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ヴェリタスの最終定理2 ナラティブ・ヴェリタス  作者: Wan Liyue 王璃月
孤独な猛獣

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230/292

第2話:孤独な猛獣(2)

王都の正午。

私は、王都第4区のメインストリートを歩いていた。

手には、エラーラに頼まれた研究資材が入った鞄。

ヒールの音が、カツン、カツンと、規則正しいリズムで響く。

すれ違う馬車の車輪の音、露天商の呼び込みの声、遠くの教会が告げる鐘の音。

それらは全て、平和という名の退屈で、しかし愛すべき日常そのものだった。

私は、ふと、足を止めた。

靴紐が解けたわけではない。

野生の勘――いや、私の細胞の一つ一つが、唐突に「死」を感知したからだ。


「……」


私は、空を見上げた。

雲ひとつない青空。

だが、その青の向こう側で、何かが「割れる」気配がした。

音ではない。

気圧の急激な変動による、耳の奥の痛み。

そして、世界から色が抜けたような、奇妙な彩度の低下。

次の瞬間。

世界が、赤に塗り潰された。

予備動作も、警告も、詠唱の時間もなかった。

私の視界の端、数ブロック先の下町エリアから、それは唐突に出現した。


オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!


言葉では表現できない。

それは爆発音という概念を超えていた。

大気そのものが裂け、空間が悲鳴を上げ、物理法則が崩壊する、断末魔。

鼓膜が一瞬で麻痺し、音のない世界で、衝撃波が私の体を襲った。


「あ……!?」


私は咄嗟に全身の筋肉を硬直させて防御姿勢を取った。

地面が波打った。

堅牢な石畳が、まるで液体のように隆起し、砕け、弾け飛ぶ。

強烈な暴風が、横薙ぎに私を叩いた。

私の体は、意思とは無関係に宙へ舞い上げられた。

視界が回転する。

青い空、赤い光、灰色の瓦礫、そしてまた空。

スローモーションのように、周囲の風景が崩壊していくのが見えた。

レンガ造りの建物が飴細工のようにひしゃげ、屋根が剥がれ飛び、街路樹が爪楊枝のように折れていく。

馬車が空を飛び、逃げ惑う人々の姿が塵芥のように舞う。


「……っ、ぐ、ぅ……!」


背中に衝撃。

私は民家の二階の壁を突き破り、リビングルームを転がり、家具をなぎ倒し、さらに反対側の壁を突き破って、裏通りへと放り出された。

無数の瓦礫と共に、私は地面に叩きつけられた。

衝撃。痛み。そして、熱。

思考が白濁する。

だが、私の生存本能は、意識を手放すことを許さなかった。

ここで気絶すれば、瓦礫の下敷きになって死ぬ。


「……ッ、あああああぁ……ッ!」


私は、血の味をごくりと飲み込み、瓦礫の山から這い出した。

ドレススーツはボロボロに裂け、肌はガラス片で切り裂かれ、血が滲んでいる。

左腕が痺れている。だが、動く。

肺に砂埃が入る。咳き込む。

私は、霞む視界を拭い、顔を上げた。

そして、目の前に広がる光景に、呼吸を忘れた。

王都が、死んでいた。

そこは、数秒前まで私が歩いていた平和な通りではなかった。

大規模な戦略魔法による空爆を受けた直後の戦場。いや、それ以上だ。

視界に入る全ての建物が半壊、あるいは全壊している。

窓ガラスは一枚残らず粉砕され、道路は陥没し、水道管が破裂して水柱が上がっている。

だが、何よりも異様なのは、その破壊の中心にある「それ」だった。


『塔』だ。


レンガや石でできた塔ではない。

純粋なエネルギーの奔流。

血のように赤く、マグマのようにドロドロとした高密度の光の柱が、大地から天に向かって、定規で引いたように垂直に伸びていた。

その高さは、雲を突き抜け、はるか成層圏に至るほど。

太さは、屋敷ひとつ分ほどだろうか。

圧倒的な質量の魔力の爆炎が、周囲に拡散することなく、ただひたすらに「上」を目指して噴出している。

真紅の光は、太陽の光すら遮り、王都全体を赤い色に染め上げていた。

その光景は、大地が流す血の涙か、あるいは神に向かって突き立てられた中指のようだった。


「……なによ、これ」


私は呆然と呟いた。

戦争?侵略?

いや、違う。軍隊の影はない。

ただ、あの「赤い塔」だけが、この破壊の根源としてそこに存在している。


「……ナラ君ッ!」


瓦礫の山から、声がした。

見れば、白衣を煤だらけにし、頭から血を流したエラーラ・ヴェリタスが、巨大な魔導計測器を抱えて這い出してきたところだった。

彼女もまた、この衝撃波に巻き込まれたのだ。


「お母様……生きてたのね」


「私の安否などどうでもいい!見たまえ、あのエネルギー反応を!」


エラーラは興奮と恐怖が入り混じった表情で、赤い塔を指差した。

彼女の眼鏡は割れ、白衣は破れているが、その目は科学者としての冷徹な観察眼を失っていなかった。


「計測不能!測定器の針が振り切れている!これは核融合炉のメルトダウン……いや、恒星の崩壊エネルギーに匹敵する!だが、……おかしいんだ!物理的におかしいのだよ!」


エラーラは、瓦礫を踏みしめながら叫んだ。


「これほどのエネルギーなら、王都は地図から消滅しているはずだ。クレーターの直径は数キロ、いや数十キロに及ぶはずなんだ。なのに、なぜ爆風と衝撃波だけで済んでいる?なぜ、エネルギーが『横』に広がらず、『縦』にだけ伸びているんだ!?」


エラーラは、空を指した。

赤い塔は、大気圏を突破し、宇宙空間にまで到達しているように見えた。


「異常だ。自然界の爆発ではない。爆発のエネルギーのベクトルが、何らかの強烈な意志によって『指向性』を持たされている。……ナラ君。私はこの現象の『中心』に何があるのか、確かめねばならない」


「ええ。……行きましょう」


私は鉄扇を握り直した。

全身が痛むが、アドレナリンが痛覚を麻痺させている。

この惨状を引き起こした原因。

私の野生の勘が、最悪の答えを囁いていた。

あの場所は。

あの赤い塔が立っている場所は。

昨日、私が通りかかった、あの女――グリゼルダの屋敷があった場所だ。

私たちは、地獄絵図と化した通りを抜け、爆心地へと急いだ。

逃げ惑う人々を逆流し、熱源の中心へ。

阿鼻叫喚。

瓦礫の下から助けを求める手。血まみれで彷徨う老人。

王都警備隊が到着し始めているが、彼らもまた、天を衝く赤い柱の威容に飲まれ、立ち尽くしているだけだった。


「どきなさい! 専門家ヴェリタスよ!」


私は警備兵を押しのけ、規制線の内側へと入った。

近づくにつれ、肌を刺すような熱気が増していく。

酸素が薄くなり、呼吸が苦しくなる。

だが、不思議なことに「火事」は起きていなかった。

これだけの熱量なら、周囲は火の海になっているはずだ。

それなのに、炎は一本も見当たらない。

ただ、圧倒的な「圧力」だけがそこにあった。

私たちは、ある一画の前に立った。

そこには、あまりにも不自然な境界線があった。

隣の家の塀は、爆風で崩れているものの、焦げてはいない。

庭の草木も、屋敷の方を向いている面だけが枯れているが、燃えてはいない。

だが、一歩その敷地の中に入ると――そこは、完全なる「無」だった。

屋敷も、庭木も、門扉も、郵便受けも。

昨日までそこにあった生活の痕跡すべてが、原子レベルで分解され、消滅していた。

地面は赤熱したガラス状に変質し、巨大な円形のクレーターとなっている。

その中心から、あの赤い光の柱が、轟音と共に噴き出しているのだ。


「フム……。理解したよ」


エラーラが、計測器のデータを読み取りながら唸る。


「これは、通常の爆発ではない。エネルギーが、完全に制御されている。横への拡散を極限まで抑え、すべてのエネルギーを『垂直方向への上昇』のみに変換しているのだ」


エラーラは、天を見上げた。

赤い柱は、空を焼き焦がしながら、どこまでも高く伸びている。

他国の天文台からも観測されたというその光は、まさに「天を衝く槍」だ。


「これはおそらく、『拒絶』だ」


エラーラが断言した。


「『周りのものなんてどうでもいい』『誰も私に触れるな』『私の情熱は、私だけのためにある』……そんな、極めて利己的な精神性が、物理法則をねじ曲げている」


「精神性が、爆発の形を変える?」


「魔力とは本来そういうものだ。術者の意志が形になる。通常、感情の暴走による魔力放出は拡散する。それが自然の摂理だ。だが、このエネルギーは拡散を拒んでいる。世界と交わることを拒否し、ただ自分一人で完結し、神にだけ自分を見せつけようとしている。……これは、孤独な魂の絶叫だよ」


私は、クレーターの縁に立った。

熱い。魂が焼かれるような熱気だ。

だが、それは攻撃的な熱さではなく、触れる者すべてを拒むような、冷徹な熱さだった。


「……死傷者は?」


私は周囲を見渡した。

これだけの破壊だ。何百人が死んでいてもおかしくない。

だが、瓦礫の下から這い出してくる人々は、血を流してはいるものの、生きている。

私は呟いた。


「誰も死んでいない!この爆発、本当に『敷地内』だけで完結している!」


王都の半分を吹き飛ばすほどのエネルギーを放出しながら、紅蓮の大爆発は、誰一人として「道連れ」にしなかった。


……いや、できなかったのだ。


誰にも影響を与えず、誰とも交わらず、勝手に爆発し、勝手に天へ昇っていった。


「……そこに、誰かいる」


光の柱が、徐々に弱まり始めていた。

燃料が尽きたのだ。

赤い光が薄れると、クレーターの中心に、黒い塊が見えた。

私たちは、まだ煙を上げる熱い地面を踏みしめ、中心へと降りた。

そこには、炭化した遺体があった。

グリゼルダだ。

彼女は、何かを大事そうに抱きしめる姿勢で、空を見上げたまま固まっていた。

その顔は判別できないほど焼けているが、大きく開かれた口は、最期に何かを叫んでいたように見える。


『私を理解して』


そんな、悲痛な自己顕示の叫びが、炭になった喉から聞こえてくるようだった。


「……哀れなものね」


私は、その骸を見下ろして呟いた。


「あれだけ『周りのレベルが低い』とか『私が正してあげる』とか言ってたのに。死ぬ時まで、他人を巻き込む才能すらなかったなんて」


火柱が完全に消滅すると、空にはぽっかりと穴が開いたような青空が戻ってきた。

不自然なほど静かな爆心地。

風が吹き抜け、灰が舞い上がる。

そこで、エラーラが遺体の足元に落ちていた「何か」を拾い上げた。


「おや。これだけ燃え残っているよ」


それは、一冊のアルバムだった。

分厚い革張りの表紙は黒く焦げているが、グリゼルダの遺体が覆いかぶさっていたおかげか、中身は奇跡的に無事だった。

彼女が最期の瞬間に抱きしめていたのは、宝石でも金でもなく、このアルバムだったのだ。


「……写真?」


私は、熱を帯びたページをめくった。

そこには、一人の女性の人生が、鮮明なカラー写真で記録されていた。

最初のページ。

裕福そうな庭で微笑む、幼い少女。

レースのドレス、高価な玩具。両親に愛され、世界は自分を中心に回っていると信じて疑わない笑顔。


次のページ。

10代の彼女。

……美しい。

思わず息を呑むほどだ。

輝くような金髪、透き通るような肌、意思の強そうな大きな瞳。

学園の制服を着た彼女は、間違いなくクラスの女王だっただろう。

取り巻きたちに囲まれ、自信満々に顎を上げている。

だが、その手に教科書はない。


そして、20代の頃の写真で、私の手は止まった。


「……嘘でしょ? これがあの人?」


そこに写っていたのは、今の王都の社交界でもトップクラスになれるほどの、絶世の美女だった。

舞踏会のドレスを着こなし、夜会でグラスを傾ける姿は、絵画のように完璧だ。

スタイルは抜群で、男たちが彼女に群がっている様子も写っている。

背後には、豪華な屋敷、高級馬車、煌びやかな調度品。

彼女の隣には、当時の有力者と思わしき男性たちが写っているが、グリゼルダは彼らをどこか冷めた目で見ている。

彼女は、持っていたのだ。

誰もが羨む美貌を。富を。地位を。

人生の全てを手に入れるための「最強のカード」を、彼女は生まれながらに持っていた。

私なんかよりもずっと、イージーモードの人生を送れるはずだった。


「おかしい……」


私はページをめくる手を早めた。


30代。

まだ美しい。だが。……だが!何かが変わり始めている!

目つきだ。

カメラを見る目が、どこか攻撃的で、焦燥感に満ちている。

集合写真から人が減り、一人で写る写真が増えていく。

笑顔が消え、作り笑いのような、引きつった表情になる。


40代。

厚化粧が始まる。服が派手になり、若作りが痛々しくなる。

背景が、徐々に散らかり始める。

豪華だった屋敷が、物で溢れ、薄暗くなっていく。

彼女の表情からは「自信」が消え、「不満」と「怨嗟」が張り付いている。

周りには誰もいない。

ただ一人、カメラに向かって「私はまだ美しいでしょう?」と問いかけるような、必死な自撮り。


そして、最後のページ。

昨日の日付が入った写真があった。

鏡越しの自撮りだ。

背後には、ゴミ屋敷のように物が積み上がった部屋。

鏡に映る彼女は、昨日私がスーパーで見かけた時と同じ、ドブのような目で笑っていた。

しかし、その目は笑っているようで、泣いているようにも見えた。

写真の裏には、震える文字でこう殴り書きされていた。


『世界はまだ、私の真価に気づいていない』


寒気が、した。

憐れみではない。恐怖だ。

これは、人間の「腐敗」の記録だ。

肉体の老化ではない。精神が、魂が、年月をかけてじわじわと腐り落ち、毒素を溜め込み、最後に臨界点を超えて爆発するまでの、詳細なドキュメント。


「……なぜ?」


私は、炭化した遺体を見つめた。

なぜ、これほどのスペックを持った人間が、あんな核爆発のような最期を迎えた?

何が彼女を狂わせた?

どの分岐点で、彼女は「幸せ」ではなく「正しさ」を選び、道を間違えた?

誰からも好かれそうな顔とスタイルを持っていながら、なぜ全てを嫌い、全てから嫌われたのか。

昨日、彼女は私に言った。


『私の若い頃の武勇伝、もっと聞かせてあげるから』


その言葉の裏にあったのは、ただの自慢話ではない。

彼女が自分自身に言い聞かせ続けた、呪いのような「自己正当化の歴史」だ。


「……知りたいわ」


私はアルバムを閉じた。

探偵としての好奇心が、うずいた。

この大爆発の原因は、魔法的な事故ではない。

一人の人間の人生設計の破綻が引き起こした、構造的な災害だ。


「ナラ君?」


エラーラが私を見る。


「単なる興味よ。そう、興味。こんなに恵まれた女が、どういう工程を経て、自分自身を核爆弾に変えたのか。その『製造過程』を、この目で確認したい」


これは、私自身の生き方に対する、確認作業だ。

私もまた、強く、美しく、孤高に生きているつもりだ。

だが、一歩間違えれば、私も彼女のようになるのではないか?


「孤高」と「孤立」の違いは何か。


「自尊心」と「傲慢」の境界線はどこにあるのか。


彼女の人生には、絶対に踏んではいけない地雷の場所が記されているはずだ。


「お母様。過去を見てくるわ。『クロノ・シリンジ』……貸して」


「……使うのかね?」


エラーラは、割れた眼鏡を外し、煤けた顔でニヤリと笑った。


「言っておくが、快適な旅ではないぞ。彼女の人生は、おそらく地獄だ。一人の女が、自分のプライドを守るために、自分自身の人生を殺し続ける、地獄だ」


「構わないわ」


私は、アルバムをエラーラに渡した。


「見るわ、あたしは。彼女が何を拒絶し、何に固執し、どうやって腐っていったのか。その全てを目撃して、あたしの生存戦略の糧にしてやる」


「よかろう。では、ここを臨時のラボとする。グリゼルダの残留思念濃度は極めて高い。今なら、鮮明にダイブできるはずだ!」


私たちは、更地になった屋敷跡に、即席の魔導陣を描いた。

エラーラが、携帯型の魔導端末を取り出し、アルバムに接続する。

装置が唸りを上げ、空間が歪み始めた。

私は、過去へ飛んだ。

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