第1話:君の命を奪う者(1)
今や、王都市民の誰もが息を潜めている。
なぜなら、目立つことは「死」を意味するからだ。
断罪。断罪。断罪。
人々は互いに「価値のない人間」を指差し、切り捨てることを競い合った。
それは、社会全体による緩やかな自殺だった。
そしてついに、この国には「国王」ただ一人だけが残り、それ以外の全市民は「無価値」とされ、城壁の外へと追放された。
王は玉座で、頬杖をついていた。
『……退屈だ』
王の周りの魔導モニターに映るのは、「過去」の残滓だ。
『余を楽しませろ。余に価値を示せ。期待外れな者は切り捨てる。それが洗練というものだ』
城壁の外。
そこは、王によって「無価値」と断じられた人々が捨てられた、絶望の吹き溜まり……のはずだった。
「おい!そこのパン屋!火力が足りねえぞ!俺が火を付ける!」
「るせえ!廃材が湿気てんだよ!俺の油を使え!」
「焦げた匂いで酒が進むわ!歌うぞ!踊るぞ!」
泥と熱気。怒号と笑い声。
そこには、無秩序で、非効率で、だが、しかし。
圧倒的な「現象」が渦巻いていた。
その中心にある瓦礫の山。
そこに、ナラティブ・ヴェリタスは仁王立ちしていた。
「いい?アンタたち!よく聞きなさい!」
ナラティブが鉄扇を広げると、数万の「無価値」たちが静まり返り、彼女を見上げた。
「城の中を見てみなさい!あそこは墓場よ!王様は『楽しませろ』って口を開けて待ってるだけの死体よ!」
ナラティブの声が、灰色の空を切り裂く。
「『無価値』……結構じゃない!そんなもん、死んだ人間が決めたモノサシよ!」
ナラティブは、群衆の中にいた一人の老婆を指差した。
彼女はかつて、伝説的な大女優だったが、事故で顔に大きな傷を負い、「無価値」と王都を追放された女だ。
「女優!アンタ、顔を切り裂かれて、絶望して、死のうとしたわよね?」
老婆は震えながら頷いた。
だが、彼女は今、煤だらけの顔で、誰よりも大きな声で笑っている。
「でも、アンタは今、ここでパンを焼いて、笑ってる!なぜなら、『生きた方が楽しい』って、魂が知ってるからよ!」
ナラティブの言葉に、老婆の目から涙が溢れた。
「あたしの知り合いにもいるわ。足を切断されて、二度と走れないと言われた選手が。彼は今、義足をつけて、誰よりも美しく走り回ってる!人間が生き続けるのは、『生きた先に、まだ見ぬ楽しいことがある』って確信してるからよ!」
ナラティブは、群衆を見渡した。
「楽しみはね、誰かに与えてもらうもんじゃない!自分で汗をかいて、血を流して!生きた果てに掴むものなのよ!」
ナラティブの演説に応えるように、廃棄場の巨大なスクラップの山が爆発した。
噴煙の中から飛び出してきたのは、白衣をバサバサと翻し、ボサボサの銀髪を逆立てた女――エラーラ・ヴェリタスだった。
その目はカッと見開かれ、全身から放電するかのような狂気的なエネルギーを放っている。
「生命は、エネルギーを取り込み、排出し、変化し続ける状態のことだ!止まった瞬間に、安定した瞬間に、それはただの物質になる!」
エラーラは、空中からビシッと王城の方角を指差した。
「他人を切り捨て、選別し、自分にとって都合の良いものだけを残す行為!それは『高尚』なのではない!『私は自分一人では退屈を紛らわすこともできない』という、敗北宣言だ!」
エラーラは着地し、その衝撃で地面を揺らした。彼女は興奮して早口でまくし立てる。
「他者に自分の命を依存し、自分は安全圏から評論を続けることは、それは、生きることを放棄した者の戯言だ!死んでいるんだよ!生きる気がないなら、殺されても文句は言えない!」
「お母様!準備はいい!?」
ナラがニヤリと笑うと、エラーラは白衣のポケットから、怪しげなスイッチを取り出した。
「いつでもいいぞ!ナラ君!この死に絶えた世界に、特大の『いたずら』を叩き込んでやろうじゃないか!私の計算では、このパレードの熱量は、王城の物理的防壁を突破する!」
それは、革命ではなかった。
戦争ですらなかった。
ただの、巨大で、騒がしくて、迷惑な「祭り」だった。
「撃てぇぇぇッ!!」
パン屋が、巨大な投石機で「焼き立てのパン」を城壁に撃ち込んだ。
大工たちが、即席で作った巨大な木馬に乗って、城門へ突撃した。
歌手たちが、拡張魔導器を使って、王都中に「下手くそだが魂の震える歌」を響かせた。
王都の完璧な静寂が、暴力的なまでの「生」によって塗り替えられていく。
王城の玉座の間。
モニター越しにその光景を見ていた王は、震えていた。
『貴様ら、無価値の分際で!やめろ!余の城が汚れる! 余の静寂を乱すな!衛兵!衛兵はいないのか!』
王は叫んだ。だが、誰も動かない。
王城を守る自動人形たちは、エラーラのハッキングによって、全員でラインダンスを踊り始めていた。
『ば、馬鹿な……!余は完璧なはずだ!価値のないものを排除し、純粋な世界を作ったはずだ!なのに、なぜ……なぜあいつらの方が、輝いて見えるのだ!?』
王の心に、今まで感じたことのない感情が生まれた。
それは「敗北感」であり、そして強烈な「嫉妬」だった。
泥だらけで、傷だらけで、不細工な彼らが、どうしようもなく羨ましかった。
怒っているだけの猛獣の檻に、誰も近寄らなかった理由が、今やっと分かった気がした。
轟音と共に、玉座の間の扉が粉砕された。
砂埃の中から現れたのは、ナラティブ・ヴェリタス。
彼女はドレスの裾を破り捨て、肩で息をしながら、王の前に仁王立ちした。
「……ひ、ひぃぃ……!く、来るな! お前たちには価値がない! 排除する!」
王は震えながら、玉座の背もたれにしがみついた。
「……ねえ、王様」
ナラティブは、王の目の前に顔を近づけた。
その瞳は、猛獣のようにギラギラと輝いていた。
「アンタ、今、怖い?」
「あ……あ……」
「心臓、バクバクしてる?」
「う、うるさい……! 殺すぞ!」
ナラティブは笑った。
「おめでとう。アンタ、今やっと『生きた』わよ」
「貴様は今まで、安全な観客席から高みの見物を決め込んでいた!」
ナラティブの後ろから、エラーラが飛び出した。
彼女は助走をつけて、王に向かってドロップキックの体勢に入っていた。
その顔は、歓喜に歪んでいた。
「だが、観客席はもうない!ここはステージだ! リングだ! 泥沼だ!楽しませてもらおうなんて思うな!貴様もプレイヤーとして、無様に踊り、叫び、現象の一部になれ!」
「グェッ!」
エラーラの蹴りが、王の横腹に直撃した。
王は無様に玉座から転がり落ち、床を転がった。
「見ろ! これが『現象』だ!」
エラーラは、玉座の上で高らかに叫んだ。
「この老人は、自ら動くことをやめた!だから、より強く、より速く、より面白い『現象』に席を譲ることになったのだ!」
王は、床に這いつくばりながら、涙目で叫んだ。
『無礼者!余は王だぞ!皆を楽しませてきた偉大な王だぞ!余には価値がある!歴史が証明している!』
「歴史?」
ナラティブは、冷ややかな目で見下ろした。
「勘違いしてるみたいだから教えてあげる。『楽しませてみろ』なんて横暴な口を利いて、周りが喜んで頭を下げる相手なんて、世界に一種類しかいないわ」
ナラティブは、背後の広場――パレードで乱痴気騒ぎをする人々を指差した。
「それはね、今この瞬間、皆を楽しませて『いる』アーティストだけよ」
「ピエロを見てみなさい。教師を、釣り人を、農家を、あらゆる『生きている人』を見てみなさい。彼らは自分『で』楽しんで、他人を楽しませるために汗をかいて、その結果、自分自身が一番楽しそうに笑ってる。彼らは『現在進行形』で価値を生んでいるわ」
ナラティブは王の鼻先に指を突きつけた。
「でも、アンタは『過去』に偉かった。『昔』は功績があった。そんなカビの生えた肩書にすがってるだけの老人に、誰が熱狂するの?皆を楽しませて『きた』だけの過去形の人間なんて、たとえ国王だろうと、最終的には蹴り飛ばされる運命なのよ!」
王は、言葉を失った。
目の前の少女たちが、そして城に雪崩れ込んできた民衆たちが、あまりにも「圧倒的」だったからだ。
彼らは、王の評価など気にしていない。
ただ、生きる喜びを爆発させているだけだ。
そのエネルギーの前では、王の権威など、嵐の前のロウソクのように無力だった。
「……う、ううぅ……」
王は泣き出した。
悔しさか、情けなさか、それとも恐怖か。
彼は初めて、鎧を脱いだ一人の人間として、床に涙をこぼした。
それは、「生きる」という義務を放棄していた自分への、弔いのような涙だった。
ナラティブは、泣き崩れる元・王を見下ろした。
「……ほら、立ちなさいよ」
ナラティブは、手を差し伸べ……なかった。
代わりに、落ちていた道化師の赤い鼻を、王の前に放り投げた。
「アンタの人生、ここからがスタートよ。肩書も、権威も、全部なくなった。誰もアンタのご機嫌取りなんてしてくれない。アンタは今、正真正銘の『無価値なゴミ』になった」
ナラは、太陽のように笑った。
「だからこそ! やっと『自分の足』で面白さを探しに行けるじゃない!芸人になって滑り倒すのもいい。パンを焼いて焦がすのもいい。……誰かを楽しませようとして、必死に汗をかいてみなさいよ。あざ笑うんじゃなくて、一緒に笑ってみなさいよ!」
王は震える手で、赤い鼻を拾い上げた。
今まで「楽しませろ」とふんぞり返っていた彼が、初めて
「楽しませる側」の道具を手にしたのだ。
「フム! そうと決まれば実験だ!」
エラーラが、王の背中をバシッと叩いた。
「君には『王様の失敗談』という、最高のネタがある!さあ、スラムの酒場で漫談でもやってみたまえ!ウケる保証はないが、少なくとも玉座で腐っているよりは、脳細胞が活性化するはずだぞ!それが『生きる』ということだ!」
王は、よろよろと立ち上がった。
その足は震えていた。
だが、その目には、恐怖と、不安と、そして微かな「予感」が宿っていた。
王城は開放され、王都中が巨大な宴会場と化した。
かつて人を切り捨て合っていた市民たちも、ナラティブたちに巻き込まれ、もみくちゃになりながら踊り狂っている。
「……やれやれ。結局、ただの宴会になっちゃったわね」
ナラは、バルコニーの手すりに腰掛け、眼下の騒ぎを眺めた。
「フム! 素晴らしいカオスだ!」
エラーラは、ボサボサの髪を風になびかせ、ナラティブの隣に立った。
その瞳は、実験に成功した子供のように輝いている。
「ナラ君!見たまえこのエントロピーの増大を!これこそが生命だ!」
ナラは笑いながら、エラーラの白衣についた煤を払った。
「でも……そうね。あたしたちは、優秀じゃなくていい。『価値』なんて、誰かが決めた数字に縛られなくていい」
ナラは、空を見上げた。
「ただ、誰かの『介護』を待つんじゃなくて。自分の足で立って、笑って生きていく」
ナラは、エラーラの手を強く握った。
「……それだけで、人間ってのは価値があるのよ!」
王は、この『茶番』の正当性を、よく理解していた。




