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コミカライズ決定【5位】ヴェリタスの最終定理2 ナラティブ・ヴェリタス  作者: 王璃月
自己愛と性欲

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第2話:自己愛と性欲(2)

王都の裏路地に、一人の男が立ち尽くしていた。

元・王都騎士団筆頭騎士、シリウス・ブライト。

その碧眼の奥には、狂気じみた「正義の炎」が揺らめいていた。


「ナラティブちゃんは僕を愛していた。エラーラさんも僕の才能を認めていた。僕たちは完璧なチームだったんだ。あのアジト爆破だって、僕の機転がなければ失敗していたはずだ。なのに、なぜ……?」


シリウスの歪んだ認知機能は、自己否定を許さない。

自分が無能であるはずがない。

自分が嫌われるはずがない。

ならば、原因は外部にある。


「……カレルだ!」


シリウスの顔に、冷たい笑みが張り付いた。


「あの古臭くて才能のないカレル警部だ。彼が、僕のいないところで噂を吹き込んだに違いない。あることないこと告げ口をして、僕と二人の仲を引き裂いたんだ」


シリウスは確信した。

カレル・オータム。あの凡人こそが、僕たちの美しい絆を濁らせた「不純物」なのだ。


「可哀想なカレルさん。若い才能への嫉妬と、老いの劣等感にまみれた、哀れな老人……。僕が『救って』あげなきゃ」


シリウスは、懐から手帳を取り出した。

そこには、カレルの自宅住所、通勤ルート、好き嫌い、アレルギー情報までもが詳細に記されていた。


「復讐じゃない。これは『治療』だ。カレルさんが自ら『もう警察を辞めたい』と思い、隠居できるように導いてあげるんだ!」


翌週の月曜日。

王都警察署、捜査一課。

カレル警部は、重い足取りで出勤した。

シリウスという疫病神がいなくなり、ようやく平穏な日々が戻る……そう思っていた。

しかし、署内の空気がおかしかった。

すれ違う部下たちが、カレルを見るなり目を逸らす。ヒソヒソと話す声が聞こえる。


「……なんの話だ」


カレルが自席に向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。

彼の無骨なスチールの事務机が、一面「ピンク色」に塗装されていたのだ。

さらに、縁にはレースのフリルが装飾され、椅子の背もたれには巨大なテディベアが縛り付けられている。


「な、な、な……っ!?」


カレルは絶句し、帽子を取り落とした。


「誰だァァァッ!! ワシのデスクを汚したのはァァァ!!」


「あ、警部……」


若手の刑事が、青ざめた顔で駆け寄ってきた。


「それだけじゃないんです。今朝、署長宛てと、監察官宛てに……警部への『感謝の手紙』が500通届いています」


「感謝の手紙!?」


「はい。差出人は『カレル警部を見守る市民の会・代表S』。……内容が、その」


若手刑事が震える手で差し出した手紙の束。

カレルはそれを読み、血管が切れそうになった。


『カレル警部へ。先日は、捜査費の裏金作りのテクニックを教えてくださり、ありがとうございました!』


『勤務中に路地裏で隠れて飲んでいたウイスキー、美味しそうでしたね!』


『不倫相手の女子高生と歩いているお姿、お似合いでした!』


「ふ、ふざけるなぁぁぁ!!」


カレルは手紙を破り捨てた。


「根も葉もないデタラメだ!ワシは酒など一滴も勤務中に飲まんし、妻一筋30年だ!裏金など作ったこともないわ!」


「ぼ、僕たちも信じてます!でも、あまりにも具体的で、数が多いので……。内務調査室が『火のない所に煙は立たない』と……。警部、今日の午後から聴取です」


カレルは頭を抱えた。

S……シリウス。あの男だ。

これはただの嫌がらせではない。

「感謝」というオブラートに包むことで、警察組織のコンプライアンスを逆手に取った、極めて陰湿なリーク攻撃だ。

さらに、机の上には、パクチーが山盛りにされた弁当と、ファンシーなメモが置かれていた。


『殺風景なデスクだったので、可愛くデコっておきました!』


カレルが震える手でキーボードに触れると、


「カレルさん大好き!」


という合成音声が署内に響き渡った。

どのキーを押しても、喋る仕様に改造されていたのだ。


「……殺す。あの金髪野郎、絶対に殺す」


カレルの目から、理性の光が消えかけた。


内務調査室での厳しい尋問を終え、精神的に摩耗しきったカレルが帰宅したのは、深夜1時だった。

彼は、郊外の古いアパートの2階に住んでいる。

薄い壁と、軋む床。だが、ここだけが彼の安らぎの場所だった。


「……疲れた。今日はもう寝よう」


カレルが鍵を開けようとした時。

隣の部屋のドアが勢いよく開き、エプロン姿の男が現れた。

カレルは心臓が止まりそうになった。

シリウスだ。

彼は新妻のようなフリフリのエプロンを着け、手には鍋を持っている。


「貴様、なぜここにいる!」


「引っ越してきました!カレルさんが一人で寂しいだろうと思って!ご近所付き合いって大事ですよね。これ、引越しの挨拶の『特製シチュー』です。カレルさんの健康を考えて、マンドラゴラの根っことスライムの干物を煮込んでおきました!」


鍋の中身は、ドス黒い紫色をしており、ボコボコと泡を吹いている。

異臭が鼻をつく。


「ふざけるなッ! 近寄るな!」


カレルは自分の部屋に逃げ込み、鍵とチェーンをかけ、さらにタンスをドアの前に動かした。

心臓が早鐘を打っている。

職場だけでなく、プライベートな空間まで侵食された。

逃げ場がない。

だが、本当の地獄はこれからだった。

深夜3時。

ようやく浅い眠りについたカレルの耳に、壁の向こうから不気味な音が聞こえてきた。

太鼓のようなリズム。そして、朗々とした歌声。


あぁ~神よ~救いたまえ~

隣に住む~哀れな老人~カレルを~


「……な、なんだ?」


罪を許して~天国へ~連れて行って~

警察クビになっても~ 僕が介護するから~


音楽ではない。「祈り」だ。

シリウスが、壁に向かって大音量でカレルのための祈りを捧げているのだ。


「うるさーーーい!今何時だと思っとるんだ!」


カレルは壁を拳で叩いた。

すると、隣からシリウスの嬉しそうな声が返ってきた。


「カレルさん!起きてたんですね!リズムを取ってくれるなんて!セッションですね!もっと大きな声で歌います!」


さらに、「聖なる鐘の音」まで追加され、部屋全体が共鳴し始めた。

カレルは布団を頭から被り、耳を塞いだが、その歌声は魔力に乗って脳内に直接響いてきた。


「やめてくれ……誰か、助けてくれ……」


名刑事と呼ばれた男が、アパートの片隅で震えていた。


翌朝。

一睡もできなかったカレルは、ふらつく足取りでゴミ出しに向かった。

目の下には濃いクマができ、肌は土気色だ。

ゴミ捨て場には、近所のマダムたちが集まって井戸端会議をしていた。

カレルは挨拶しようとした。


「お、おはようござい……」


しかし、マダムたちはカレルを見た瞬間、露骨に顔をしかめ、サッと距離を取った。

そして、聞こえよがしにヒソヒソと話し始めた。


「ほら、あの人よ……」


「嫌だわ、目が血走ってる……」


「シリウスさんが言ってたわ。『毎晩、壁に向かって呪いの言葉を吐いていて怖い』って」


「『夜中に怪しい薬の調合をしている』って噂も本当かしら」


「あの素敵なシリウスさんが、涙ながらに『僕が命がけで監視しますから、皆さんは逃げてください』って……」


「な……!?」


カレルは言葉を失った。

逆だ。全部逆だ。

しかし、シリウスの美貌と愛想の良さ、そして「元筆頭騎士」という肩書きは、主婦層への殺傷能力が高すぎた。

たった一晩で、シリウスはこのアパートの「良心」となり、カレルは「危険人物」に仕立て上げられていたのだ。


「カレルさん! ゴミは分別してください!」


町内会長が、カレルのゴミ袋を突き返してきた。


「え? ちゃんと燃えるゴミですが……」


「嘘おっしゃい!シリウスさんが確認してくれたのよ。中から、『呪いのわら人形』と『違法薬物の空き瓶』が出てきたって!」


もちろん、シリウスが夜中にこっそり混入させたものだ。


「ち、違います! ワシはそんなもの……!」


「言い訳は結構です!もう、この町内から出て行ってください!不潔です!」


ゴミ袋を抱え、逃げるように部屋に戻るカレル。

カーテンの隙間から、隣のベランダにいるシリウスが見えた。

彼は、優雅に紅茶を飲みながら、カレルに向かってニッコリと手を振った。


それから3日が経過した。

カレルは限界を迎えていた。

職場では「変態ピンク警部」と呼ばれ、家では「騒音の悪魔」として石を投げられ、食事はコンビニのパンのみ。

精神は崩壊寸前だった。


「……逮捕だよ……もう我慢ならん。奴を公務執行妨害とストーカー規制法違反、名誉毀損で現行犯逮捕する」


カレルは、最後の力を振り絞り、自身の尊厳を取り戻すための戦いに出た。

まずは証拠固めだ。

シリウスが自分につきまとっている証拠を押さえる。

夜の公園。

カレルは、公衆トイレの個室に入ったフリをして、待ち伏せをした。

シリウスは必ず現れるはずだ。


「……カレルさん」


個室のドアの上から、ひょっこりと顔が出た。


「うわぁぁぁっ!?」


カレルは腰を抜かした。

シリウスが、上から覗き込んでいた。双眼鏡を持って。


「大丈夫ですか?心配で……。ちゃんと記録取っておきますね!」


「貴様ァァァ!! 覗き見するなァァァ!!」


カレルが個室から飛び出す。

シリウスは、悲しげな顔でカレルを見つめた。


「そんなに怒らないでください。カレルさん、最近顔色が悪いですよ? 運気もどん底です。まるで、闇に飲み込まれそうだ」


「誰のせいだと思っている! 全部お前のせいだ!」


「分かりました。僕が守ってあげます。カレルさんの人生が、これ以上『暗く』ならないように……」


シリウスが指を鳴らした。


「『聖女の守護』!」


瞬間、カレルの身体が、直視できないほどの猛烈な輝きを放ち始めた。


「うわぁっ!眩しい?」


カレル自身が、電球になったかのように発光したのだ。

夜の公園が、真昼のように照らされる。

公園にいたカップルやホームレスが、光に驚いて逃げ惑う。

カレルは自分の手を見た。

皮膚が発光している。瞼を閉じても、網膜が焼けるほど明るい。

これでは眠ることも、隠れることも、張り込み捜査も不可能だ。


「どうですか、カレルさん!これなら、あなたの人生は、文字通り『輝いて』いますよ!」


「……」


カレルの脳内で、何かが焼き切れる音がした。


「シリウス・ブライトォォォ!!」


カレルは、発光しながらホルスターから拳銃を抜いた。

もはや刑事の理性など残っていない。

ただの、光り輝く発狂したおじさんだ。


「公務執行妨害!……ワシのささやかな日常を破壊した罪で、現行犯逮捕する!動くな!撃つぞ!」


カレルは銃口をシリウスに向けた。

その姿は、神々しくもあり、滑稽でもあり、何より悲壮だった。

シリウスは、きょとんとしていた。

そして、みるみるうちに、その碧眼に大粒の涙を浮かべた。


「……逮捕?僕を? どうして?」


「どうして!?貴様の陰湿な嫌がらせのせいで、ワシの生活はめちゃくちゃだ!」


「嫌がらせ……?……ひどいよ、カレルさん!」


シリウスは、本気で傷ついた顔をした。

演技ではない。彼の歪みきった脳内では、全てが純粋な「善意」なのだ。


「僕は、あなたが職場で人気者になるようにデスクを可愛くして!寂しくないように隣に住み!健康を気遣ってシチューを作り!毎日あなたのために祈り!こうして夜道の安全まで確保したのに!」


シリウスは、悲劇のヒロインのように天を仰ぎ、雨に濡れた頬を涙で濡らした。


「ああ、なんてことだ。僕の愛は、凡人には高尚すぎたんだ。カレルさんの小さな器では、僕のあふれる光を受け止めきれなかったんだね……。恩を仇で返されるなんて……!」


「黙れ!もう、御託はいい!」


カレルが詰め寄る。

その瞬間、シリウスの姿が掻き消えた。

元騎士の神速の動き。

彼はカレルの背後に回り込み、耳元で優しく囁いた。


「……カレルさん。あなたは今、興奮して正常な判断ができていません。きっと、疲れているんですね」


「貴様……どこへ行く気だ!」


「僕は旅に出ます。……でも、安心して。僕の『祝福』は、ずっとあなたと共にありますから」


シリウスは、光の粒子となって夜空へと舞い上がった。



翌日。

カレルは、「謎の発光現象」により、無期限の自宅待機を命じられた。

アパートの住人からは「電球じじい」と呼ばれ、窓には遮光カーテンを何重にも貼らなければならなかった。

彼は、部屋の隅で膝を抱え、自分の発する光でできた影を見つめていた。


ヴェリタス探偵事務所。

エラーラとナラは、新聞の三面記事にある

『光る警官、深夜の公園で発砲騒ぎ』という見出しを見ていた。


「……やったわね、シリウス」


ナラが、呆れたように言った。


「あいつ、あたしたちに復讐できないからって、一番弱いカレルを壊しに行ったわね。ほんと、陰湿な男」


「興味深い症例だねぇ」


エラーラは、コーヒーを啜りながら、モニターに映るカレルの生体データを眺めていた。


「自分を正当化するために、他者を『弱者』に仕立て上げ、それを世話する自分に酔う。……典型的な『代理ミュンヒハウゼン症候群』の変異型だよ」


「助けてあげる? お母様」


ナラが尋ねる。カレルとは、それなりに長い付き合いだ。

エラーラは、首を横に振った。


「放置だ。カレル警部も良い勉強になっただろう。『無能な味方』こそが、最大の脅威であるということをね」


カレル・オータムは、今日も光り続けている。

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