第2話:薬物依存について(2)
王都の狂騒は、もはや肉体という器に飽き足らなくなっていた。
次に王都を襲ったのは、さらに質の悪い、「精神の美しさ」という名の病だった。
ここでいう「美しさ」とは、高潔な倫理観や慈愛のことではない。逆境、清貧、そして「壊れた心」のことである。若者たちの間では、自らの人生をいかに惨めに、いかに救いようのない空虚へと叩き落とすかの自傷行為が、最先端のファッションとなった。
「見て、あの子。安酒と、家畜用の抗不安薬をチャンポンにして飲んでいるわ。なんて『純粋な魂』をしているのかしら」
街のいたる所で、若者たちは自らを白痴の貧乏人へと変貌させることに心血を注いだ。彼らは輝かしい未来をドブに捨て、わざと汚れたボロ布を纏い、言葉を失い、ただ虚空を見つめて虚無を気取った。
それを、大人たちは手放しで賞賛した。
「精神を病んだ若者が、この残酷な世界で健気に、何も考えずに生きている。なんて尊い光景なんだ……おだてたらヤれそうだし……」
大人たちは上辺だけの同情と、自分たちはまだ「まとも」であるという優越感を混ぜ合わせ、その退廃を「現代の聖性」として祭り上げた。
ナラは、そんな王都の風景を、焼きたてのパンを噛み締めながら冷ややかに見つめていた。
彼女は「健康」という、今の王都では最も「ダサく、世俗的」とされる行為の虜になっていた。規則正しい生活、十分な睡眠、バランスの取れた食事。流行の最先端を行く若者たちから見れば、彼女は「魂の汚れを知らない、つまらない健康マニア」に過ぎなかった。
「お母様、見てご覧なさい。あの若者たち、昨日は洗浄液をショットグラスで飲んでいましたわよ。美学のために脳を漂白するなんて……到底理解できませんわ」
ナラは、心配そうに窓の外を指差した。
街では、若者たちの流行に遅れまいと、ついに大人たちまでもが「オーバードーズ」という趣味に手を出し始めていた。脂ぎった中年男性や、皺を塗り固めた中年女性が、若者たちのグループに混ざり、朦朧とした意識を演出して「自分も病んでいる」とアピールし始めたのである。
「心配いらないよ、ナラ君。この問題は、もう解決済みだ」
エラーラは、スコーンにたっぷりの蜂蜜をかけながら、穏やかに言った。彼女の瞳にはすべてを見通したような確信があった。
「解決?お母様、街中にヤク中の大人が溢れかえっていますのよ。これがいったい、どうして解決に向かっていると言えるのですか?」
「ナラ君?流行を殺すのはいつだって『追随者』なんだよ。特に、若者文化に、その文脈を理解しない大人が『若作り』して割り込んできた時、その文化は致命的に『ダサく』なる。……見てごらん、あの地獄絵図を」
エラーラが指差した先には、若者たちが冷めた目で見つめる中で、必死に「薬でラリっている自分」を演出して踊り狂う、老けたおじさんと老けたおばさんたちの醜態があった。
若者たちは、自分たちの「聖なる清貧」を、大人たちが単なる「新しい遊び」として消費していることに、耐え難い不快感を抱き始めていた。
「……キショすぎんだろ……。あんな風になりたくないわ……」
一人の若者が呟き、手に持っていた薬をゴミ箱に捨てた。若者たちにとって、若作りの大人に猿真似をされることは、死よりも屈辱的なことだったからだ。
しかし、事態は「ダサい」という感情だけで終わるほど甘くはなかった。
流行に必死で食らいつこうとする、いわゆる「痛い大人たち」は、過去の教訓を一切学んでいなかった。彼らにとって、数カ月前に流行った「マン・ジャーロ」も、その後に流行った「マン・デッド」も、そして今流行っている「大量服薬」も、すべて同じ「おくすり」というカテゴリに分類されていた。
「若者諸君!見ていたまえ!私は君たちよりもずっと深く、この『おくすり』の深淵を理解している!私は君たちよりも先に知り尽くしていたぞ!」
一人の、派手なブランド物の服をパツパツに着込んだ中年男性が、路上で叫んだ。彼は、若者たちの関心を惹こうと、禁忌のデモンストレーションを始めた。
彼の手には、倉庫の奥で売れ残っていた「マン・ジャーロ(痩せ薬)」のアンプルと、「マン・デッド(太り薬)」の錠剤、そして現在の流行である「脳を溶かす向精神薬」が握られていた。
「君たちのような若者には思いつくまい!これこそが、大人の余裕だ!過去の遺産と、現在のトレンドの融合だよ!」
彼は、それらを一気に口の中に放り込み、強い酒で流し込んだ。
ナラは、その光景を見て悲鳴を上げた。
「あれ、混ぜたら絶対にマズいですわよ……」
エラーラは、静かにミルクティーを啜った。
「そうだね。化学的に言えば、排出バルブを開きながらの超高圧充填して、それを制御する回路を焼き切るという、自殺を芸術にまで昇華させた行為だ。……計算してみるかい?」
「この式が示す通り、耐圧限界は、限りなくゼロに近づく一方で、体内圧力はデッドとジャーロの相乗効果で……」
次の瞬間。
「痛いおじさん」の身体が、虹色の閃光と共に「ブリブリ」と音を立てて弾け飛んだ。
彼の肉体は、魔力の暴走に耐えきれず、自らの「痛さ」と「ダサさ」を四散させるようにして、霧散した。
これを合図に、王都の各所で同様の爆発が発生した。
若者に媚び、流行に取り残されまいと必死だった大人たちが、売れ残った過去の薬物を「若者に見せつけるように」大量服薬し、次々と爆死していったのである。
爆発の余波が収まり、王都を覆っていた退廃的な空気は、皮肉にも大量の「肉片の雨」によって洗い流された。
ナラとエラーラは、翌朝、清々しい空気の中でベランダへ出た。
通りには、自爆した大人たちの残骸が転がっていたが、それを片付けている若者たちの顔からは、あの不気味な「白痴のフリ」が消えていた。
「……みんな、目が覚めたみたいですわね」
ナラがそう呟くと、一人の若者が、かつて愛用していた薬のアンプルを粉砕しながら言った。
「キモい大人たちと同じにされたら、やってらんないよ……」
エラーラは、満足げに微笑んだ。
「どんなに恐ろしい不条理も、どんなに有害な流行も、『ダサさ』という強毒の前では無力なんだよ」
「痛いおじさん」と「痛いおばさん」が文字通り全滅し、王都は驚くほど静かになった。
若作りをしてまで若者の絶望を食い物にしようとした者たちが、自らの不勉強と虚栄心によって「自爆」という形で退場したことで、王都の空気はかつてないほど浄化されたのである。
ナラは、大きく背伸びをした。
「結局、一流のあたしが選んだ『健康』こそが、最も息の長い勝利を掴んだわけですわね!」
「そうだね、ナラ君。だけど、あんまりそれを自慢しすぎると、君もいつか『痛い大人』の仲間入りをするかもしれない。気をつけなさい」
エラーラの忠告に、ナラは苦笑いしながらも、丁寧に淹れられた緑茶を一口飲んだ。
王都は、少し平和になった。
薬物にまつわる混乱は、人々の脳が物理的に弾け飛ぶという凄惨な結末によって幕を下ろした。だが、残された者たちは、自らの肉体で、そして自らの精神で、一歩ずつ歩き出すことを学び始めていた。
「さて、お母様。お掃除が終わったら、公園までウォーキングに行きませんこと?」
「ふふ、いいね。でも、私はこのままで十分だよ。流行に流されないこと、それこそが私の健康法だからね」
ヴェリタス家の食卓には、今日も平和な、温かな笑い声が響いていた。




