第6話:夢を追う者(6)
その小包は、リウ・ヴァンクロフトの屋敷に、雨の日の午後に届いた。
差出人の名前はない。
ただ、宛名書きの文字の癖を見て、リウはすぐに「誰」からの贈り物かを察した。
「……懐かしい方から、ファンレターですわ」
リウは、ナラとエラーラに、その箱を見せた。
一見すると、高級な菓子折りのような箱だ。
だが、箱の表面には水滴がついており、触れると氷のように冷たい。
そして何より、微かだが、無視できない「魔力の歪み」が漏れ出している。
「……爆弾ね」
ナラは即座に鉄扇を構え、エラーラを背に庇った。
「開けた瞬間に起爆する術式かもしれない。リウ、離れなさい」
「同感だ」
エラーラも眼鏡の位置を直し、険しい表情を見せる。
「内部から、有機的な波長を感じる。これは『呪詛』だ」
だが、リウはクスクスと笑い、銀のナイフを手に取った。
「まあ、お二人は心配性ですのね。わたくしにはわかりますわ。『呪詛』……確かに。……確かに、差出人の『魂の形』を凝縮した、粘着質なメッセージですわ」
「リウ!よせ!」
ナラの制止を無視し、リウは箱のリボンを切り、蓋を開けた。
冷気が溢れ出す。
白い霧が晴れた後、箱の中に収められていたものを見て、ナラとエラーラは息を呑み、そして絶句した。
そこには、赤ん坊が入っていた。
生後数ヶ月ほどの乳児。
だが、その体は青白く、動かない。
死んでいるのではない。
高度な「時間凍結魔法」によって、生きたまま、その時間を止められ、氷漬けにされているのだ。
まるで、冷凍食品のように、無造作に、丁寧に梱包されていた。
「……なんて……こと……」
ナラの手から、鉄扇が滑り落ちた。
赤ん坊の胸の上には、一枚の手紙が置かれていた。
リウは、眉一つ動かさずにそれを手に取り、朗読を始めた。
『リウさんへお元気ですかあたしはマジで地獄ですあれから北の鉱山で強制労働させられましたほんと毎日泥まみれで爪も割れたし肌もボロボロだしユリウス役立たずだしあいつ俺は経営者とか喚いて看守に殴られたし稼げないからあたしが体張って看守に取り入ってやっと脱走したしこの子はその時の通行手形みたいなものだけどリウさんこの子すっごく泣くしミルク代かかるし生活の邪魔だしであたし気づいたのこれって全部リウさんのせいじゃんだってあの時リウさんがあたしを止めててくれればこんなことにならなかったしあんたがあたしを野放しにしたからあたしは不幸になったのあんたは支援するって言ったわよねなら一生責任取りなさいよこの子はあんたにあげるてかもう好きにしてあたしはもう一度人生やり直すから邪魔なゴミは持ち主に返すわそれがあたしのせめてもの誠意よユリウスには内緒にしてねあいつまだ自分が父親だと思ってるバカだから』
……面倒臭い手紙をやっと読み終えたリウは、ふぅ、と優雅にため息をついた。
「……ブラボー」
リウは、手紙を丁寧に折りたたんだ。
「完璧ですわ。1ミリの反省もなく、1ミクロンの母性もなく、100パーセントの他責思考。自分を不幸にしたのは世界であり、自分は被害者だから、子供を捨てても許される。……リルさん。貴女はやはり、わたくしが見込んだ通りの『本物』でしたわ」
ナラは震えていた。
怒りで、ではない。
理解の範疇を超えた、純粋な嫌悪感で。
「……あいつ、人間じゃないわ。自分の子供を……冷凍便で送りつけてきたっていうの?『邪魔だから』って理由で?」
「ええ。彼女にとって、この子は『泣く荷物』でしかなかったのでしょうね」
リウは、凍りついた赤ん坊の頬を、指先でつついた。
「エラーラ様。検分をお願いできますか?もう、答え合わせですけど……」
エラーラは、無言で赤ん坊に解析魔法をかけた。
彼女の表情は、科学者としての冷静さを保とうとしているが、その瞳の奥には隠しきれない畏怖があった。
「……生存している。解凍すれば、命に別状はないだろう。だが、この凍結魔法……素人がかけたものではない。軍用レベルの術式だ。鉱山の看守か、あるいは裏社会の術者にかけさせたのだろう」
そして、エラーラはDNA解析の結果を表示した。
「……やはりか。この子の父親は、ユリウスではない」
「でしょうね」
リウはニヤリと笑った。
「鉱山で『看守』に取り入り、この子を産んだ。そして脱走の際、この子を盾にするか、あるいは人質として利用し……用済みになったから、わたくしに送りつけた、というところでしょうね」
ナラは吐き気を催した。
「ユリウスは……それを知らないの?」
「ええ。手紙にもありましたでしょう?『あいつは自分が父親だと思ってるバカ』だと。ユリウスは、自分の子供だと信じて、リルの脱走を手引きし、今も一緒に逃げているのでしょうね。……憐れなピエロですわ」
リウは、アタッシュケースから一枚の写真を取り出した。
それは、裏社会の情報屋から買い取ったものだ。
「この子の本当の父親……。鉱山の看守長であり、裏で違法な魔導兵器を横流ししている危険人物。名を、ラジエルと言います」
写真に写っていたのは、凶悪な傷跡を持つ大男だった。
その目は、リルやユリアスのような「小悪党」とは違う。
本物の、殺し屋の目だ。
「彼もまた、リルさんに『夢』を見させられた被害者の一人ですわ。『あなたを愛してる』『ここから連れ出して』と囁かれ、金と権限を利用され……そして裏切られた。現在、彼は血眼になって二人を探しています。自分の『女』と、連れ去られた『息子』を取り戻すためにね」
その日の夜。
リウ、ナラ、エラーラの三人は、王都の最下層にある闇賭博場にいた。
紫煙が燻る個室の奥に、その男、ラジエルは座っていた。
「リウ?……元請けの取引先か……ヴァンクロフト製造の令嬢が、一体何の用だ」
ラジエルの声は、地底から響くような重低音だった。
彼は、テーブルの上に置かれた巨大な魔導銃を撫でていた。
リウは、優雅に扇子を開き、一枚の紙を差し出した。
「メンツの問題ですわ……取引をしましょう、ラジエル様。貴方が探している『泥棒猫』と『間抜けな元ホスト』の居場所……提供いたしますわ」
ラジエルの目が、ギラリと光った。
「……なぜだ?お前たちはあいつらの知人だろう」
「ええ。ですが、わたくしの元にも、少々不愉快な『落とし物』が届きましてね……これは、『メンツ』の問題ですわ……」
リウは、多くを語らなかった。
赤ん坊のことは伏せた。
ただ、「リルが何らかをやらかして取引先の令嬢のリウをコケにした」という事実と、現在の潜伏先が書かれたメモだけを渡した。
「……なるほどな?あのアマ、俺の子を盾にして逃げた挙句、お前の『メンツ』にも泥を塗ったか」
ラジエルは立ち上がった。
その全身から、どす黒い殺気が噴き出す。
「礼を言うぜ、リウちゃん。……俺の『愛』を裏切った代償、きっちり払わせてやる」
ラジエルは、部下を連れず、たった一人で部屋を出て行った。
その背中には、愛憎という名の爆薬が満載されていた。
ナラは、震える声でリウに尋ねた。
「……これでよかったの?あいつ、二人を殺す気よ」
リウは、無表情で答えた。
「ナラさん。リルさんは手紙でこう言いましたわ。『あたしはもう一度、人生をやり直すから』と。……他人の人生を踏み台にし、子供を捨て、嘘で塗り固めた『やり直し』に、果たして価値はあるのかしら?」
翌朝。
王都のニュース速報が、朝の食卓を凍りつかせた。
『第三埠頭の倉庫街にて、三名の遺体を発見。現場は激しく損壊しており、魔導兵器による戦闘の痕跡あり』
・・・・・・・・・・・
埠頭での惨劇から数日後。
雨は上がり、王都には皮肉なほど穏やかな陽光が降り注いでいた。
リウ・ヴァンクロフトの屋敷。
暖炉の前では、解凍された赤ん坊が、乳母に抱かれてミルクを飲んでいる。
その安らかな寝顔を確認した後、大賢者エラーラ・ヴェリタスは、サロンのソファに座るリウに向き直った。
リウは、いつものように扇子を揺らしていたが、その表情はどこか虚ろだった。
エラーラは、静かに、だが鋭利な刃物のような声で切り出した。
「……リウ君!君を軽蔑するよ!」
「あら、いきなりですわね?」
「とぼけるな!君はこの結末を知っていた。……いや、誘導したね?」
エラーラは続ける。
「ラジエルという男の情報を流せば、どうなるか。君ほどの知性があれば、彼らが殺し合うことは100%予測できたはずだ。君は、リル君を救うふりをして、最高の『悲劇』を演じさせ、それを鑑賞して楽しんだ。……人の死を娯楽にするその精神構造、まさに!怪物だ!」
ナラティブも、拳を握りしめてリウを睨んだ。
「そうよ!あんた、リルのことなんて最初からどうでもよかったんでしょ?ただの暇つぶしのおもちゃにして……!」
リウは、扇子を持つ手を止めた。
そして、ゆっくりと扇子をテーブルに置いた。
その下から現れた顔は、愉悦に歪んだ怪物の顔ではなかった。
大粒の涙が、その美しい頬を伝い落ちていた。
「違いますわ!」
リウの声は、いつもの芝居がかった口調ではなく、震える生身の女性の声だった。
「わたくしは……止めたのです!何度も。何度も……!」
「え……?」
ナラティブが息を呑む。
リウは、涙を拭おうともせず、独白を始めた。
「貴女方はご存じないでしょうけれど……リルさんが屋敷に来た当初、彼女はひどい状態でしたの。薬が切れるたびに暴れ、家具を壊し、わたくしに噛みつきました。それでも、わたくしは最高の医師団を雇い、彼女の体から毒を抜きました。それは、彼女への慈悲ではありません。『せめて、人間としての思考能力を取り戻させなければ、対話すらできない』と思ったからです」
リウは、自身の腕をまくり上げた。
そこには、無数の噛み跡や、ひっかき傷の跡が残っていた。
「薬が抜けた後、彼女はどうしたと思います?感謝?……いいえ!彼女はわたくしを脅迫しましたの!」
「脅迫!?」
「ええ。『あたしをこんな体にしたのは、あんたが店を買い取ったせいだ』と。『ヴァンクロフト家の令嬢が、獣人を監禁して虐待しているとマスコミに流す』と。……彼女は、わたくしの家名と、世間体を人質に取りました」
ナラティブは絶句した。
あの健気に見えた更生劇の裏で、リルはリウを食い物にしていたのだ。
「それでも!……わたくしは金を渡しました。彼女が『魔導ネットで稼ぎたい』と言った時も、機材を揃えました。『ホストクラブに行きたい』と言い出した時も、止めましたわ。
『そんな所に行けば、また同じことの繰り返しになる』と。
でも彼女は聞かなかった。『あたしの金で何しようが勝手でしょ!』と……」
リウは、悔しげに唇を噛んだ。
「彼女は、わたくしの忠告をすべて無視して、破滅への道を全力で走り続けました。わたくしにできたのは……彼女が転んだ時に『致命傷を負わないように』、地面に札束を敷き詰めてやることだけでしたの」
エラーラが問う。
「なぜだ?なぜそこまでして、彼女を見捨てなかった?ただの『面白いおもちゃ』だからか?」
「なにを!……全然違います!」
リウが叫んだ。
「わたくしには……見えてしまうからですのよ。『予測できる破滅』に向かって行進する愚か者たちの未来が!」
リウは、震える手で紅茶のカップを掴んだ。
「あの豪邸を建てた時もそうです。わたくしは言いました。『やめなさい』と。経営学にはジンクスがありますの。『急成長した会社が、分不相応な自社ビルを建てた時、その経営は傾く』。……家庭も同じです。不確定な資金源を当てにして、巨大な固定費を抱えれば、必ず破綻する。これは呪いではなく、ただの算数です。わたくしは、口を酸っぱくして言いました。『賃貸にしなさい』『貯金をしなさい』『ユリアスの事業計画は穴だらけだ』と!」
リウは、涙声で続けた。
「でも!彼らは!笑いました!『リウ様は慎重すぎる』『あたしたちは特別だから大丈夫』と。……わたくしは、彼らが崖に向かって走っていくのが見えるのに、彼らには目の前の花畑しか見えていない。その『ズレ』を見届けるのが……どれほど辛いか!……どれほど!辛いか!わかりますか!」
ナラティブは、言葉が出なかった。
リウがニヤニヤしていたのは、けして面白がっていたからではない。
「ほら、言った通りになったでしょう?」という、諦めと虚無の笑いだったのだ。
リウは、ソファに深く沈み込んだ。
「【わたくしは、今まで何人も見てきましたの。才能はあるのに、酒で潰れる画家。美貌はあるのに、男で身を持ち崩す女優。実力はあるのに、プライドが高すぎて孤立する起業家。】……わたくしがいくら忠告しても、彼らは『うるさい』と耳を塞ぎ、そして、予測通りに死んでいく」
リウは、天井を見上げた。
「だから、わたくしは『画家』になったのです。『道楽者の遊び人』という仮面を被りました。真面目に忠告して、無視されて、死なれるのは……もう、心が持ちませんもの。『わたくしは狂人です。貴方達の破滅を楽しむ観客です』という態度を取っていれば、彼らが死んでも『ああ、面白い悲劇だった』と笑い飛ばせる。……そうやって、自分を騙さなければ、毎晩……悪夢に押しつぶされてしまいますわ!」
リウの告白は、あまりにも重かった。
彼女の奇行のすべては「正気」を保つための演技だったのだ。
彼女はけして、冷酷なのではない。
感受性が強すぎて、人の愚かさに耐えられなかっただけなのだ。
静まり返ったサロンで、エラーラが立ち上がった。
彼女はリウの前に歩み寄り、その手を取った。
「……リウ君。一つ、確認させてくれ」
「……何ですの?」
「君のその『人を導こうとする渇望』と『届かない言葉への絶望』。そして、その体系立てられた人間観察のロジック。
ところで……君の最終学歴は?遊び人の半浮浪者にしては……」
リウは、驚いたように目を丸くし、そして苦笑した。
「……バレてしまいましたか。わたくし、王都アカデミー教育学部、臨床心理学科の卒業生ですわ」
ナラティブが叫んだ。
「ええっ!?それって、エラーラと同じ大学じゃない!」
「そうですわ。エラーラ様は理学部の伝説的な天才でしたからね」
リウは、自嘲気味に語った。
「わたくしは、教育者になりたかったのです。愚かな選択をする人々を、知識と対話で導き、救いたかった。ですが……現実は教科書通りにはいきませんでした。人は、正しいことよりも、心地よい破滅を選ぶ生き物なのです。わたくしは教育実習の現場で、そして社交界で、救えない魂を山ほど見て……絶望して、筆を折りましたの」
エラーラは、深くため息をついた。
彼女の瞳にあったリウへの敵意は消え、代わりに深い共感と、同情の色が宿っていた。
「……そうか。君も『こちら側』だったのか」
知性があるがゆえに、愚行の結末が見えてしまう呪い。
救おうとしても、言葉が届かない無力感。
エラーラが研究室に引きこもったのに対し、リウは道化の仮面を被って世間に留まり続けた。
その精神的負荷は、計り知れない。
「君は怪物を演じていたが……中身は、ただの『疲れた教師』だったんだね……」
リウは、その言葉を聞いて、子供のように泣きじゃくった。
「……悔しいですわ!リルさんを……更生させたかった。彼女に、自分の力で立つ喜びを、教えたかった。でも、わたくしの授業は……彼女には退屈すぎたようです」
泣き止んだリウは、解凍された赤ん坊を抱き上げた。
「ラジエルに居場所を教えたのは、最後の賭けでしたの。
彼らに『死』が降りかかることで、この子だけは……この子だけは、因果の鎖から切り離したかった」
リウは、赤ん坊の頬を指でつついた。
赤ん坊は、リウの指を小さな手で握り返した。
「エラーラ『先輩』。わたくし、もう一度だけ、教師をやってみようと思いますの」
「この子を育てるのか?」
「ええ。リルさんとユリウス、そしてラジエル。愚かな親たちの遺伝子を受け継いでいますが……教育環境で人は変われると、証明したいのです。それが、教育学部を首席で卒業した、わたくしのプライドですわ!」
リウの顔には、もう道化の笑みはなかった。
そこにあったのは、困難な研究課題に挑む、一人の教育者の真剣な眼差しだった。
ナラは、肩の力を抜いた。
「……やれやれ。狂人かと思ったら、とんだ熱血教師だったわけね。安心したわ。この子なら、まともに育ちそうね」
「あら、ナラさん。もちろん、尻尾への愛は教育カリキュラムに組み込みますわよ?情操教育には『モフモフ』が不可欠ですもの!」
「前言撤回! やっぱり不安だわ!」
三人の間に、微かな笑いが戻る。
窓の外の雨上がりの空には、虹がかかっていた。
エラーラは、帰り道、ナラティブに言った。
「彼女は、私よりも強いかもしれないね」
「どうして?」
「私は『わからず屋』からは逃げるが、彼女は傷つきながらも、他人と関わり続けようとする。……教育者としては、彼女の方が一流だよ」
埠頭の死体は片付けられ、愚かな親たちの物語は終わった。
だが、リウ・ヴァンクロフトの屋敷では、新しい授業が始まる。
それは、血の呪いと、負の連鎖を断ち切るための、長く、困難で、しかし愛に満ちた補習授業だった。




