表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェリタスの最終定理2 ナラティブ・ヴェリタス【●印の章だけ読んで】  作者: Wan Liyue 王璃月
顔のない悪魔

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

215/292

第1話:顔のない悪魔(1)

24時間前。

王都警察本部、最上階、特別応接室。

分厚い絨毯と、磨き上げられた机。

そこには、王都の「秩序」を司る空気が澱んでいた。

エラーラ・ヴェリタスは、突き出された冷たいコーヒーに手もつけず、目の前の男を見据えていた。

ゴドウィン警務部長。

制服のシワ一つなく、銀縁眼鏡の奥に、冷たい瞳を隠した男。彼は、王都警察という巨大組織の「事務処理能力」そのものだった。


「……ヴェリタス女史。あなたは『明日、怪物が蘇り、式典を襲撃するから、実弾兵器と避難計画を用意しろ』と仰るのですか?」


ゴドウィンは、エラーラが提出した分厚いデータファイルを机に放り投げた。

紙束が散らばる音が、死刑宣告のように響いた。


「非科学的だ。魔導キノコの食べ過ぎではありませんか?」


「私は『データ』に基づいて話している」


エラーラは、散らばった資料の中から、一枚のグラフを指差した。


「これは地下の振動データと、生体反応のスペクトルだ。あの爆発で、奴らの個体は四散したが、活動は停止していない。奴らは……魔導は効かない。奴らの周囲には、魔力を無効化する『怨念のフィールド』が展開されている。物理兵器が必要だ。今すぐ、明日の『王都平和記念式典』を中止しなさい」


ゴドウィンは、溜息をついて眼鏡を外した。そして、まるで駄々っ子を諭すような口調で言った。


「女史?あなたは、組織というものを理解していないようだ。明日の式典には、国王陛下も臨席される。各国の招待客もいる。予算も計上済みだ。テレビ中継の枠も、パレードの楽団も、すべてが秒単位で決まっているのです。『いるかどうかも分からないオバケ』のために、国家行事を止められるわけがないでしょう」


「……人が死ぬぞ」


「警察の魔導兵器は世界一だ。万が一、暴徒が出ても鎮圧できる!」


「魔法は効かないと言っている!」


「それにね」


ゴドウィンは、エラーラの言葉を遮り、低い声で言った。


「公式記録では、その怪人……『ヤスリウサギ』と『ハンマーコアラ』は3年前に全滅しているんだ。公文書に『死亡』と書かれている以上、奴らは死んでいるんだよ。今さら撤回したら、捜査本部のミスになるだろう。一体誰が責任を取るんだ?」


エラーラは、立ち上がった。

彼女の目は、ゴドウィンではなく、この部屋に充満する「腐敗した空気」を軽蔑していた。


「……ならば、好きにしたまえ。だが覚えておけ。明日、お前たちが守るのは『市民の命』ではない。『組織の面子』という名の、血塗られた紙切れ一枚だ」


エラーラが部屋を出て行くと、ゴドウィンは鼻で笑い、内線電話を取った。


「あー、秘書課。明日の警備計画だが……『レベル3』から『レベル1』に引き下げておけ。不審者の侵入対策だけでいい。……ああ、予算が浮くからな。その分を、私の退職金の積立に回しておいてくれ」



そして、当日。

王都の空は、皮肉なほどに晴れ渡っていた。

中央広場は、色とりどりの風船と、着飾った一千万人の市民、そしてファンファーレを奏でる楽団の音色に包まれていた。


「王都の平和は、我々警察が守ります!」


ステージ上では、市長が高らかに演説している。

その周囲を固めるのは、最新鋭の儀礼用魔導鎧を纏った機動隊員たち。

彼らの装備はピカピカに磨き上げられているが、その手に握られているのは、実弾の出ない「魔導ライフル」だけだった。

エラーラとナラティブは、広場を見下ろすビルのバルコニーにいた。

ナラティブは、不穏な空気に身震いをした。


「……お母様。鉄の味がするわ。それも、錆びついた鉄と、腐った脂の混ざった……吐き気がするような味が」


「ああ……『現状維持』という名の、地獄の蓋が開く」


その瞬間だった。

ファンファーレの音をかき消すように。

いや、広場の空間そのものを「削り取る」ように。


ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……。


不快な重低音が響いた。

市民たちが「なんだ?」と足元を見た、次の瞬間。

広場の中央、噴水があった場所が、音もなく「消失」した。

爆発ではない。

直径50メートルの円形の範囲が、まるで巨大なスプーンで掬い取られたかのように、きれいに抉り取られたのだ。

そして、奈落の底から、ゆっくりとせり上がってくる二つの影。

3年前よりも一回り巨大化し、全身に無数の継ぎ接ぎがある再生怪人たち。

焼けただれた皮膚と、金属が癒着した肉体。

その顔には、ボロボロになった「ウサギ」と「コアラ」の仮面が、肉にめり込むように張り付いていた。

『再生』したヤスリウサギ。

『強化』されたハンマーコアラ。

地獄の底から、彼女たちは帰ってきた。

「秩序」を削り、「混沌」を叩き潰すために。


「……あ、あ……」


最前列にいた市民たちは、悲鳴を上げることすらできなかった。

ヤスリウサギが、右手に持った長大な工業用ヤスリを、水平に一閃させたからだ。

それは、剣のように鋭い斬撃ではない。

「削る」という行為を、音速で行う暴力。

ザリッ、という乾いた音がした。

最前列にいた50人の市民が、一斉に体勢を崩した。

彼らは、自分が転んだのだと思った。

だが、地面に手をついた瞬間、彼らは気づいた。

「視線が低い」ことに。


「……え?」


ある男が、自分の足元を見た。

膝から下が、ない。

切断されたのではない。

太ももの断面は、まるで大理石のように「滑らかに研磨」され、骨も血管も筋肉も、全てが均一な平面になっていた。

痛みはない。神経ごと削り取られたからだ。

だが、数秒後。

心臓が血液を送り出し、断面から噴水のように鮮血が吹き上がった。


「ぎゃあああああああ!痛いいいいい!」


「ない!ない!ない!」


50人の人間が、ダルマのように転がり、血の海でもがき苦しむ。

削り取られた足はどこにもない。微細な肉の粉塵となって、空中に赤い霧として漂っていた。


「ひぃっ!来るな!来るなぉぉぉ!」


人々が将棋倒しになり、子供が踏みつけられる。

そこへ、ハンマーコアラが、ゆっくりと歩を進めた。

彼女は、地面に転がる「脚のない人間たち」を、障害物とすら認識していなかった。


広場を取り囲む警備隊長、カレル警部は、目の前の惨劇に凍りついていた。

部下が、市民が、目の前で肉塊に変わっていく。

魔導拳銃を抜こうとした、その時。

インカムから、ゴドウィン部長の怒鳴り声が鼓膜を突き破った。


『総員動くな!隊列を乱すな!攻撃許可は出さない!そこには「何もいない」!』


「なに言ってんですか!市民が殺されています!怪物が!」


『黙れカレル!それは「ガス管の破裂事故」から始まった「集団ヒステリー」によるパニックだ!いいか、我々が攻撃すれば、敵の存在を「認めた」ことになる!3年前の報告書と矛盾するんだ!組織の決定だ!「異常なし」!「これは訓練」!以上!』


カレルは、絶望した。

目の前で起きている「虐殺」よりも、机の上の「書類の整合性」が優先される。

それが、この組織の正体だった。


「……くそッ!くそぉぉぉぉ!」


カレルは拳を震わせたが、引き金を引けなかった。彼もまた、組織に飼われた犬だった。彼は、血の涙を流しながら、拡声器を握った。


「市民の皆さん!落ち着いてください!これは避難訓練です!演出です!怪我人は演技です!」


そのアナウンスが響いた瞬間。

ハンマーコアラが、逃げ遅れた群衆のど真ん中に、巨大な解体用ハンマーを叩き落とした。

衝撃波が、物理的な壁となって広がった。

ハンマーが直撃した中心点の10人は、即死などという生易しいものではなかった。

強烈な圧力により、皮膚が裂けるよりも早く、中身の臓器と血液が液状化し、毛穴という毛穴から外へ噴出した。

彼らは一瞬で、人の形をした「赤い水風船」となり、そして破裂した。

原形を留めない肉のペーストが、周囲の群衆に降り注ぐ。

隣にいた女性は、顔面に「誰かの肝臓だったもの」を浴び、悲鳴を上げようとして、その口の中に骨片が飛び込み、喉を詰まらせて窒息した。

地面には、人間が圧着された、赤黒いシミだけが残った。


「ふッざけんな!訓練なわけあるか!」


若い機動隊員の一人が、命令を無視して飛び出した。

彼は、王都最強と謳われる「特務魔導中隊」のエースだった。


「魔導カノンなら!」


彼の手から、閃光が放たれた。

戦車さえも蒸発させる熱線。

だが、その光は、ヤスリウサギの体に触れる寸前、霧のように散った。


「……お、おろっ?だめじゃん……」


ヤスリウサギは、魔導士の方を向いた。

仮面の下の瞳には、感情がない。

ただ「歪み」を見つけた職人の目があった。

彼女は、ヤスリを突き出した。

魔導士は、とっさに防御魔法を展開し、さらに物理的な盾として、自分の魔導杖を前に構えた。


ガリガリガリガリガリッ!!


ヤスリウサギは、魔導杖と、それを握る魔導士の両腕を、「一つの素材」として認識した。

彼女は、杖ごと、腕ごと、ヤスリがけを行った。

硬い杖の木材と、人間の肉と、骨。

それらが、高速の摩擦によって熱を持ち、溶け合い、混ざり合う。


「ああああああ!離れろって!なああああああ!」


魔導士の絶叫。

数秒後。彼の両腕は消滅していた。

代わりに、彼の肩からは、木屑と骨粉と肉片が練り込まれた、「滑らかな棒状の突起」が生えていた。

武器と肉体が、ヤスリがけによって完全に一体化し、奇妙なオブジェへと「加工」されてしまったのだ。

彼は、自分の肩から生えた、自分の腕だったモノを見て、発狂して死んだ。


ビルのバルコニー。

ナラティブは、鉄扇を握りしめて震えていた。


「お母様! もう限界よ!警官が全滅する! 市民が死ぬ!あたしが行く! 鉄扇で注意を引けば……!」


「動くな。」


エラーラは、ナラティブの肩を掴んで座らせた。

その目は、氷河のように冷たかった。


「見なさい、ナラ。彼らの目を」


ナラティブは、眼下の地獄を見た。

逃げ惑う警官たち。

彼らは、ナラティブたちがいるバルコニーに気づいていた。

そして、目で訴えていた。


『おい、探偵だろ? 英雄だろ?』


『なんとかしろよ』


『俺たちには攻撃許可が出ないんだ。お前が勝手にやってくれ』


『そうすれば、俺たちは責任を負わずに済む』


『俺たちの面子を潰さずに、俺たちを助けろ』


誰も「助けてくれ」とは叫ばない。

カレルですら、無線機を握りしめたまま、上層部の顔色を窺って動かない。

彼らは、死ぬ寸前まで「組織の部品」であり続けようとしている。


「……ッ、最低」


ナラティブは、吐き気を催した。


「そうさ。最低だ。彼らは、自分たちの手が汚れるのを嫌っている。お前が今飛び出して、怪物を倒したとしよう。彼らは感謝すると思うかい?いいや。彼らは報告書にこう書く。『ナラティブ・ヴェリタスが状況を混乱させた』とね。手柄は彼らのもの。被害の責任はお前のもの。……そんな奴らに、お前の高潔な魂をすり減らす必要は、ない!」


エラーラは、冷酷に告げた。


「私は昨日、彼らにはっきりと尋ねた。『対策はあるか』と。彼らは『ない』と言った。ならば、ここには『対策すべき敵』などいないのだ。……放置したまえ。彼らの望み通り、『ガス管』と戦わせておけばいい」


広場の惨劇は、最終段階に入っていた。

警察部隊は壊滅状態。

市民の半数が死傷した。

ハンマーコアラは、広場の出口に殺到する群衆の後ろに立った。

彼女は、ハンマーを振り上げなかった。

ハンマーのヘッドを地面に置き、それをローラーのように押し出しながら、群衆の中を「直進」した。


ゴロゴロゴロゴロ……。


ハンマーという巨大な鉄塊が、逃げ遅れた人々の背中を、ふくらはぎを、頭蓋骨を、地面に押し付けながら進んでいく。

プチプチ、と気泡緩衝材を潰すような音が連続する。それは人間の頭蓋骨が割れる音だ。

人々は、逃げることも、叫ぶこともできず、後ろから迫りくる質量によって、アスファルトに「塗り込められて」いく。

骨が砕け、肉が薄く引き伸ばされ、道路の一部となる。

コアラが通り過ぎた後には、赤と白とピンク色が混ざり合った、グロテスクな「人間カーペット」による道が出来上がっていた。

その道の上を、ヤスリウサギが歩き、仕上げに表面を「磨いて」いく。

完璧な、死の舗装道路。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ