第1話:爆発屋さん(1)
私は、すべての人間に嫌われている。
原因は、私が他人を信じない点にある。
そもそも「信じる」とは、他人に自分の妄想を押し付ける行為だ。
多分、座る時に椅子を引かないだろう。
多分、後ろから殴ってこないだろう。
多分、見てない時に盗まないだろう。
このように、「そうだったらいいな」と勝手な願望を押し付けることを「信じる」と呼ぶ。
それは甘えだ。精神的な依存だ。
他者が自分の期待通りに動くなどという『奇跡』を前提に生きるなど、私には到底耐え難いリスクである。
私は、人間の本性は「自腹を切ってでも加害をすること」と知っている。
人間は、猿や鳥並に知能が高いため、生存のためではない趣味としての加害をするのだ。
損得勘定ではない。
ただ、他者が爆発する様を見たいがために、自己の利益すらドブに捨てる。それが「悪意」という名の娯楽だ。
私は、誰も信じなかった。
だから、わたしは、好かれなかった。
他人を爆発させて、自分を爆発させる人は、危険なのだ。
だが。危険には、あぶない魅力がある。
好かれないことは、孤独であることを意味しないのだ。
それは「自由」であることを意味する。
誰の期待も背負わず、誰にも期待せず、ただ世界という巨大な不条理の中で、私という個体が単独で呼吸をしている。
……ああ、なんて退屈なのだろう。
誰も信じず、誰からも干渉されない世界は、あまりにも静かで、あまりにも空虚だ。
内側から腐っていくような、甘ったるい退屈。
何かが足りない。
決定的な破綻が、不可逆的な崩壊が、私のこの腐りかけた日常には欠けている。
だから、私は、爆発する。
あるいは、爆発を求めて、今日も死んだ魚のような目で空を見上げるのだ。
・・・・・・・・・・
北都。
大陸の最北端に位置するこの地は、白い地獄だ。
猛吹雪が窓を叩き、世界を白一色に塗り潰そうとしている夜。
ヴァンクロフト家が所有する要塞のような別荘のリビングで、暖炉の火だけが赤々と燃えていた。
【日記】を万年筆で書き終えたリウ・ヴァンクロフトは、重厚な革表紙をパタンと閉じると、最高級の茶葉で淹れた紅茶を一口啜った。
そして、肺の中の空気をすべて吐き出すような、深いため息をついた。
「……はぁ。ニーナ。なんだか空気が澱んでましてよ」
部屋の隅に控えていた新米メイドのニーナは、ビクリと肩を震わせた。
「えっ?空調は正常ですが……。フィルターも昨日交換したばかりですし、湿度も完璧に保たれております」
リウは、優雅にカップをソーサーに戻した。
その動作一つ一つが絵画のように美しい。黄金の髪、揺れるライオンの耳、そしてスカートの下から覗くしなやかな尻尾。
だが、その黄金の瞳は、どこまでも虚ろで、天井の木目を通り越して、虚空の彼方を見つめていた。
「物理的な空気の話ではありませんわ。世界の『密度』が高すぎるのです。生き物が、多すぎるせいかしら。呼吸音がうるさい。心臓の音が耳障り。他人の思考が電波のように飛び交って、私の中身を侵食してきますの。……ああ、ニーナ。私の頭をかち割って、脳みその汗を拭き取ってくださいまし。今、猛烈にセンチメンタルな気分ですの」
ニーナは冷や汗を流した。
(……また始まった)
この女主人の「センチメンタル」は、常人のそれとは訳が違う。
詩集を読んで涙を流すような可愛らしいものではない。
リウは、自身の白く細い指先を照明にかざし、うっとりと呟いた。
「この指先が、何か柔らかいものを引き裂きたがっていますの。退屈すぎて……なんだか、人を殺さないといけないような気持ちになるんですの。ニーナ、貴女はありませんこと?
目の前に人がいたら、『ああ、この人の温かい内臓を引きずり出して、冷ましてあげたいなあ』って、思いませんこと?」
「お、お嬢様!?怖いこと言わないでください!内臓は体の中にあるのが一番幸せなんです!」
「子供がいたら優しくしますわ。か弱い仔猫がいたらミルクをあげますわ。でも、目の前に、自分より強そうな『殴る用の人』がいたら、まず、ぶん殴りますわよね?……そういう、生理現象に近い『義務感』ですわ」
リウは、テーブルの上のペーパーナイフを手に取った。
鋭利な刃先が、暖炉の火を反射してギラリと光る。
「三流の生き様は、弱い人間だけを狙う通り魔ですわ。美しくありません。一流の生き様は、自分より強い人を付け狙う喧嘩師ですわ。破壊とは、対等かそれ以上の存在への敬意あるアプローチですもの。ああ、誰か、私の手で赤い花火になってくれないかしら……。そうすれば、この世界の澱んだ空気も、少しは浄化される気がしますのに」
ソファでミステリ小説を読んでいた探偵、ナラティブ・ヴェリタスが、顔も上げずに言った。
「リウ?アンタのそれは『センチメンタル』じゃなくて『殺人衝動』って言うのよ。とりあえず、そのナイフを置きなさい。テーブルが傷つくわ」
リウの手には、いつの間にかペーパーナイフが握られており、テーブルの天板に深々と突き立てられていた。
ミシッ、という嫌な音がする。
「あらあら、ごめんなさい。無意識でしたわ。手が滑って、テーブルの心臓を狙ってしまいましたのね」
リウは悪びれもせず微笑んだ。
その笑顔は、天使のように無垢で、悪魔のように残酷だった。
その時。
堅牢なドアの向こうからチャイムが鳴り響いた。
「……おや?こんな嵐の夜に?」
モニターには、雪にまみれて倒れそうな男の姿が映っていた。
遭難者だ。
「入れて差し上げて、ニーナ。剥製にしますわよ」
ニーナは慌てて玄関へ走り、男を招き入れた。
リビングに通された男――ギフト・カオスは、リウとナラティブの姿を確認するなり、勝ち誇った顔で濡れたコートを脱ぎ捨てた。
「動くな! 全員、その場を動くな!」
ギフトの体には、毒々しい赤や青の配線がうねるプラスチック爆弾ベストが巻き付いていた。
さらに、彼は素早い動きでニーナを取り押さえ、その手首に手錠型の爆弾をセットした。
「ひぃっ!?」
ニーナが悲鳴を上げて座り込む。
ギフトは、この瞬間のために生きてきた。
孤独な爆弾魔として、社会への復讐として、富裕層の令嬢を恐怖のどん底に叩き落とす。
その歪んだ承認欲求が、彼の目を血走らせていた。
「さあ、デス・ゲームを始めようか!」




