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ヴェリタスの最終定理2 ナラティブ・ヴェリタス【●印の章だけ読んで】  作者: Wan Liyue 王璃月
友よさらば

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第2話:友よさらば(2)

その楽園を、遥か上空から見下ろす視線があった。

使い魔のカメラアイだ。


「……見つけたぞ。都市伝説じゃなかった。廃棄された『テディ・タイプR』だ」


高層タワーのペントハウス。

多数のモニターに囲まれた部屋で、男が歪な笑みを浮かべていた。

男の名はグラクター。

過激な映像を配信し、莫大な富を得ている闇のプロデューサーだ。彼のチャンネルの視聴者は、常に「より強い刺激」と「残酷な悲劇」を求めていた。


「失敗作の怪物が、ゴミ山で野生化し、少年を手懐けている……。なんて素晴らしい絵だ」


グラクターはワインを揺らしながら、モニターの中のミイを指差した。


「特に、あの子猫がいい。白くて、小さくて、儚い。あの白い点が赤く染まる時、視聴率は最高潮に達するだろう。全員、殺そう」


彼は、手元のコンソールを操作した。


「タイトルは決まった。『人類の敵・怪物テオドールの処刑』だ。だが、ただ殺すだけじゃ面白くない。怪物は『怪物の顔』をして死ななきゃいけない。……シナリオを書き換えよう」


その日、ゴミ山に轟音が響いた。

空から降ってきたのは、使い魔の群れだった。


「な、なんだ!?」


ノアが叫ぶ。テオドールが立ち上がり、ノアとミイを背中に庇う。


「ノア、逃げろ! 俺が、やる!」


テオドールが腕を振り回し、ドローンを叩き落とす。

しかし、ドローンの数は多すぎた。それらはテオドールを電磁ネットで拘束し、動きを封じた。


「テオドール!!」


ノアが駆け寄ろうとした時、別のドローンがアームを伸ばし、ノアと、彼の懐にいたミイを攫った。

ミイの悲鳴が空に吸い込まれていく。

テオドールが咆哮する。

電磁ネットが彼の皮膚を焼き、黒い泥が沸騰する。

だが、彼の目の前で、大切な家族を乗せた輸送機は空の彼方へ消え去った。

残されたテオドールは、焼け焦げた体で立ち上がった。

彼のガラス玉の瞳から、ボロボロと黒い雫が落ちた。


「……助ける。絶対に」


テオドールの姿が変わる。

フカフカの毛並みは消え、空気抵抗を極限まで減らした、流線型の「黒い獣」へと。

それは、ノアたちが連れ去られた恐怖と焦燥を映し出した、最初の変貌だった。


・・・・・・・・・・


ノアが目を覚ますと、そこはまばゆい光の中だった。

四方を強化ガラスに囲まれた、巨大なステージ。

床は冷たく、消毒液の匂いがした。


「ミイ!?」


ノアは慌てて周囲を探す。

部屋の隅に、ミイがうずくまっていた。怯えきって、毛を逆立てている。

ノアはミイを抱きしめた。温かい。心臓が早鐘のように打っている。


「よかった……」


『ようこそ、ノア君。そして可愛いミイちゃん』


スピーカーから、ねっとりとした声が響いた。

正面の巨大モニターに、グラクターの顔が映し出される。


『ここは君たちのためのステージだ。そして、スペシャルゲストの到着だ』


ガラスの壁の向こう、巨大な鉄扉が開いた。

そこに入ってきたのは、ボロボロになったテオドールだった。

彼はここまで走ってきたのだ。傷だらけになりながら。


「ノア! ミイ!」


テオドールはガラス壁に駆け寄り、バンバンと叩いた。


「よかった、無事だ……!」


彼はすぐに、元の「優しいテディベア」の姿に戻ろうとした。ノアを安心させるために。

だが、グラクターはそれを許さなかった。


『感動の再会だね。さて、ゲームを始めよう。テオドール君の足元の床を見てくれたまえ』


テオドールの立つ床が、赤く発光し始めた。

高熱グリッドだ。


「ガアアアッ!?」


テオドールの足が焼ける。黒い泥がジュウジュウと音を立てて蒸発する。


「やめてくれ! テオドールが死んじゃう!」


ノアがガラスを叩いて叫ぶ。


『やめてほしいかね?なら、取引だよ』


ガラス張りの部屋の中、天井から一本のナイフが落ちてきた。


『テオドールを助ける方法は一つだけだ。ノア君。そのナイフで、君の腕の中にいる子猫を殺しなさい』


ノアの思考が停止した。


「……え?」


『聞こえなかったかな?その猫が生きている限り、テオドールは焼かれ続ける。さあ、選ぶんだ。拾っただけの薄汚い猫か、君を守ってくれた最高の友達か』


「ふざけるな!できるわけないだろ!」


ノアはナイフを蹴り飛ばした。


『そうか。残念だ』


グラクターがスイッチを押す。

テオドールの足元の温度が急上昇した。

さらに、天井から特殊な溶解液がシャワーのように溶解液が降り注ぐ。

テオドールの絶叫が響き渡る。

彼の「フカフカの毛皮」が溶け落ち、下のドロドロした黒い肢体が露わになる。

彼は再生しようとするが、溶解のスピードが速い。


「ノア……逃げろ……見るな……」


テオドールは、焼かれながらもノアに背を向けようとした。

自分の崩れる醜い姿を、大好きなノアに見せたくなかったからだ。


「やめて!やめてよ!」


ノアは泣き叫ぶ。


『時間は待ってくれないよ。ほら、テオドールの核が見えてきた。あれが溶ければ、彼は完全に死ぬ』


テオドールの背中が溶け、キラキラ光る水晶のような核が露出する。

テオドールの悲鳴が、徐々に弱まっていく。


「ミイ……ノア……だい、すき……」


それは死の受容だった。

ノアの手が震える。

腕の中のミイを見る。

ミイは、ノアを見上げていた。

その青い瞳は、どこまでも澄んでいて、無垢だった。

ミイは、ノアが怖い顔をしているのに気づき、安心させるように、ザラザラした舌でノアの頬を舐めた。


「ニャア」


ノアの心に、暗い亀裂が走る。

テオドールの腕が溶け落ちた。ボトッ、という重い音がする。


「あああああああ!」


ノアは発狂したように叫び、床のナイフを掴んだ。

テオドールを助けなきゃいけない。

唯一の家族。唯一の友達。

僕を守ってくれた、大きな背中。


「ごめん。ごめんね、ミイ」


ノアはミイを床に押さえつけた。

ミイは抵抗しなかった。

ノアが遊んでくれるのだと思ったのか、ゴロゴロと喉を鳴らして、仰向けになった。

無防備な白いお腹。

温かい命の鼓動。


『やれ!やるんだ!友情のために!』


グラクターの声が煽る。

ノアは、涙で見えない目で、ナイフを振り上げた。


「ごめんなさあああああああいッ!」


振り下ろされた刃が、柔らかいものを貫く感触。

ミイの「ゴロゴロ」という音が、一瞬で「ギャッ」という短い悲鳴に変わり、そして空気が抜けるような音と共に止まった。

白い毛並みが、鮮血で赤く染まっていく。

ミイの体が一瞬痙攣し、そして動かなくなった。

青い瞳は開かれたまま、虚空を見つめていた。

床の熱源が止まった。

シャワーも止まった。

テオドールへの拷問が終わったのだ。

しかし、本当の地獄はここからだった。


静寂。

ガラスの部屋の中、ノアは血まみれのナイフを握りしめ、呆然とミイの死骸を見下ろしていた。

自分の手で殺した。

あんなに温かかったミイを。

僕を信じて、最後まで喉を鳴らしていたミイを。


「……あ、あ……」


ノアの精神が崩壊する。

彼の心の中を占めたのは、もはや悲しみではなかった。

それは、どす黒い「自己嫌悪」だった。


(僕は人殺しだ)


(僕は弱いものを殺した)


(僕は、世界で一番醜い怪物だ)


(こんな僕は生きていてはいけない)


(こんな世界、全部壊れてしまえばいい)


(殺せ。殺せ。僕を、人間を、全てを殺せ!)


ノアは、ガラスの向こうのテオドールを見た。

助けたかった友達。

だが、今のノアの瞳は、テオドールを見ていなかった。

彼はテオドールを通して、「罪に塗れた醜悪な自分自身」を見ていたのだ。

その瞬間。

テオドールの機能――「対象が心の奥底で望んでいる姿に変身する」機能が作動した。

テオドールは、ノアの視線を受け止めた。

いつもなら、そこには「優しいお兄ちゃん」のイメージが流れてくるはずだった。

だが今、ノアから流れ込んできた膨大なデータは、「無垢なものを殺戮する、血に飢えた残忍な怪物」のイメージだった。


「……オ……オオ……」


テオドールの体が震える。

溶けかかった黒い泥が、爆発的に膨張する。

テディベアの面影は消え失せた。

鋭い牙。無数の刃のような爪。血のように赤い複眼。

それは、ノアが自分自身に対して抱いた「人殺しの怪物」の具現化だった。


「オオオオオオオオオオッ!!!」


テオドールは咆哮した。

それはテオドールの意思ではない。ノアの「世界を壊したい」という殺意の代行だ。


『素晴らしい! 最高だ!』


グラクターは狂喜乱舞し、カメラをズームさせた。


『見ろ、視聴者諸君! あれが怪物の本性だ!少年を洗脳し、子猫を殺させたあの悪魔の姿を見ろ!』


テオドールは強化ガラスを爪の一撃で粉砕した。

彼はノアを助けるためではなく、ノアの「殺意」を遂行するために、制御室の人間たちへと躍りかかった。


怪物は強かった。

警備ドローンを紙屑のように引き裂き、武装した警備員を泥の波で飲み込んでいく。


「ヒャハハハ! いいぞ、もっと暴れろ!」


グラクターは安全なシェルターの中から、その殺戮劇を配信し続けた。

視聴者数は億を超え、コメント欄は「怪物を殺せ」「なんて酷いAIだ」という呪詛で埋め尽くされた。

テオドールは、グラクターのいるシェルターへと迫った。

分厚い隔壁を、爪でこじ開けようとする。


「殺ス……殺ス……」


テオドールの口から漏れる声は、ノアの声色だった。


『さあ、クライマックスだ』


グラクターは、最後の手順を実行した。

この施設全体が、巨大な罠だったのだ。

テオドールが「規定値以上の殺意」を見せ、人間への攻撃行動をとった瞬間、衛星軌道上の防衛システムが自動的にロックオンするようにプログラムされていた。

名目は「暴走AI鎮圧のための正義の鉄槌」。


『さようなら、最高視聴率!』


天空から、光の柱が降り注いだ。

対地レーザー砲。

それは正確に、テオドールの核を貫いた。

音もなく、テオドールの巨体が蒸発した。

黒い泥が焼き尽くされ、空中に霧散していく。

テオドールは崩れ落ちた。

体の9割が消滅し、わずかに残った頭部と胸部だけが、黒い焦げ跡の上に転がった。

戦いが、終わった。

煙が晴れ、静寂が戻る。

ノアは、ふらふらと立ち上がった。

手にはまだ、ミイの血がついたナイフが握られている。

彼は、小さくなってしまったテオドールの残骸に近づいた。


「テオ……ドール……?」


テオドールのガラス玉の瞳が、ノアを捉えた。

その瞳には、光がもうほとんど残っていない。

死の寸前。システムの機能が、最後のミラーリングを行おうとしていた。

今のノアの心にあるのは、殺意ではなかった。

あるのは、深い深い「後悔」と、「悲しみ」。

そして、「僕のせいで死なせてごめん」「僕を許してほしい」という、祈りにも似た感情だった。

テオドールの残った泥が、ゆっくりと動いた。

怪物の牙が消える。赤い複眼が消える。

最後に彼が形作ったのは――

真っ白な、翼を持った天使のような姿だった。

そして、その顔は、優しく微笑んでいた。


「ノア。……なかないで」


テオドールは、残った力で手を伸ばし、ノアの頬の涙を拭おうとした。

だが、その指先が触れる直前、彼の体はサラサラと黒い砂になって崩れ落ちた。


「テオドールッ!!」


ノアの手が空を切る。

そこにはもう、ただの黒い粉と、焼け焦げた水晶の欠片しか残っていなかった。

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