の解放を求める信徒会』だそうです」
「長い名前だな」
「短くすると灰糸教団です。王都の南区に拠点があるらしい。表向きは慈善団体です」
「慈善団体」
「はい。縁に苦しむ人々を助ける、という名目で活動しています。寄付を集め、相談を受け、糸を切る施術を行う」
(慈善団体。表向きは善意の組織。しかし、糸を切った人間が感情を失っている。善意と副作用が同居している)
「教団の中心人物は」
「まだわかりません。しかし、幹部の1人がわかりました。名前はノエル。25歳。元貴族の子弟です」
「貴族の子弟が教団の幹部」
「はい。家を捨てて教団に入ったそうです。理由は不明ですが、縁糸に関する強い信念を持っているとのことです」
(ノエル。25歳。信念の男。営業マンとしての直感が言っている。信念を持った相手は、論理では動かない。最も手強い交渉相手だ)
「クロード。教団の資金源は」
「調査中です。しかし、寄付だけではこの規模は維持できない。裏に大口の支援者がいる可能性があります」
「ミリアーデか」
「可能性はあります。しかし、確証はまだです。ミリアーデ伯爵家の財政難は続いていますから、教団を使って政治的影響力を維持しようとしている可能性はゼロではない」
(ミリアーデがまた絡んでくるのか。あの伯爵は本当にしぶとい。営業で言えば、一度断られても3回来る粘り強いクライアントだ。ただし方向が逆だ)
*
門の前。昼。
弁当を食べながら、トーマスに聞いた。
「トーマス。灰糸教団を知っているか」
「ああ。最近、王都で名前を聞きますね。南区の」
「どんな噂だ」
「善い噂と悪い噂が半々です。縁に苦しんでいる人を助けているという評判がある一方で、教団に入った人が変わってしまったという話もあります」
「変わった、とは」
「穏やかになりすぎた、と。感情がなくなったように見えると。……ヴェルツ殿、大丈夫ですか。何かあったんですか」
「……調べている。少し」
「護衛の仕事ですか」
「護衛の仕事かどうかわからない。しかし、気になる」
「ヴェルツ殿は、気になると動きますからね」
「門衛の観察力は侮れない」
「毎日座っている人を見ていれば、わかりますよ」
(トーマスに読まれている。門の前で毎日座っているだけで、俺の心理状態がトーマスに伝わっている。出汁の濃さで読むフィオナ、帳簿で読むクロード、顔で読むトーマス。全員に読まれている)
*
料理教室の日。
20人の生徒が集まった。今日のテーマは「保存食の作り方」。
「保存食の基本は、水分を抜くことだ。大根を薄く切って、天日で3日干す。水分が抜けると、甘みが凝縮する」
「先生。干し大根ってどれくらい保存できるんですか」
「適切に処理すれば半年は持つ。旅にも持っていける」
「旅に大根を持っていくんですか」
「持っていく。俺は農村から王都に来るとき、干し大根を持ってきた」
マリアが手を挙げた。
「先生。保存食って、繋がりを保つ方法でもありますよね。離れた人に味を届ける方法」
(繋がりを保つ方法。麻衣が干し大根を王都に持ち帰ったことを思い出した。離れていても、同じ大根を食べることで繋がっている)
「そうだな。保存食は、距離を超える。時間も超える。半年前に干した大根を、半年後に食べる。そのとき、干した日の天気を思い出す」
「先生、ポエットですね」
「ポエットではない。事実だ」
デュランが端の席で黙って干し大根を切っていた。薄さが均一だった。3ミリではなく、2ミリ。俺より薄い。
「デュラン。薄すぎないか」
「薄いほうが早く乾く。効率的だ」
「効率の問題ではない。薄すぎると食感が失われる」
「……そうか。3ミリにする」
(デュランが素直に修正した。最初の茶会で「格が釣り合わない」と言った男が、大根の切り方を俺に教わっている。人間は変わる)
*
夕方。帰宅。
ファインから手紙が届いていた。
「ランベルト殿。灰糸教団の件、私も把握している。魔法学的な観点から分析を始めた。断縁術は古い魔法体系に属するもので、通常の魔法師には使えない。教団に断縁術を使える人間がいるということは、相当な技術を持った者がいるということだ。注意されたし」
(ファインが動き始めた。魔法学的な分析。ファインの専門分野だ。クロードが資金を追い、ファインが技術を追う。俺は何をする)
(俺は人を見る。教団に入る人間を見る。なぜ入るのか。何を求めているのか。営業マンは、相手のニーズを読む。教団のニーズを読めば、対策が見える)
夕飯を作った。2枚の皿。
「ランベルトさん。今日も出汁が濃いですよ」
「……考えごとか」
「考えごとですね。灰糸教団のこと」
「ああ」
「私にも手伝えることはありますか」
「今のところはない。しかし、一つだけ」
「何ですか」
「学園で灰糸教団の話が出たら、教えてくれ。生徒の間でどう思われているか」
「わかりました。……あ、でも」
「何だ」
「学園で聞いてみますけど、私自身の意見も言っていいですか」
「言え」
「縁を切るって、間違ってると思います」
「なぜ」
「だって、切ったら戻らないんでしょう。戻らないものを切るのは、怖いですよ。……私、あなたとの糸を切りたいなんて、一度も思ったことないです」
(一度も思ったことない。フィオナの中で、俺との糸は「切りたくないもの」だ。それは④自覚の言葉だ)
「……ああ。俺も、切りたいとは思わない」
言った。自然に。営業スマイルなしで。
フィオナは何も言わなかった。少しだけ笑って、皿を拭いた。
カウントはなかった。カウントの外にある言葉だった。




