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コミカライズ決定【5位】ヴェリタスの最終定理2 ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王璃月
自己愛と性欲

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第4話:自己愛と性欲(4)

王都警察署。

窓際の席に座るカレル警部の体から、あの忌々しい発光現象が消えていた。

シリウスによる「聖女の守護」が解除されたのだ。

それは、シリウスが改心したからではない。

彼がカレルに見切りをつけ、興味を失ったからに過ぎない。


「……警部。現場復帰はされないんですか?」


若手刑事が、心配そうに声をかける。

カレルは、虚ろな目で書類を見つめたまま、首を横に振った。


「……俺はもう……捜査には関わらん……あの怪物は……関われば……また奴は『構ってもらえた』と喜ぶだけだ……無視こそが……唯一の防衛策なのだよ……」


カレルは心を閉ざした。

だが、彼が目を背けても、怪物は王都を徘徊し続けていた。

その頃、王都の裏通りでは、奇妙で凄惨な通り魔事件が多発していた。

被害者は、決まって若い女性。

犯行の手口は、異常極まりない。

金髪の美しい男が、夜道で女性に抱きつく。

そして、耳元でこう囁くのだ。


「ねえ、僕、頭いい?僕頭いいから、何でも教えてあげるよ!僕かっこいいでしょ!じゃあえっちしよ!結婚してあげてもいいよ!大好き!一番好き!」


女性が恐怖で震えたり、答えに窮したりすると、男は悲しそうにため息をつく。


「そっか。君も僕を認めてくれないんだね!一番嫌い!」


そして、ナイフを女性の腹部に突き立てる。

何度も、何度も。

まるで、壊れた玩具を確かめるように。


ヴェリタス探偵事務所。

いつもなら優雅な空気が流れるその場所は、凍てつくような殺気に満ちていた。

ナラは、ソファに深く沈み込んでいた。

彼女の足元には、三枚の写真が散らばっている。


アニー。行きつけのカフェの看板娘。

クララ。馴染みのブティックの店員。

ユリア。情報を提供してくれる図書館司書。


いずれも、ナラと親しく、彼女が心を許していた数少ない友人たちだった。

彼女たちは全員、昨夜の通り魔事件の被害者となり、意識不明の重体で発見された。

腹部を滅多刺しにされ、内臓が損傷し、医学的には「助かる見込みなし」と診断されていた。


「……シリウス」


ナラが呟いた名は、呪詛のように重く響いた。

目撃証言は一致している。金髪の男。

そして、被害者たちの共通点。

それは全員、「ナラティブ・ヴェリタスと親しい女性」であること。


「あいつ、ワザとやったわね。あたしの周りを狙い撃ちにして、あたしをおびき出そうとしてる」


デスクの奥で、エラーラがモニターを見つめていた。


「挑発だねぇ。『僕を見てくれ』『僕の痛みに気づいてくれ』という、幼稚で暴力的な求愛行動だ。……カレル警部が反応しなくなったから、ターゲットを我々に戻したのさ」


ナラは立ち上がった。

その美しい顔には、一切の表情がなかった。

ただ、瞳の奥で、蒼白い炎が燃え盛っていた。


「お母様。行ってくるわ」


「準備はいいのかい?」


「ええ。……素手で十分よ」


王都立図書館。深夜の閉架書庫。

静寂に包まれた知の殿堂に、一人の男がいた。

シリウスだ。

彼は、返り血で真っ赤に染まったエプロンを着たまま、本棚の前でうずくまっていた。

手には、血濡れのナイフと、幼児向けの絵本。


「……難しいなぁ。どうやったら、みんな僕が『賢い』って分かってくれるのかなぁ」


シリウスは、虚空に向かって話しかけていた。


「あのアニーって子も、クララって子も、ダメだったよ。僕が『この本の内容、暗記してるんだ』って言っても、『助けて』しか言わないんだもの。対話が成立しないんだ。バカなのかな?」


シリウスは、本を床に叩きつけた。


「僕はただ、褒めてほしいだけなのに!『すごいね』『天才だね』って、頭を撫でてほしいだけなのに!」


「……だったら、論文でも書けば?」


冷徹な声が、書庫に響いた。

シリウスが弾かれたように顔を上げる。

書架の向こうから、ナラが歩いてきた。

ドレススーツの裾を翻し、カツン、カツンとヒールを鳴らして。


「ああっ!ナラティブちゃん!」


シリウスの顔が、太陽のように輝いた。


「来てくれたんだね! やっぱり君だけは僕を……!」


挨拶はなかった。

ナラの拳が、シリウスの顔面にめり込んだ。

鼻骨が砕ける音。

シリウスは棚ごと吹き飛び、数千冊の本と共に床に埋もれた。


「い、いったぁ……!な、何するんだよナラティブちゃん!暴力は良くないよ!」


シリウスが鼻血を押さえて起き上がる。

ナラは、無言で間合いを詰めた。

蹴り。腹部に突き刺さるような前蹴り。


「ぐげぇっ!」


さらに、倒れたシリウスの顔面を踏みつける。

ヒールの踵が、頬肉をえぐる。


「……アニー。クララ。ユリア。あの子たちが、どれだけ痛かったか。あんたのその空っぽの脳みそで、想像してみなさいよ」


ナラティブの声は、絶対零度よりも冷たかった。

シリウスは、血まみれになりながらも笑った。


「あはは……怒ってるナラティブちゃんも素敵だなぁ。でも、誤解しないでよ。僕はね、彼女たちが憎くてやったんじゃないんだ」


シリウスは、腫れ上がった唇で語り始めた。


「『誰でも良かった』んだ」


「誰でも良かった?」


「そうだよ。僕は、誰かに僕の知性を認めてほしかった。だから、手当たり次第に声をかけたんだ。たまたま、それが君の友達だっただけさ。運が悪かったね、あはは!」


シリウスは、それが免罪符になると思っているようだった。

無差別な衝動。特定の悪意はない。だから僕は悪くない、と。

ナラは、踏みつけていた足を退けた。

そして、シリウスの胸ぐらを掴み上げ、至近距離で睨みつけた。


「……嘘ね。」


「え?」


「『誰でも良かった』?だったら、どうしてヤクザの男や、屈強な警官を狙わなかったの?」


ナラの指摘は鋭利だった。


「路地裏には、酔っ払ったチンピラや、見回りの兵士もいたはずよ。『誰でもいい』なら、彼らに聞けばよかったじゃない。『僕、頭いい?』って」


シリウスの目が泳いだ。


「そ、それは……彼らは教養がないから、僕の高尚な話は……」


「違うわね」


ナラは断言した。


「あんたは、『自分より弱そうな相手』を選んだのよ。女、子供、武器を持っていない一般人。反撃されないと分かっている相手を選んで、支配して、優越感に浸りたかっただけ。ヤクザから殴り返されるのが怖かったんでしょ?」


「ち、違う!僕は元騎士だぞ!負けるわけがない!」


「じゃあ、なんで戦わなかったのよ!あんたのその剣は、弱い者をいたぶるための飾り!?」


ナラの言葉が、シリウスのプライドを切り刻む。

シリウスは顔を真っ赤にして、子供のように喚き散らした。


「うるさい!うるさい!低学歴が喋るな!頭下げろ!謝れ!理屈なんてどうでもいいんだよ!僕は……僕は、『頭がいい』って言われたかったんだ!エラーラさんの職場に行って役に立とうとしたのも!ルルを誘拐して教育したのも!幼女を捕まえて殺したのも!全部、誰かに『シリウス君はおりこうさんだね!』って言われたかったからなんだよ!それの何が悪いんだァァァッ!ほら!泣いちゃうよ?僕泣いちゃうよ?いいの?僕嫌いになっちゃうよ?いいの?……ね、最後にえっちしよ?いーでしょ?『お願い』!」


それは、あまりにも醜悪で、あまりにも幼稚な本音だった。

承認欲求。

ただそれだけのために、彼は他人の人生を破壊し、命を奪ってきたのだ。


「……やれやれ。見事なまでの『自己愛性パーソナリティ障害』の末路だねぇ」


書庫の入り口から、白衣の女性が現れた。

エラーラだ。

彼女は、シリウスの絶叫を聞いても、眉一つ動かさなかった。

手にはタブレット端末を持ち、まるで実験動物を観察するようにシリウスを見下ろしている。


「あ……エラーラさん……!」


シリウスが縋るような目を向ける。

エラーラは、淡々と解説を始めた。


「シリウス君。君の行動原理は、幼児のそれと同じだ。君は、私やナラティブという『母』からの承認を失い、自我が崩壊した。だから、手近な『弱い他者』を支配し、無理やり肯定させることで、空っぽの自尊心を満たそうとした。……ただ、それだけだ。」


「ち、違う……僕は……」


「違わないよ?データに出ている」


エラーラは冷酷に告げた。


「君は『賢い』と言われたかったそうだが、君のやったことは、知性とは対極にある『動物的な衝動』の発露だ。……賢い人間はね、承認を得るために他人を殺したりはしない。他人を活かし、導くことで、自然と尊敬を集めるものさ」


シリウスは、ガタガタと震え出した。

図星だった。

彼は薄々気づいていたのだ。自分が賢くないことに。

だからこそ、暴力で無理やり「賢い」と言わせるしかなかったのだ。

追い詰められたシリウスは、突飛な行動に出た。

彼は、血まみれの手でナラティブのスカートの裾を掴んだ。


「わ、分かったよ!じゃあもういいよ!僕はエラーラさんが好きだったけど、認めてくれないなら仕方ない!じゃあ、ルルはもういいから、じゃあナラティブちゃん!じゃあ!君が!僕の!お嫁さんに!なって!よ!最後にちゅーしたら謝るから!ね?」


「……は?」


ナラティブの思考が一瞬停止した。

シリウスは必死にまくし立てた。


「エラーラさんは冷たいけど、君は情熱的だ!僕たちは似た者同士だ!だから、君が僕と結婚して、僕を肯定して、毎日『すごいね』って言ってよ!毎日だっこしてよ!責任取ってよ!君たちが僕を捨てたから、僕はこんな怪物になっちゃったんだから!ナラティブちゃん!」


責任転嫁。被害者面。そして、女性を「自分を慰める道具」としか見ていない傲慢さ。

シリウスの中で、本命がダメなら代用品でいい、という思考回路が瞬時に成立したのだ。

エラーラは、興味深そうにナラを見た。


「……ナ、ナラティブちゃん……どうするね?……」


ナラは、シリウスの手を見つめた。

自分のスカートを汚す、血と泥にまみれた手。

友人を殺した手。

そして、自分を「代用品」として求めてくる、厚顔無恥な手。

ナラの中に、怒りを超えた感情が湧き上がった。

それは、生理的な嫌悪。

昆虫の裏側を見た時のような、背筋が凍るような拒絶感。

ナラは、短く、吐き捨てるように言った。


「……キモい!」


その一言は、どんな魔術よりも鋭く、シリウスの心を貫いた。


「え……?女はみんな馬鹿だから、男の僕が生き方を教えてあげなくちゃいけないし、僕は対価として、彼女としてエッチか、母親としておっぱいのどちらかが欲しかっただけなのに?」


「キモい!あんた!自分の機嫌も自分で取れない大人が、甘えてんじゃないわよ!責任?知るか!

あんたが怪物になったのは、あんた自身の魂が腐ってたからよ!あたしたちのせいにすんな!キモい!」


ナラは、渾身の力を込めて、右ストレートを放った。

シリウスの顎が砕け、歯が飛び散る。

だが、ナラは止まらない。


「アニーを返せ!クララを返せ!あんたのその薄汚い承認欲求のために、あの子たちの未来を消費するな!」


マウントポジションを取り、拳の雨を降らせる。

殴る。殴る。殴る。

シリウスの美しかった顔面が、原形を留めないほどに陥没していく。


「じゃあ謝るから……最後に一回だけ、ちゅーして……」


「黙れ!喋るなッッッ!」


シリウスは、もはや悲鳴も上げられず、ただの肉塊となって痙攣した。

最強の身体能力を持つ彼も、ナラの「心からの拒絶」の前では、反撃する気力さえ奪われていた。


数分後。

ナラは、動かなくなったシリウスを見下ろし、荒い息を吐いた。

拳は血まみれだが、その表情は晴れやかではなかった。

友人は帰ってこない。


「……終わったわ」


「ご苦労だったね」


エラーラが拍手をした。

そして、書庫の奥、シリウスが遺棄していた被害者たちの遺体の方へと歩み寄った。


「さて。ここからは私の仕事だ」


「お母様……?」


エラーラは、懐から数本の試験管と、複雑な魔方陣が描かれた布を取り出した。


「彼女たちは、医学的には死んでいる。内臓は損傷し、脳への酸素供給も止まっている。……だがね」


エラーラは不敵に笑った。


「魂の『座標』は、まだこの近くにある。シリウス君の攻撃は物理的すぎた。魂までは壊せていない。ならば、私の『魔導医学』で、肉体を再構築し、魂を定着させればいい」


エラーラが詠唱を始める。

それは、神の御業を冒涜するような、禁断の蘇生術。


「術式展開。『生体復元』」


まばゆい光が、遺体たちを包み込んだ。

裂けた腹部が塞がり、失われた血液が生成され、止まっていた心臓が再び鼓動を始める。


「……う……ん……?」


アニーが、目を開けた。


「……あれ? ナラティブさん……?」


「アニー……!」


ナラが駆け寄る。

クララも、ユリアも、まるで眠りから覚めたように起き上がった。


「成功だね」


エラーラは汗を拭った。


「肉体も、精神も、完全に復元した。ついでに、襲われた瞬間の恐怖の記憶だけ、綺麗に消去しておいたよ。彼女たちは『道で転んで気絶していた』と認識するだろう」


「お母様……!」


ナラは、涙ぐみながらエラーラを見た。


「ありがとう……!やっぱり、お母様こそが本当の『天才』よ!」


シリウスが求めてやまなかった「天才」の称号。

それは、破壊する者ではなく、「理不尽な死を覆す者」にこそ相応しい。


夜明け前。

王都警察署の正面玄関。

当直の警官が、重い音に気づいて外へ出た。


「な、なんだこれ!?」


そこには、ボロ布のように丸められた、何か巨大な「ゴミ」が転がっていた。

全身の骨が折れ、顔面が崩壊し、手足がありえない方向に曲がった男。

シリウス・ブライトだ。

彼の首には、一枚の札がぶら下げられていた。


『粗大ゴミ。取扱注意。罪状:連続通り魔、誘拐、その他多数。非常に有害ですが、丈夫なので死にません。厳重に保管のこと』


「うわぁぁぁ!シリウスだ!指名手配犯だ!」


警官たちが大騒ぎで彼を確保する。

シリウスは、「ぼく……あたま……いい……」と譫言を漏らしながら、留置所へと引きずられていった。

署の屋上から、その様子を見下ろす二つの影があった。

ナラと、エラーラだ。


「……カレルは、出てこなかったわね」


ナラが言った。


「彼はもう、関わらないと決めたのさ」


エラーラは答えた。


「『無関心』。それがシリウス君にとって一番の毒だ」


「そうね……」


ナラは、夜明けの空を見上げた。


「もう忘れましょう。あんな『キモい』男のことなんて」


二人は、朝日の中へ歩き出した。

シリウス・ブライトという悪夢は終わった。

彼は、王都の地下牢獄で、誰からも「すごい」と言われることなく、永遠に孤独な時間を過ごすことになるだろう。

それが、承認欲求に食い殺された怪物に与えられた、唯一の「居場所」だった。

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