第百話「俺がいるべき場所」
冬休みの最終日。
明日、王都に戻る。
朝、畑に出た。大根に水をやった。最後の水やり。
フィオナが隣にいた。いつもの距離。
「ランベルトさん」
「何だ」
「100日目ですね」
「何がだ」
「王都に行ってから。だいたい100日くらいです」
「数えていたのか」
「数えてませんけど、だいたいそのくらいかなって」
(100日。農村を出て、王都に住んで、門の前で待って、弁当を作って、料理教室をやって、貴族院で答弁して、友達ができて、帰ってきた。100日で)
「100日前と何が変わったか」
「全部変わりました。でも、全部同じです」
「矛盾しているだろう」
「矛盾してません。場所が変わって、人が増えて、器が増えて。全部変わりました。でも、朝起きて、大根に水をやって、あなたの隣にいる。それは変わってません」
(変わったものと変わらないもの。それが同時にある。矛盾ではない。両立だ)
*
昼飯を作った。
今日は特別なものを作った。冬大根の煮物。農村の食材だけで。王都の香辛料は使わない。一番最初の味。
3人分。俺、フィオナ、エマ。
食卓に3枚の器。
「エマさん。この味は」
「……おかえりなさいませの味でございますね」
「ああ。おかえりなさいませの味だ」
「少しだけ変わりましたね」
「変わったか」
「はい。王都の味が、少しだけ混じっています。以前はなかった丸みがあります」
「丸み」
「はい。角が取れて、丸くなりました。フィオナ様の影響でしょうか」
フィオナが少しだけ赤くなった。
「私の影響ですか」
「毎日一緒に料理をされていると、味が移るものでございます」
「味が移る。……出汁が混ざるみたいなことですか」
「似たようなものでございます」
(味が移る。俺の味にフィオナの味が混じっている。エマにはそれが見える。いや、味わえる)
*
午後。エマと2人きりになった。フィオナは離れで荷物をまとめている。
「エマさん」
「はい」
「俺は、ここにいるべき人間か」
エマが俺を見た。ニコニコではなかった。真剣な目だった。エマが真剣な顔をするのは珍しい。
「坊ちゃま。なぜそのようなことを」
「考えていた。ずっと。俺はこの世界にいるべきではなかった人間だ。削除されたキャラだ。物語の端にいるべきだった。しかし、中心に来てしまった」
「来てしまった、ではございません」
「……何だ」
「来たのでございます。ご自分の意思で」
「意思で」
「はい。坊ちゃまは逃げてここに来ました。しかし、逃げた先で大根を育て、フィオナ様を迎え、料理を作り、人を集めました。全て、坊ちゃまの意思でございます」
「……ああ」
「削除されたとか、端にいるべきだったとか、そのようなことは、もう関係ございません。坊ちゃまは今ここにいらっしゃいます。それが全てでございます」
「……エマ」
「はい」
「いるべき場所とは、どこだ」
「いるべき場所は、いたい場所でございます」
「いたい場所」
「はい。坊ちゃまがいたい場所が、いるべき場所でございます。それは農村かもしれません。王都かもしれません。台所かもしれません。フィオナ様の隣かもしれません。どこであっても、坊ちゃまがいたいと思う場所が、坊ちゃまのいるべき場所です」
エマがニコニコに戻った。
「お父様も同じことを仰っていました。『いるべき場所は、探すものではない。自分で作るものだ』と」
(父が言っていた。いるべき場所は自分で作る)
「……ありがとう。エマ」
「お礼には及びません。私はニコニコしているだけでございますから」
(ニコニコしているだけ。55年間。エマはここでニコニコしていた。父がいた頃も。俺が来てからも。フィオナが来てからも。ずっと。それが、エマのいるべき場所だ)
*
夕方。
出発の準備をした。
門の前に立った。
エマが見送りに立った。
「行ってらっしゃいませ」
「ああ。行ってくる」
「……4度目でございますね」
「4度目だ。1度目は逃げた。2度目は走った。3度目は歩いた」
「4度目は」
「……帰る」
「帰る」
「ああ。王都に帰る。そして、ここにも帰る。両方に帰る」
エマがニコニコした。4度目のニコニコ。一番深かった。
「両方にお帰りなさいませ、でございますね」
「ああ。両方に、ただいま、だ」
*
馬に乗った。フィオナが後ろに座った。
農村を出た。丘を越えた。街道に出た。
北に向かった。王都に。
「ランベルトさん」
「何だ」
「4度目の出発ですね」
「ああ」
「今回は何ですか。逃げるでもなく、走るでもなく、歩くでもなく」
「帰る」
「帰る。……王都に帰るんですね」
「ああ。帰る」
「農村も帰る場所で、王都も帰る場所」
「ああ」
「じゃあ、どこにいても帰ってるってことですね」
「……ああ。どこにいても帰っている。お前がいるから」
(言った。言ってしまった。「お前がいるから」)
フィオナの手が、腰の上で少しだけ強くなった。
「……ありがとう」
「カウントするか」
「します。今のは特別です」
「何回目だ」
「22回目です。……でも、22回目の内容は、全部の中で一番重いです」
「一番か」
「一番です。……19回目が一番だと思ってましたけど、更新されました」
(更新された。19回目は「格が釣り合わなくてもいい」。22回目は「お前がいるから帰っている」)
馬が北に進んだ。
冬の街道。風は冷たい。しかし、背中が温かい。
(俺、当て馬なんで逃げます)
(半年以上前、そう思った)
(今は違う)
(俺は当て馬ではなかった。そして、逃げていない。いるべき場所にいる。2つの場所に。たくさんの人の中に。フィオナの隣に)
(いるべき場所は、自分で作るものだ。父がそう言った。エマが教えてくれた)
(俺は作った。大根と、料理と、出汁で。作った場所が、いるべき場所になった)
街道の先に、王都が見えた。
白い城壁。尖塔。冬の空に映えている。
帰る場所が、待っていた。




