表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【5位】ヴェリタスの最終定理2 ナラティブ・ヴェリタス  作者: Wan Liyue
刃には刃を

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

272/292

第2話:刃には刃を(2)

部屋の奥、カーテンの隙間から、リリィが顔を出した。

彼女は、蒼白な顔でピュアを見ていた。


「……ピュア君。……帰って」


リリィの声は震えていた。


「家族を売るなんて……そんなこと、させられない。……私はここに残るわ。それに、ピュア君は売上にならない。だから……」


彼女は、ピュアを守ろうとした。

彼の家族を犠牲にしてまで、自分が救われたくはないという、彼女なりの愛と良心。

だが、極限状態に追い詰められたピュアの耳には、その言葉は全く別の意味に響いた。


『お前には無理だ』


『お前は無力だ』


『お前の愛なんて、その程度だ』


ピュアの中で、何かが音を立てて砕け散った。


「……そうか」


ピュアは、ゆらりと立ち上がった。

その瞳から、理性の光が消え失せていた。

あるのは、暗く澱んだ、狂気の輝き。


「君も……ヴァイパーの味方なんだね」


ピュアは笑った。

爽やかだった好青年の顔が、能面のように歪む。


「清く正しい僕がこんなに頑張ったのに。たくさん指名をして、全財産をかけて、家族まで天秤にかけて……。なのに君は、僕を選ばないんだね」


彼は、懐に手を入れた。


「希望という武器は、あるッ!」


取り出したのは、護身用の短刀だった。

彼は、迷いのない足取りで踏み込んだ。

狙いは、諸悪の根源であるヴァイパーという元凶――ではなく、なんと、彼が愛し、救おうとした「リリィ」だった。


「僕の理想通りじゃない君なんて、いらない!」


愛するがゆえの殺意。

自分の妄想ナラティブを押し付け、それが叶わないと知るや、対象そのものを破壊して「美しい思い出」にしようとする、究極のエゴイズム。 


「リリィッ!」


ピュアが短刀を振り上げる。

ヴァイパーすら反応できない、唐突な凶行。

動けたのは、ナラだけだった。

彼女は、この少年の危うさを、最初から感じ取っていたから。

ナラは、リリィを突き飛ばした。

そして、自らがその射線上に割り込んだ。


ドスッ。


鈍く、重い音が、部屋に響いた。

肉が裂け、異物が体内に侵入する感触。


「……ぅ、っ……」


ナラの身体が硬直する。

ピュアの短刀が、ナラの腹部に深々と突き刺さっていた。

白いシャツに、鮮やかな赤が滲み出し、瞬く間に広がっていく。


「は?……いやキモ!……いやキモいて!」


ピュアは、手を止めた。

彼は、自分が刺した相手がリリィではなく、ナラであることを確認すると、つまらなそうに舌打ちをした。


「……チッ!お前さー。お前、関係ないだろってー」


彼は、短刀から手を離した。

ナラの腹に刺さったままの柄が、小刻みに揺れる。

ピュアは、血まみれになったナラを見ても、腰を抜かしたリリィを見ても、何一つ動揺しなかった。

まるで、ゲームのプレイ中にバグが起きた時のように、淡々と「リセット」を選択しただけのように。


「あーも。あーもーいいや。チッ。……この店は、もうダメだ。あー使えねーっ。」


ピュアは、血のついた手をハンカチで拭った。


「雰囲気悪いし、店員の質も落ちたわ。だめだこれ……隣町に行こう。ルージュ・コレクションか、バニーランド・プチだな。……あそこなら、まだ『彼女候補』がいるかもしれない。」


「なるほど?……姉妹店か。では、割引券をあげよう!楽しんでくるといい!」


「ありがとう!ヴァイパーさん!………………へいワーン!へいツーッ!へいワーンツーツリーフォウッッッ!どっちのどっちのどっちのどっちの!あぞあぞいたいで!どーつんの!……」


彼は、不気味な歌を口ずさみ、小躍りをしながら、崩れ落ちるナラを跨いだ。

そして、リリィには目もくれず、爽やかな足取りでドアを開け、出て行った。

彼にとって、リリィは人間ではなかった。

自分の「正義の物語」を演じさせるための、都合のいい人形。

人形が壊れたなら、新しいものを探せばいい。

その純白の狂気が、部屋に残された者たちを凍りつかせた。

ナラは、膝から崩れ落ちた。

傷口を焼くような熱さ。大量の出血により、視界が白く霞む。


「ナ、ナラさん!?きゃああああ!」


リリィが悲鳴を上げ、駆け寄ろうとする。

だが、それを止める声があった。


「触るな、リリィ」


ヴァイパーだった。

彼はソファに座ったまま、冷ややかな目で瀕死のナラを見下ろしていた。

ナラは、この男の「商品」を守った。

そして、この男の「論理」を肯定し、身代わりとなって刺された。

恩人であるはずだ。

だが、ヴァイパーは葉巻の煙を吐き出し、部下たちに顎でしゃくった。


「店の中で死なれちゃ迷惑だ。ケチがついた」


「オーナー!?でも、彼女は私を……!」


「黙れ。論理的に考えろ。俺は店。ピュアは客。お前は商品。だが、この、ナラティブ・ヴェリタス。こいつは一体なんだ?状況の事実から考えろ。住居不法侵入だ。つまり、強盗だ。それに、ここで警察を呼んでみろ。事情聴取だの現場検証だので、一週間は営業停止だ。その間の損失を、一体誰が補填する?お前か?」


ヴァイパーは、経済合理性の怪物だった。

ナラが死のうが生きようが、彼にとっては「死体処理のコスト」と「営業損失」という数字でしかない。

ナラが彼を守ったという事実さえ、「頼んでもいないのに勝手に動いた部外者のミス」として処理される。


「裏のゴミ捨て場に放り出しておけ。……雨が降ってる。朝までには綺麗に流れるだろう」


部下たちが、ナラを担ぎ上げる。

ナラは抵抗できなかった。意識が遠のき、指一本動かせない。

リリィたちが泣き叫ぶ声が遠ざかる。

彼女たちは、ヴァイパーに逆らえない。逆らえば、生きていけないからだ。

ナラは、店の裏口から運び出された。

そして、生ゴミの臭いが充満する集積所に、ボロ雑巾のように投げ捨てられた。

泥水が跳ねる。

冷たい雨が、ナラの熱い血を洗い流していく。


王都の路地裏。

雨は、止む気配を見せない。

ナラは、レンガの壁に背中を預け、ぐったりと座り込んでいた。

腹部にはまだ、短刀が刺さっている。抜けば死ぬ。抜かなくても、出血多量で死ぬ。

彼女は、震える手で懐を探った。

内ポケットから、煙草を取り出す。

SILENT SMOKE、10ミリ。

一本取り出し、口に運ぼうとする。

だが、手が震えて、うまくいかない。

指先の感覚がない。

タバコは、雨に濡れた地面に落ち、泥にまみれた。


「……あーあ」


 ナラは、掠れた声で呟いた。


「……最後の一本……」


ナラは、空を見上げた。

分厚い雲に覆われた、星のない夜空。

憎しみは、なかった。


ピュアを恨んではいない。彼は、彼自身の「物語」を純粋に生きようとしただけだ。ただ、その物語が現実と致命的に噛み合わなかっただけ。


ヴァイパーを恨んでもいない。彼は、彼の「役割」を全うしただけだ。不良在庫を処分するのは、経営者として正しい判断だ。


リリィたちも、生きるために沈黙を選んだ。それもまた、正しい「生存戦略」だ。


誰も間違っていない。

そして、誰も正しくない。


「……正解なんて……」


ナラは、自嘲気味に口角を上げた。

理想を追えば現実に殺され、現実を見れば理想に刺される。

どっちについても、こうして泥の中で一人、野垂れ死ぬ。

それが、探偵という「部外者」の末路。


(……お母様。今日の夕飯、いらないわ)


ナラの意識が、急速に闇へと沈んでいく。

体温が奪われていく。

痛みすら、遠い出来事のように感じられる。

彼女は、ゆっくりと瞼を閉じた。

その姿は、孤独で、惨めで、そしてどこか美しかった。

雨音だけが、世界を支配している。

ナラティブ・ヴェリタスという物語の観測者が、物語の狭間に消えた夜。

それは、王都の歴史には一行も残らない、ありふれた「なんでもない日」の出来事だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ