第4話:顔のない悪魔(4)
『……あーあ。「喜劇の幕引き」? 笑わせないでよ』
スピーカーから、ノイズ混じりの、ひどく気だるげな声が割り込んだ。ゴドウィンの動きが止まる。
「……誰だ?」
『誰でもいいでしょ、そんなこと。それよりアンタ、ゴドウィンだっけ?いや、ドクター・ロゴス。アンタね、自分のこと「神様」か「演出家」だと思ってるみたいだけど……アンタの脚本、古臭すぎてカビが生えてるわよ』
エラーラが顔を上げる。
王都の地上。獣病院のリビング。
ナラティブ・ヴェリタスは、デスクに足を投げ出し、ポテトチップスを齧りながら、退屈そうにマルチモニターを眺めていた。
画面には、得意満面なゴドウィン=ドクター・ロゴスの顔と、絶望する母とカレルの姿が映っている。
『お母様もカレルおじさんも真面目すぎ。ジジイの自慢話を真に受けていったいどうすんのよ……』
ゴドウィンが不快そうに眉をひそめた。
「……ナラティブ君か。安全圏からの負け惜しみかね?残念だが、君の母親と友人は、物理的にも魔術的にも隔離された地下深くにいる。君に何ができる? 泣いて祈るのが関の山だ」
『バカね。……探偵は祈らないわ』
ナラティブは、指についた塩を舐め取り、エンターキーの上に指を置いた。
『ねえ、ゴドウィン。アンタ、自分で自分の首絞めてるって気づかない?』
「……何?」
ナラティブは、不敵に笑った。
『お母様がアンタにかけた電話。あんたはそれを「勝利のファンファーレ」だと思って、回線を繋ぎっぱなしにして大爆笑してたわよね?……それが命取りよ』
「まさか……逆探知か? 無駄だ。ここは……」
『逆探知? そんな面倒なことしないわよ』
ナラティブは、あくびを噛み殺しながら言った。
『転送よ。あたしはただ、アンタの話があまりに「痛々しくて面白かった」から、「みんな」にも聞かせてあげようと思っただけ』
ナラティブの指が、エンターキーを叩いた。
ゴドウィンの顔から、余裕が消えた。
「……みんな、だと?」
『聞こえない? 天井の上の音』
ゴドウィンの執務室がある地上。そして、この地下聖堂。
厚い岩盤を通してなお、地上から地鳴りのような「重低音」が伝わってくる。
それは地震ではない。
何百万という人間の、ざわめきだ。
『今、王都中の一千万人が聞いてるわよ。アンタの「悪役独演会」を』
ナラティブは、淡々と告げた。
『「私が怪物隠蔽の黒幕だ」「カレルの勲章は魂を腐らせる実験だ」「警察という組織は最高の実験場だ」……全部、一言一句、漏らさずにね』
ナラティブは、モニター上の出力ステータスを確認した。
『接続先:王都全域緊急防災無線スピーカー』
『全テレビ局・ラジオ局ジャック』
『王都最大動画サイト・強制トップ配信』
『王都中央広場・大型ビジョン』
『な……バカな!』
ゴドウィンが狼狽し、手元のサブモニターを切り替える。
そこには、王都中の大型ビジョンに大写しにされた「ゴドウィンの顔」と、呆然と立ち尽くす市民、そして憤激する警官たちの姿があった。
音声波形が、王都全土を震わせていた。
『アンタは「秘密」を握ってるから強かった。自分だけが安全な暗闇にいて、他人を操っていたから神様気取りでいられた。でも、もう秘密じゃない。照明はアンタに当たったわ』
ナラティブの声は、冷徹な死刑執行人のそれだった。
『……今、王都の一千万人が、アンタを「敵」だと認識した。アンタの部下も、アンタが騙した市民も、アンタが殺した被害者の遺族も。全員が、アンタの首を欲しがってる』
「……う、そだ……こんなことが……」
ゴドウィンは後ずさった。
彼は「論理」で世界を支配していたつもりだった。
権力構造、保身の心理、恐怖による支配。
だが、ナラティブが持ち込んだのは、それら全てを無効化する「物語」という暴力だった。
『アンタは「社会的死」をカレルに強要したけど。おめでとう、ゴドウィン。アンタが一足先に、社会的に、物理的に、そして歴史的に死んだわね』
ゴドウィンは絶叫した。
地下聖堂のスピーカーから、地上の執務室のドアが叩き破られる音が聞こえた。
『何てことを!』
『仲間を見殺しにしたのか!』
『裏切り者!』
部下たちの怒号。
信頼していた腹心たちの、殺意に満ちた声。
ゴドウィンは、組織の頂点から、一瞬にして「世界の敵」へと転落した。
「くそッ!くそぉぉぉぉ!まだだ!ここは私の城だ! 貴様らを生かしては帰さん!」
ゴドウィンは、懐から起爆スイッチを取り出した。
地下聖堂ごと自爆し、証拠を隠滅するつもりだ。
エラーラが叫ぶ。
「いかん! 自爆する気だ!」
カレルも動こうとするが、拘束具が外れない。
だが、ナラティブの声は、氷のように冷たかった。
『……ねえ、ゴドウィン。アンタ、本当に「人間」を見てたの?』
「何だと!?」
『アンタは人間を「実験動物」だと思ってた。だから、「管理」できると思ってた。個々の人間は弱い。だから、論理で縛れば動けなくなる。……でもね』
ナラティブは、画面上の「王都魔力濃度グラフ」を見た。
数値が、計測不能のエラーを吐き出しながら上昇している。
『人間ってのは、集まると「野次馬」になって、さらに集まると「暴徒」になるのよ。アンタは一千万人の感情を、ただのデータと思ってたでしょうけど……そいつらが全員、同じ方向を向いたら、どうなると思う?』
地下聖堂が揺れ始めた。
爆発ではない。
外からの、圧倒的な魔力の奔流だ。
『アンタ一人の魔力で維持してる結界なんて、一千万人の「殺意」の前じゃ、紙切れみたいなもんよ!』
地上の市民たちが、スクリーンの中のゴドウィンに向かって叫んでいた。
「ふざけるな!」
「カレルを助けろ!」
「あのクソ野郎をぶっ飛ばせ!」
魔導士も、一般人も、スラムの住人も。
全ての憎悪が魔力となり、地下へと降り注ぐ。
空間が割れた。
ガラスが砕けるような音と共に、ゴドウィンが展開していた「高密度結界」が粉々に砕け散った。
天井が崩落する。
そこから降り注いだのは、瓦礫ではなく、王都中の魔導士たちが放った、無数の攻撃魔法の雨だった。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!?」
ゴドウィンは、起爆スイッチを取り落とし、瓦礫の下を逃げ回った。
彼が誇った「論理」も「権力」も、圧倒的な「大衆の感情」の前では無力だった。
「……結界が、消えた?」
エラーラは呆然としていた。
自分の計算では「解析に100年かかる」はずだった結界が、ただの「怒号」で吹き飛んだのだ。
『お母様! ぼっとしてないで!今よ!』
ナラティブの檄が飛ぶ。
エラーラは我に返り、カレルのもとへ飛び込んだ。
彼女は懐から工具を取り出し、爆弾の配線に食らいついた。
「解除コードなんて必要ない!物理的に回路を遮断する!」
「エ、エラーラ!危ない!」
カレルが叫ぶが、エラーラの手は止まらない。
彼女の脳裏に、カイトの死に顔が浮かぶ。
(もう二度と!私の目の前で、誰も死なせない!)
エラーラが、爆弾解除のケーブルを切断した。
タイマーが、停止した。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
エラーラは、崩れ落ちた。
助かった。
論理でも、計算でもない。
ただ、娘の作った「物語」と、泥臭い「感情」の力で。
一方、ゴドウィンは。
「あ……あ……」
彼は、部屋の隅で腰を抜かしていた。
天井の大穴から、武装した特殊部隊が降下してくる。
彼らの銃口は、迷いなくゴドウィンに向けられていた。
「う、撃つな! 私は部長だぞ!命令だ! 私を守れ! 私は神だ! 私は……!」
「黙れ、怪物」
部下の一人が、ゴドウィンの顔面を銃床で殴りつけた。
ゴドウィンは鼻血を吹き出し、無様に転がった。
「確保!抵抗する場合は射殺も辞さない!」
「連行しろ! この国の恥さらしめ!」
ゴドウィンは、手錠をかけられ、泥のように引きずられていった。
彼の作り上げた完璧な実験室は、彼自身の断末魔と共に閉鎖された。
一時間後。
地上は、興奮の坩堝と化していた。
廃地下鉄の入り口から、担架に乗せられたカレル警部と、彼に付き添うエラーラが出てきた瞬間。
カメラのフラッシュが焚かれ、市民たちの割れんばかりの歓声が上がった。
「カレル警部! ありがとうございました!」
「あんたこそ、本物の英雄だ!」
「ゴドウィンに騙されてたんだな! 俺たちは知ってるぞ!」
カレルは、眩しそうに目を細めた。
彼はもう、嘘をつく必要がなかった。
ナラティブの放送によって、彼の「弱さ」も「罪」も、全て晒されたからだ。
だが、人々は「完璧な英雄」よりも、「苦悩し、傷つきながらも巨悪に立ち向かった人間」を支持した。
エラーラは、その光景を少し離れた場所から見ていた。
彼女は、そっと群衆を抜け出し、路地裏へと消えた。
彼女の役割は終わった。
表舞台は、役者のものだ。
獣病院のリビング。
ナラティブは、ヘッドセットを外し、大きく伸びをした。
「……ふぁあ。疲れた」
彼女は、空になったポテトチップスの袋をゴミ箱に投げた。
モニターの中では、ニュースキャスターが興奮気味にまくし立てている。
『前代未聞の逮捕劇! ゴドウィン元警務部長、数々の猟奇事件の黒幕か!』
『カレル警部、涙の生還! 王都は歓喜に包まれています!』
ナラティブは、リモコンを手に取り、チャンネルを変えた。
世界を救った少女は、もう、そのことに興味を失っていた。
「……あーあ、退屈だった。結局、悪党ってのはみんな同じね。自分の声に酔って、足元がお留守」
彼女にとって、ゴドウィンが誰であろうと興味はなかった。
彼がどんな崇高な思想を持っていようと、関係なかった。
ただ、「家族をいじめた奴」だったから、抹殺した。
それだけのことだ。
ガチャリ。
玄関のドアが開く音がした。
エラーラが帰ってきたのだ。
「……ただいま、ナラ」
エラーラの声は、疲れ切っていたが、どこか晴れやかだった。
彼女はリビングに入ると、ソファの上のナラティブを見た。
「……見事だったよ、名探偵。私の論理は、お前の物語に完敗だ」
ナラティブは、テレビから目を離さずに言った。
「お帰り、お母様。……で?何かお土産は?」
エラーラは苦笑し、ポケットから、潰れかけた肉まんを取り出した。
「これしか買えなかったよ。どこもかしこも、カレルのお祝いムードで売り切れでね」
ナラは、それを受け取り、半分に割った。
湯気が立ち上る。
彼女は半分をエラーラに差し出した。
ナラは、頬張った。
あっけらかんとした、庶民の味。
隠し事もなにもない、普通の味。
「……ま、合格点ね!」




