第4話:孤独な猛獣(4)
私は、グリゼルダの墓碑と化した爆心地に立っていた。
「……見事なものね」
私は、煤けたドレスの裾を払いながら、思わず呟いていた。
隣で計測器を片付けているエラーラが、意外そうに眉を上げる。
「ほう。珍しいね、ナラ君。あんな愚か者を褒めるのかね?」
「褒めてはいないけど、認めざるを得ないわ」
私は、遺体の周りを見渡した。
隣の家の塀は焦げているが、倒壊はしていない。
死傷者はゼロ。
あれだけの熱量を放出しながら、彼女は被害を「自分の敷地内」だけで完結させた。
「あのおばさん、最期まで『助けて』とは言わなかった。誰かにすがることも、誰かを道連れにすることもなく、自分自身の魂を燃料にして、燃え尽きた。……徹底した『個』の完結には、美学すら感じるわ」
グリゼルダは、寂しく、惨めで、軽蔑すべき女だった。
だが、彼女は決して他者に依存しなかった。
誰かに媚びることもなく、最後まで傲慢に、孤立したまま死を選んだ。
それは、一周回って「ダークヒーロー」の在り方だ。
誰にも理解されず、誰の助けも借りず、たった一人で完結する物語。
「あたしがわざわざ過去へ飛んでまで彼女を調べたのは、あたしの中にもある『他者への拒絶』と『絶対的な自負』。その果てが、あの赤い塔だったから」
私は、炭化した彼女の骸に、無言で敬礼を送った。
その時だった。
私の感傷的な分析を、生理的な嫌悪感で塗り潰すような「甘ったるい振動」が、地面を伝わってきたのは。
「……空気が変わったわ」
私は鉄扇を構えた。
グリゼルダの爆発跡地に残っていた、乾いた焦燥感のある熱気。
それが急激に湿り気を帯び、腐った果実のような甘い匂いに書き換えられていく。
通りの向こうから「青い津波」が押し寄せてきた。
水ではない。
発光する青いスライム状の粘液だ。
それは、建物を破壊するのではなく、「隙間」に入り込み、飲み込み、同化しながら広がっていた。
飲み込まれた人々が、粘液の中でトロトロに溶けながら、恍惚とした表情を浮かべている。
彼らの輪郭は崩れ、隣の人と融合し、巨大な「群体」の一部へと変わり果てていた。
私は本気で吐き気を催した。
グリゼルダの「赤」は、痛々しいがドライだった。
だが、この「青」は、粘着質で、何より、「弱い」。
粘液の中心核に、人の顔が浮かび上がった。
アガピウス。
王都で「人類みな兄弟」「壁をなくそう」と説いて回っていた、慈善活動家の青年だ。
『ナラティブさん!生きていましたか!見てください、この平和な世界を!グリゼルダさんのような悲劇は、孤独が生んだのです!僕は、壁をなくしました!すべての境界線を溶かして一つになれば、もう誰も寂しくない!』
アガピウスだったものが、青い触手を伸ばして叫ぶ。
その声は、飲み込まれた数百人の市民の声が重なった、不快なハウリングだった。
彼は、グリゼルダとは、真逆だ。
グリゼルダは、過剰な自尊心で破裂した。
アガピウスは、「自尊心の欠如」ゆえに、他者と混ざり合わなければ自我を保てなかったのだ。
『君も来たまえ!「個」であることは苦しいだろう?僕たちの中に溶ければ、孤独はないんだよ!』
青い粘液が、私に向かって触手を伸ばす。
それは攻撃ではない。「抱擁」のつもりなのだ。
善意という名の、侵略。
「……アンタ、一番嫌いなタイプだわ」
私は、避けることすらしなかった。
迫りくる青い触手を、ただ冷ややかに見据えた。
グリゼルダには、歪んでいても「背骨」があった。
だが、こいつには何もない。
自分一人で立つ強さがないから、他人を巻き込んで「大きなもの」になった気でいるだけの、寄生虫の集合体。
「え?」
アガピウスが動きを止めた。
私の全身から放たれる殺気が、物理的な圧力となって、青い粘液を押し返したからだ。
「グリゼルダはね、自分の孤独で自分を焼いたわ。それはそれで立派な最期よ。でもアンタはなによ?『寂しいから一緒に溶けて』?……甘ったれんじゃないわよ」
私は、地面を蹴った。
その一歩で、石畳がクレーター状に陥没する。
私は砲弾のように飛び出し、青い粘液の海へ突っ込んだ。
私は粘液の海を割り進んだ。
私の皮膚の表面には、強烈な拒絶の意志が展開されている。
触れてくる粘液は、私に触れた瞬間に「異物」として弾き飛ばされ、蒸発していく。
「他人がいないと自分を保てないような半端者が、あたしの前に立つな!」
私は、アガピウスの核の前に到達した。
私は、右の拳に全身全霊の「個」を込めた。
それは、私という人間の、絶対的な存在証明。
何者とも混ざらず、何者にも頼らず、大地に二本の足で立つという、宣言。
「消えなさい!」
一撃。
アガピウスの核が弾け飛ぶ。
「僕たち」という甘い幻想が、「私」という鋭利な現実に貫かれ、霧散した。
『ぎゃあああああああ!?独りは嫌だぁぁぁぁ!!』
アガピウスの断末魔が響く。
青い粘液は結合を維持できなくなり、ただの汚水となって崩れ落ちた。
飲み込まれていた人々が、ドロドロになりながらも、個別の人間として吐き出されていく。
私は、汚泥まみれになった広場の中心に、仁王立ちしていた。
ドレスは汚れたが、私の輪郭は1ミリも溶けていない。
「グリゼルダの方が、よっぽど骨があったわ」
私は、足元でピクピクと痙攣する残骸を、ヒールで踏み潰した。
夕暮れが街を覆い始めていた。
二つの厄災――真紅の垂直爆発と、蒼き粘液の氾濫――に見舞われた王都は、奇妙な静けさと、泥と灰の匂いに包まれていた。
瓦礫の山の一角に腰を下ろし、私とエラーラは缶詰を分け合っていた。
「……フム」
エラーラが、空になった缶詰を指先で回しながら、眼鏡の奥で私を見据えた。
その目は、科学者の冷徹さと、それとは異質の、奇妙な湿度を帯びていた。
「ナラ君。君は見事だ。グリゼルダのような『自滅する閉鎖』も、アガピウスのような『軟弱な同化』も、君はその圧倒的な『個』の力で否定してみせた」
「当然でしょ。どちらも美しくないわ」
「……だがね、ナラ君。『孤高』の稜線は、ナイフの刃よりも細い。一歩足を踏み外せば、そこはグリゼルダが落ちた『孤独』という名の地獄谷だ。……君のその強靭すぎる自我は、いつか君自身を焼き尽くす燃料になるかもしれないよ」
それは、珍しく感傷的な、エラーラからの忠告だった。
若き日のグリゼルダが持っていた傲慢な輝きと、今の私が持つ輝きが、酷似していることに気づいた故の警告。
「アンタは一つ勘違いしてる」
私は、ドレスの裾についた泥と、アガピウスの残骸である青い粘液を、汚いものを払うように振り落とした。
「グリゼルダは、群れから外れた『家畜』よ。だから世界という狼に怯えて、破裂した。アガピウスも、一匹じゃ何もできない『家畜』よ。だから他の個体と混ざり合おうとした」
私は、瓦礫の山の頂上に立った。
眼下に広がる、傷ついた王都を見下ろす。
明かりが灯り始め、人々が傷を舐め合いながら、また明日へと生き延びようと蠢いている。
この街は、ジャングルだ。
弱ければ食われる。賢くなければ罠にかかる。運が悪ければ、空から理不尽な暴力が降ってくる。
私は鉄扇を「パチン」と鳴らし、夕闇が迫る空に向けた。
「あたしは『猛獣』。孤独?上等じゃない。百獣の王が、なぜ、群れる必要がある?」
もし、私のプライドが私を焼く燃料になるのなら、世界を焼き尽くすまで燃えればいい。
もし、この道が地獄へ続いていたとしても、あたしはその谷底で、一番美味い肉を食らって生き延びてやる。
私は背を向けた。
エラーラが後ろで何か言いたげにしていたが、私は聞かなかった。
私は、夜の闇へと足を踏み出した。
独り。
私は、研ぎ澄まされた爪と牙だけを頼りに、この残酷で美しい世界を生き抜いてみせる。




