第3話:顔のない悪魔(3)
獣病院のリビングは、葬式のように静まり返っていた。
エラーラは、ソファで膝を抱えていた。
かつての、あの不敵な笑みはどこにもない。白衣は薄汚れ、髪は乱れている。
彼女の最大の武器であった「論理」が、またしても、人を殺した。
一年前もそうだった。「バベルの塔」事件。
彼女は完璧な論理でドクター・ロゴスの罠を見抜いたが、そのあまりに冷徹な正しさが被害者カイトを精神的に追い詰め、自死させてしまった。
そして、一週間前も。
警察組織の腐敗という「非論理的な変数」を計算に入れられず、ハンマーコアラとヤスリウサギによる蹂躙を許した。
彼女のプライドは、魔導回路を焼かれるよりも深く、修復不可能なほどに傷ついていた。
「……ナラ。私は、間違っていたのか?」
エラーラが、独り言のように呟く。その声は枯れ、ガラス細工のように脆い。
「私の計算は完璧だった。常に最短で、最適解を出してきたはずだ。だが……なぜ世界は、私の論理通りに救われない?」
キッチンでコーヒーを淹れていたナラティブ・ヴェリタスは、痛ましげに母の背中を見た。
(お母様……「正しさ」だけじゃ、人は救えないのよ。この街は、そんなに綺麗にできてない)
そこへ、重い足音が近づいてきた。
ドアが開く。入ってきたのは、カレル警部だった。
彼は今や、組織の隠蔽工作に加担させられた、惨めな道化だった。勲章を見るたびに嘔吐し、悪夢にうなされる日々。
「……エラーラ。起きているか」
「カレルか。……私を逮捕しに来たのか? それとも、罵倒しに来たのか」
「バカを言うな」
カレルは、濡れた帽子をテーブルに置いた。
その手は、怒りで微かに震えていた。
「……ドクター・ロゴスからの挑戦状が届いた。……昨夜、また犠牲者が出た。スラムの孤児院だ。子供たちが……」
カレルは言葉を詰まらせ、拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込み、血が滲む。
「絶対に許せない。ハンマーコアラとヤスリウサギは災害だ。だが、ドクター・ロゴスは弱者をゲームにかけて殺している。災害じゃあない。明確な意志がある。人をなんだと。命をなんだと。あいつは、ドクター・ロゴスは、人間の尊厳そのものを嘲笑っている!俺は、警察官として……いや、人間として、あいつだけは地獄に送らなきゃ気が済まねえんだ!」
カレルの怒りは、純粋な正義感そのものだった。
彼は現場の惨状を一番近くで見てきた。
肉片になった子供、発狂した恋人たち、絶望したカイト、ミンチにされた部下たち。
その全ての無念を背負い、彼は歯を食いしばって立っていた。
エラーラは顔を上げた。
「警察上層部は腰が引けている。ゴドウィン部長は『事なかれ主義』の権化だ。お前一人で何ができる?」
「俺一人じゃない。……バックアップがついた」
カレルは、通信端末を取り出した。
画面には、警察組織の頂点を示す紋章が表示されている。
「あの、ゴドウィン部長が、ついに、俺に頭を下げたんだ」
「何?」
「『私は間違っていた』と。あの鉄仮面が、俺の前で涙を流したんだ!」
カレルは、ゴドウィンの言葉を反芻するように語った。
「カレル君、すまなかった、自分が『他責』をしていると認められない自分が悪かった、目が覚めたよ……と」
カレルは熱っぽく続けた。
「部長は言ってくれた。『組織として動けば奴は潜る。だから、君のような現場の人間と、ヴェリタス女史のような天才という、個人に頼るしかない』と。必要な予算、装備、権限……全て裏から回してくれるそうだ。『必ず、奴を追い詰めてくれ。これ以上、あんな悲劇を繰り返させないために』と」
エラーラは、ふっと息を吐いた。その瞳に、わずかだが理性の光が戻る。
「……そうか。腐った組織の中にも、まだ『まともな人間』がいたということか。……いいだろう」
エラーラは立ち上がった。
天才科学者としてのプライドはズタズタだが、それでも、彼女は「論理」を捨てることはできなかった。
そして何より、カレルとゴドウィンという「正義の味方」たちの想いが、彼女を再び戦場へと引き戻したのだ。
「リベンジマッチだ、ドクター・ロゴス。今度こそ、君の歪んだ論理を、私の数式で粉砕してやる!」
「……ナラ。お前は留守番だ」
「はぁ?また?あたしも行くわよ?」
ソファのナラティブが不満げに鉄扇を広げる。
「前回、お母様は計算違いでひどい目にあったじゃない!」
「だとしてもだ。今回は『潜入』だ。人数が増えればリスクが増す……」
エラーラは厳しい声で言った。
「それに、万が一私たちが戻らなかった場合、お前が外部からバックアップする必要がある」
それは、建前だった。
本音は、復讐。
顔の見えない怪人たちに敗北し続けた屈辱を、清算したかったのだ。
「……はいはい。わかったわよ。美味しいお土産、期待してるわ」
ナラティブは、ふてくされたように手を振った。
二人が雨の闇へと消えていく。
「バカな、お母様……」
・・・・・・・・・・
ゴドウィンから提供された極秘データにより、ドクター・ロゴスのアジトとされる場所が特定された。
場所は、王都の地下深くに眠る「旧王都遺跡」。
かつての栄華は汚泥に沈み、今は巨大な下水道と、忘れ去られた地下聖堂が広がるだけの闇の世界だ。
カレルとエラーラは、廃地下鉄の線路を歩いていた。
足元を汚水が流れ、ネズミが走る。
カレルは、最新鋭の「物理障壁発生装置」を腰につけ、魔導ショットガンを構えている。
エラーラは、魔法陣を展開し、空間の歪みを観測していた。
「……来るぞ、カレル。空間位相がずれている。ここから先は、ロゴスの『実験場』だ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼らの周囲の景色が歪んだ。
地下鉄のトンネルが消え、無機質な白い壁に囲まれた広大なホールへと転移させられていた。
『ようこそ。私の実験室へ』
スピーカーから、あの不快な電子音声が響く。
壁一面のモニターに、ウロボロスを棘で貫いた紋章が表示された。
『待っていたよ、エラーラ・ヴェリタス。そしてカレル警部。前回の実験は……少々、刺激が強すぎたかな?だが、安心してくれたまえ。今日は君たちのために、特別なコースを用意した』
「御託はいい!姿を見せろロゴス!」
カレルが吼える。
『焦らないでくれたまえよ。最深部にある「聖堂」まで来られたら、お話しよう。ただし……そこに至るまでには、いくつかの「論理的証明」が必要だ。
・・・・・・・・・・
ホールの奥から、巨大な扉が現れる。
『最初の実験だ。テーマは「多数の幸福と、少数の犠牲」。
さあ、楽しんでいきたまえ』
扉の向こうは、巨大な円筒形の部屋だった。
部屋の中央には、巨大な回転木馬のような装置がある。
だが、木馬の代わりに吊るされているのは、檻に入れられた6人の市民だった。
彼らは猿ぐつわを噛ませられ、恐怖に目を見開いている。
そして、回転装置の中心には、巨大な粉砕機が口を開けていた。
装置が回転するたびに、遠心力で檻が外側へ振られるが、時間が経つにつれて回転が弱まれば、檻は内側の粉砕機へと引き寄せられる仕組みだ。
『ルールは簡単だ』
ロゴスの声が響く。
『この装置の動力は止まっている。あと3分で、遠心力がなくなり、6人の市民は中心のシュレッダーでミンチになる。
止める方法は一つ。部屋の隅にあるレバーを引くことだ。
ただし、そのレバーを引くと、君たちの足元の床が抜け、君たちの一人がシュレッダーに落ちる』
『さあ、選べ。「6人の市民」か、「自分たちの命」か。自己犠牲は美徳だが、君たちには使命があるはずだ。ここで死んでいいのかね?』
「ふざけるな……!」
カレルがレバーに駆け寄ろうとする。
「俺が引く!エラーラ、お前は先に行け!」
「待てカレル!」
エラーラが止める。
「それが奴の狙いだ! 『感情』で動けば、必ず損をするように設計されている!」
エラーラは装置を解析した。
「……この装置、回転軸に魔導回路が組み込まれている。
レバーを引けば、確かに市民は助かるが、引いた人間は100%死ぬ。だが……見ろ。粉砕機の刃の回転数と、檻の揺れには『ズレ』がある」
エラーラは、懐から数本の「魔導ワイヤー」を取り出した。
「カレル。私の合図に合わせて、あの檻の連結部を撃て」
「なっ? 檻を落とす気か!?」
「違う! 『遠心力』を利用して、檻を部屋の外へ放り投げるんだ!」
エラーラはワイヤーを射出した。
ワイヤーは正確に回転する檻の支柱に絡みつく。
「今だ! 撃て!」
カレルのショットガンが火を吹く。
連結部が破壊された瞬間、エラーラがワイヤーを引いた。
物理法則に従い、檻は粉砕機ではなく、部屋の入り口の方へと放り出された。
音を立てて檻が着地する。市民たちは無事だ。
『……フム。物理学の応用か。だが、そのワイヤーの反動で、君の腕は無事ではないはずだが?』
エラーラの手首から血が滴っていた。ワイヤーの食い込みによる裂傷だ。
「……計算通りだ。肉を切らせて骨を断つ」
エラーラは痛みに顔を歪めながらも、不敵に笑った。
・・・・・・・・・・
次の部屋は、静寂に包まれていた。
床には無数のセンサーが敷き詰められ、壁には無数の銃口が並んでいる。
『第二の実験。テーマは「不信と連携」』
『この部屋は、音に反応する。君たちの心拍数、呼吸音、足音。一定以上のデシベルを感知すれば、全方位から銃弾が発射され、蜂の巣だ。出口の鍵を開けるには、部屋の奥にある二つのコンソールを、二人同時に操作し、複雑なパズルを解かねばならない』
『ただし、パズルの内容は、互いのモニターにしか表示されない。つまり、相手に「指示」を出さなければ解けないが、「声」を出せば死ぬ』
カレルが息を呑む。
「喋らずに……複雑なパズルを? 無理だ」
エラーラは、カレルの目を見た。
そして、自分の胸を叩き、指でリズムを刻んだ。
(モールス信号……いや、警察暗号か?)
カレルはハッとした。
彼らは長年、コンビを組んできた。
視線、指の動き、呼吸のタイミング。
言葉以外の言語を、彼らは共有している。
二人は、音もなく部屋の中へ踏み出した。
センサーが赤く明滅する。心臓の鼓動すら凶器になる極限状態。
エラーラが指を3本立てる。カレルが頷き、右のパネルを操作する。
カレルが瞬きをする。エラーラが左のレバーを下ろす。
冷や汗が床に落ちる音さえ、爆音のように響く。
パズルの難易度は高い。
だが、エラーラの超高速思考と、カレルの現場での直感が、奇跡的なシンクロを見せた。
無言の会話。信頼という名の帯域幅。
最後のピースがはまる。
カチャリ。
出口の扉が開いた。
銃口は沈黙したままだ。
『……ほう?言葉という不確定なツールを捨て、阿吽の呼吸でシステムを欺いたか。美しいね。だが、その信頼がいつまで持つかな?』
・・・・・・・・・・
第三の部屋は、鏡の回廊だった。
無数の鏡が、二人の姿を映し出す。
だが、映っているのは「現在」の二人ではない。
カレルの鏡には、3年前の事件現場が映っていた。
ハンマーコアラに叩き潰される部下。
それを見捨てて逃げる自分の背中。
ゴドウィンから勲章を受け取り、卑屈に笑う自分の顔。
『見ろ、カレル君』
ロゴスの声が、粘りつくように響く。
『これが君の正体だ。英雄? 笑わせるな。君はただの臆病者だ。部下を見殺しにし、嘘で塗り固めた人生。そんな君が、正義を語る資格があるのかね?』
カレルが膝をつく。
「……やめろ……見せるな……!」
トラウマがフラッシュバックする。罪悪感が、彼の心を蝕む。
一方、エラーラの鏡には、バベルの塔から落ちていくカイトの姿が映っていた。
そして、ネットに書き込まれた無数の誹謗中傷。
『人殺し』
『魔女』
『お前の論理は人を不幸にする』
『エラーラ。君の論理は完璧だ。だからこそ、人は君を恐れ、君を憎む。君が正しければ正しいほど、人は死ぬ。君は、存在すること自体が「害悪」なのだよ』
エラーラの手が震える。
(私は……また、間違えるのか? 私がいるから、カレルも危険な目に……)
二人の精神が摩耗し、心が折れかけた、その時。
「……違う!」
カレルが叫んだ。
彼は、鏡の中の自分ではなく、隣にいるボロボロのエラーラを見た。
「俺は……臆病者だ。クズだ。だが……だからこそ!もう二度と、間違えたくないんだ!過去は変えられない。だが、今、隣にいる相棒を守ることくらいはできる!」
カレルは、魔導ショットガンで、自分の醜い過去を映す鏡を撃ち抜いた。
鏡が砕け散る。
「エラーラ! 耳を貸すな!あいつは、俺たちの『弱さ』を計算に入れている。だがな……人間は、弱さを認めれば、強くなれるんだよ!」
エラーラはハッとした。
(そうだ。論理に「感情」はノイズだと思っていた。だが、この男は……そのノイズを「燃料」に変えている)
「……フン。非論理的だね、カレル。だが……悪くない」
エラーラもまた、鉄扇で鏡を叩き割った。
「私の論理は、人を殺したかもしれない。だが、その罪を背負って進むことこそが、私の『贖罪』だ!」
鏡の迷宮が崩壊する。
二人は、傷だらけになりながらも、互いを支え合い、最深部への扉をこじ開けた。
ついにたどり着いた最深部。
そこには、巨大な祭壇と、その上に鎮座する椅子があった。
だが、ロゴスはいない。
椅子には、誰も座っていない。
『おめでとう。ここまでたどり着くとは』
モニターに、ロゴスの顔が大写しになる。
『だが、残念だったね。ここはゴールではない。ここは「処刑場」だ』
ガシャン!
入り口が閉ざされた。
そして、部屋の中央にある椅子から、不気味なカウントダウンが始まる。
椅子の下には、都市一つを吹き飛ばせるほどの質量の魔導爆薬が積まれていた。
『最終実験:『自己犠牲のパラドックス』』
『この爆弾は、あと5分で爆発する。解除方法はただ一つ。
君たちのどちらかが、あの椅子に座り、拘束されることだ。
座った者の生体エネルギーを触媒にして、爆弾は「最小規模」に縮小され、椅子の上の人間だけを殺して停止する。
座らなければ、二人とも……いや、この地下遺跡ごと崩落し、上の市街地も巻き込んで大惨事となる』
『さあ、話し合いたまえ。どちらが死ぬか。論理的なエラーラか、感情的なカレルか。「生きたい」と願う本能と、「助けたい」と願う理性の、醜い共食いを見せてくれ!』
カレルが動いた。
迷いなく、椅子に向かって。
「カレル!」
「止めるなエラーラ! 俺が座る!」
カレルは叫んだ。
「俺はもう、十分生きた。罪も犯した。だが、お前は違う。お前にはナラ君がいる。未来がある。……それに、俺は『英雄』として死ぬのが、お似合いなんだ!」
カレルは椅子に座ろうとする。
だが、エラーラがその足を魔導ワイヤーで絡め取り、引き倒した。
「ぐわっ!?」
「バカを言うな!お前が死ねば、ナラが悲しむ!ゴドウィン部長も悲しむ!論理的に考えて、お前の生存の方が、組織にとって有益だ!」
「理屈じゃねぇ!」
「甘えるな!」
二人は、互いを生かすために、取っ組み合いの喧嘩を始めた。
ロゴスの想定した「醜い足の引っ張り合い」ではない。
あまりにも不器用で、痛々しいほどの「献身の押し付け合い」だった。
残り時間、1分。
「……はぁ、はぁ……」
「……しつこいぞ、エラーラ……」
二人は息を切らし、床に倒れ込んでいた。
どちらも譲らない。
『フム。美しい友情だね。だが、時間切れだ。二人仲良く死にたまえ』
カウントダウンが迫る。
(……ゴドウィン部長。貴方なら、この状況をどうにかできるか?警察の全戦力を投入すれば……この結界を破れるか?)
エラーラは、ギリ、と奥歯を噛み締めた。
論理で解けないパズルはない。
もし、盤上のルールで勝てないのなら、盤そのものをひっくり返せばいい。
彼女の視線が、部屋の隅にある「異物」に向けられた。
それは、古めかしい「黒電話」だった。
瓦礫とカビに覆われたこの地下遺跡に、あまりにも不釣り合いな、磨き上げられたアンティークの電話機。
そして、その横には一枚のカードが添えられている。
『ライフライン:王都警察警務部長室・直通』
それは、ロゴスが用意した「慈悲」か、あるいは「挑発」か。
だが、エラーラにとって、それは勝利への鍵に見えた。
(……ロゴス。君は自信過剰だ)
エラーラは、黒電話へと歩み寄った。
受話器を取り上げる。その重みが、冷たい現実感として掌に伝わる。
(君は、私がこの電話を使うことを想定しているだろう。『助けを求めろ』と。だが、君は計算違いをしている。私は「助け」など求めない。「取引」をするのだ)
相手は、ゴドウィン警務部長。
一週間前、涙ながらに「共にロゴスと戦おう」とカレルの手を握った男。
だが、エラーラの分析によれば、彼は典型的な「事なかれ主義」の官僚だ。彼が動いたのは正義感からではない。カレルという「英雄」の神輿が倒れれば、自身の管理責任と、怪物隠蔽の事実が露見するからだ。
(ゴドウィンにとって、カレルの死は最大のリスク。ならば、彼を脅迫すればいい。『今すぐ王都の全魔力をこの地下へ転送し、結界ごと爆弾を焼き切れ』と。断れば、隠蔽の証拠をバラ撒くと突きつければ、彼は保身のために必ず動く!)
エラーラは、勝利を確信してダイヤルを回した。
回転音が、静寂の聖堂に響く。
それは、彼女の脳内で組み上がった「完全なる論理」の歯車が回る音だった。
呼び出し音が鳴る。
一秒が、永遠のように長い。
カレルが、涙に濡れた目でエラーラを見ている。
(大丈夫だ、カレル。私の論理は間違えない。人間の「利己心」ほど、信頼できる変数はないのだから)
繋がった。
スピーカーから、ノイズ混じりの、しかし聞き慣れた男の声が響いた。
『……はい、警務部長室。ゴドウィンだ』
エラーラは、息を吸い込んだ。
ここからは時間との勝負だ。相手に考える隙を与えず、畳み掛ける。
「ゴドウィン部長。私だ、ヴェリタスだ」
『おお! ヴェリタス女史か!』
電話の向こうのゴドウィンは、驚きと安堵が入り混じったような声を上げた。
『連絡が取れず心配していたんだ! カレル君も一緒かね?
GPS信号が途絶えて……君たちは今、どこにいるんだ!?
無事なのか!?』
その声は、真に迫っていた。
部下の安否を気遣う、善良な上司の声。
だが、エラーラは冷徹に切り捨てた。
「単刀直入に言う。カレル警部がロゴスに捕らえられた。爆弾がついている。場所は旧王都地下聖堂。座標は送信済みだ」
『な、なんだと!? ば、爆弾だと!?なんてことだ……すぐに救助隊を……』
「間に合わない!」
エラーラは怒鳴った。
「通常の部隊では突破できない高密度結界だ。解除するには、王都の全エネルギー供給網をバイパスし、この座標へ魔力を一点集中させて焼き切るしかない。……今すぐ、第4セクター地下への魔力転送を許可しろ」
『ま、魔力転送!? バカな、そんなことをすれば王都中が停電する!それに、そんな権限を行使するには、議会の承認が……』
「承認など待っていられない!……いいか、ゴドウィン。これは命令だ」
エラーラは、最後のカードを切った。
「もしカレルを見殺しにすれば……あんたが先週、怪物事件を『ガス爆発』として隠蔽するよう指示した音声データ。
あれを、今この瞬間、全マスコミとネットに拡散する」
『……なッ!?』
「カレルが死ねば、あんたも道連れだ。英雄を見殺しにした無能な指揮官として、社会的に抹殺してやる。……さあ、選べ」
完璧だった。
相手の急所を突き、逃げ場を塞ぎ、行動を強制する。
これぞ、エラーラ・ヴェリタスの論理。
電話の向こうで、ゴドウィンが絶句している気配がした。
息を呑む音。狼狽。恐怖。
エラーラは、勝利の味を噛み締めた。
ゴドウィンが声をあげた。
『魔力転送か!確かに、それなら私の結界を破れるかもしれないね!』
ドクター・ロゴスが堰をきったように笑い出した。
『クックック……アーッハッハッハッハ!!』
耳をつんざくような高笑い。
『傑作だ! 傑作だよエラーラ君!』
聖堂に設置された巨大モニター。
そこに映るドクター・ロゴスのアバターが、口を開いた。
『まさか、最後の切り札が「他責」だとは!……見ろ、カレル君!見たかね、今の彼女を!あの「王都の頭脳」と謳われたエラーラ・ヴェリタスが!大賢者が! 天才が!論理の果てに選んだ「最後の手段」がこれだ!』
ロゴスの声は、歓喜に震えていた。
『自分の頭脳で解くことすら放棄し!あろうことか、自分が軽蔑していた「腐敗した組織」に泣きつき!「権力を使って助けてくれ」と恫喝する!……これが!これこそが!「他責」だ!』
「……」
『無様だ!醜悪だ!そして最高に滑稽だ!君のプライドは一体どこへ行った?君の誇る「論理」とは、窮地に陥った瞬間、他人に責任を押し付けることだったのかね!?やはりその程度か!アーッハッハッハッハッハッハ!!』
違う。
私は、論理的に、最も確実な手段を選んだ。
ゴドウィンは敵ではない。
……という、前提そのものが、間違っていたとしたら?
聖堂の奥。
祭壇の後ろにあった重厚な石扉が、重々しい音を立てて開き始めた。
闇の中から、コツ、コツ、と革靴の音が響く。
現れたのは、仕立ての良い高級スーツを着こなし、片手に赤ワインのグラスを持った、初老の紳士。
警務部長、ゴドウィン。
彼は、受話器を持ったままのエラーラと、立ち尽くすカレルを見下ろし、優雅にグラスを掲げた。
「やあ。電話ありがとう、エラーラ君!……随分と、熱烈なラブコールだったじゃないか!」
カレルが、信じられないものを見る目で呻く。
涙で濡れたその顔は、絶望を超えて、理解の範疇を超えた虚無に染まっていた。
一週間前、自分の手を握り、「共に戦おう」と泣いてくれた男。
自分が魂を売ってまで守ろうとした、組織の象徴。
ゴドウィンは、カレルの表情を見て、恍惚としたため息をついた。
彼は、ぶら下がっていた黒電話の受話器を拾い上げ、戻した。
その音は、エラーラ・ヴェリタスの「論理」の死を告げる、断頭台の音のように響いた。
「さあ、実験を続けようか!この『他責』という名の喜劇の幕引きを、特等席で見せてもらおう!」




