第4話:夢を追う者(4)
その報告がもたらされたのは、リウが狐獣人のリルを「飼い殺し」にするために屋敷へ引き取ってから、数カ月後のことだった。
獣病院の二階。
エラーラとナラの元に、一通の招待状が届いた。
差出人はリウ。封筒は最高級の羊皮紙で、甘い香水が焚き染められている。
『親愛なる友人たちへ。わたくしの『作品』が、面白い進化を遂げましたの。ぜひ、見にいらして? きっと驚かれますわ』
「……嫌な、予感しかしないわね」
ナラは眉をひそめた。
あの時、リルは完全に壊れていた。
麻薬中毒特有の自己正当化と、被害者意識の塊。
リウの屋敷で薬漬けになり、廃人になっているとばかり思っていた。
だが、リウの屋敷――王都の一等地にそびえる白亜の豪邸を訪れた二人は、我が目を疑うことになった。
「いらっしゃい! ナラ、エラーラ!」
出迎えたのは、健康そのものの姿をした、リルだった。
肌は透き通るように白く、自慢の黄金の尻尾は艶やかに手入れされ、最高級のシルクのドレスを纏っている。
手の震えはない。瞳孔も開いていない。
あの澱んだ腐臭は消え、高貴な花の香りが漂っていた。
「リル……? あんた、その体……」
「ふふん、驚いた?やめたのよ、薬。きっぱりとね」
リルは、勝者の笑みを浮かべた。
「リウ様のおかげよ。最高の環境、最高の食事、そして……『最高のビジネス』を見つけたから」
通されたサロンで、リルは自慢げに一枚の魔導端末を操作した。
空中に投影されたのは、王都の若者たちの間で流行している魔導通信の画面だった。
そこに映し出されていたのは、リルの過激な写真の数々だった。
衣服をまといながらも、獣人特有の扇情的なラインを強調した「きわどい」写真。
あるいは、会員限定で公開されているという、完全なヌード写真。
「見て。フォロワー数、500,000人突破よ」
リルは、画面上の数字を指差した。
「あたし、気づいたの。コンカフェで安い客に媚びるより、ネットで『幻想』を売る方が、遥かに効率がいいってね。月額会員費だけで、今の月収は50,000,000クレストを超えているわ」
「ご、ごせんまん……?」
ナラは絶句した。王都の騎士団長の年収すら超えている。
「すごいでしょ?リウ様も協力してくれたの。撮影スタジオも、衣装も、全部リウ様が用意してくれた。あたしはただ、この体を一番高く売れるアングルで晒せばいいだけ」
リルは、薬物の快楽ではなく、「数字が増える快楽」に酔いしれていた。
彼女は続けた。
「それにね、コンカフェも復帰したわ。ただし、あの掃き溜めじゃない。王都の高級リゾート区画にある『クラブ・ルナ』。そこで『ネットの有名人に会える』っていう触れ込みで働いてるの。時給? 以前の100倍よ。シャンパンのバック率は50%。あたし、もう『底辺』じゃないの」
ナラは、リルの顔をじっと見た。
確かに、薬の気配はない。
自分の力で稼ぎ、自立しているように見える。
「……すごいじゃない。見直したわ。あんなに『薬がないと死ぬ』って喚いてたのに」
「ええ。バカだったわ、昔のあたし。あんな粉末より、もっと素晴らしい『脳内麻薬』を見つけたんだもの」
リルは頬を紅潮させ、うっとりと目を細めた。
「……彼のおかげよ」
サロンの扉が開き、一人の男が入ってきた。
その瞬間、部屋の空気が変わった。
洗練された移り香。隙のない身のこなし。
そして、見る者すべてを魅了し、同時に威圧するような、絶対的な捕食者のオーラ。
「お待たせしました、マイ・プリンセス」
男は、リルの隣に座り、慣れた手つきで腰を抱いた。
プラチナブロンドの髪。整いすぎた顔立ち。
魔導スラム「龍頭」の伝説的ホストクラブ『夢幻サロン』の元No.1にして、現在は王都のナイトビジネスを統べる「夜の王」。
かつて、リンという少年を一家惨殺という地獄に突き落とした男。
「紹介するわ。あたしのフィアンセ、ユリウスよ」
リルが誇らしげに紹介する。
ユリウスは、ナラとエラーラに、完璧な営業スマイルを向けた。
「初めまして。リルのパートナーのユリウスです。彼女の古いご友人だとか。彼女がどん底の時に支えてくださったこと、心より感謝します」
完璧だった。
声のトーン、視線の配り方、間の取り方。
ナラですら、一瞬で「いい男だ」と錯覚させられるほどの、プロ中のプロの所作。
「……ホスト、さんが、何の用?」
ナラが警戒して尋ねると、ユリウスはリウの方を向いた。
「本日は、リウ・ヴァンクロフト様へのご挨拶に伺いました。リルを保護し、彼女の才能を開花させてくださったパトロンである貴女に、スジを通しに」
ユリウスは、テーブルの上に分厚いアタッシュケースを置いた。
「これは、リウ様がリルに投資された金額の倍額です。彼女の借金の肩代わり、生活費、スタジオの設営費……すべて耳を揃えてお返しします」
「あら」
リウは口元を隠し、楽しげに目を細めた。
「お金なんて結構ですのに。わたくしは楽しませていただいたのですから」
「いいえ、それは男として、俺のプライドが許さない。彼女は俺の女だ。俺の女の面倒を他人に、それも無償で見てもらうわけにはいきません」
ユリウスは、リルの手を取り、その甲に口づけをした。
「俺たちは結婚します。リルの『魔導ネット』での発信力と、俺の『夢幻グループ』の組織力。二つが合わされば、王都の夜は俺たちのものです。俺たちは、最強のビジネスパートナーであり、最愛の夫婦になる」
リルは、とろけるような顔でユリウスを見つめていた。
「そう……あたし、彼に救われたの。彼が言ってくれたの。『君の価値はそんなものじゃない』って。彼のために綺麗になりたくて、薬もやめられた。彼のために稼ぎたくて、写真も頑張れた。……あたし、今が一番幸せなの」
ナラは、二人の様子を見て、息を吐いた。
ユリウスという男の噂は聞いている。冷酷な捕食者だと。
だが、目の前の二人の間に流れる空気は、嘘には見えなかった。
事実、リルは薬をやめ、稼ぎ、自立し、愛する男を見つけた。
それは、あの地獄のようなコンカフェで「死ぬ」と喚いていた姿からは想像もできない、奇跡的なハッピーエンドに見えた。
「……そう。おめでとう」
ナラは、素直に言葉を紡いだ。
「心配してたけど……杞憂だったみたいね。リル、幸せになりなさいよ。ユリウス、あんたもね。あの子を泣かせたら、あたしが鉄扇で殴り込みに行くから」
「肝に銘じます」
ユリウスは涼やかに笑った。
ナラは安堵した。
これで、一つの事件が終わったのだと。
だが。
エラーラだけは、紅茶に口をつけず、じっと…………リウを見ていた。
この屋敷の主、リウ・ヴァンクロフト。
彼女は、二人の結婚報告を聞いて、祝福の言葉を述べていた。
「素晴らしいですわ」「お似合いですわ」と。
だが、彼女の唇は、分かりやすいくらいに、引きつっていた。
ユリウスとリルが、腕を組んで帰っていった後。
サロンには、ナラとエラーラ、そしてリウが残された。
「よかったじゃない、リウ」
ナラは言った。
「あんたの『ペット計画』は失敗したけど、あの子が更生できたのは、あんたの支援のおかげよ。少しは見直したわ」
「失敗?」
リウは、ポカンとした顔をした。
そして、クスクスと笑い始めた。
「ふふ……ふふふ……。ナラさん。貴女は本当に、ピュアで可愛らしいですわね」
「は?何がおかしいのよ」
リウは、扇子をパチンと閉じた。
その瞳には、昏い愉悦の炎が揺らめいていた。
「更生?……いいえ。彼女は何ひとつ変わっていませんわ」
「どういうこと?」
エラーラが、カップを置いて引き継いだ。
「……依存先が変わっただけだ」
エラーラは、静かに解説した。
「リル君は、『自分の意志で判断できない』という根源的な欠陥を治していない。以前は、その空虚さを『薬物』で埋めていた。今は、それを『ユリウス』と『数字』で埋めているだけだ」
リウが頷く。
「その通りですわ。彼女は『彼のために』と言いましたけれど。それは……裏を返せば『彼がいなければ生きていけない』ということですの。彼女が稼いでいる莫大な金……あれは、果たして、一体、誰が管理していると思います?」
ナラはハッとした。
「ま、まさか……!」
「ええ。ユリウスですわ。」
リウは楽しげに語る。
「ユリウスという男は、超一流の『寄生虫』です。つまり、彼は、リルを愛しているわけではありません。リルという『高収益を生み出す鉱脈』を見つけ、それを独占するために『結婚』という契約で囲い込んだのです」
リウは、ユリアスが置いていった返済金を指差した。
「見てご覧なさい。この金。これは、リルさんが身体を晒して稼いだ金です。リルはユリウスに貢ぎ、ユリウスは、わたくしに『返金』した。これで、リルさんは完全にユリアスのものになりました。……借金は消えましたが、代わりに彼女は『愛』という名の、法では裁けない鎖に繋がれたのです」
ナラは青ざめた。
「でも、薬はやめたわ! 健康になったし……」
「ええ。ユリウスにとっても、品物が壊れては困りますからね。彼は徹底的に彼女を管理するでしょう。薬は抜く。食事は管理する。睡眠も管理する。……あたかも、優秀な牧場主が、乳牛を管理するように」
リウは、うっとりと天井を見上げた。
「想像してみてくださいまし。『貴方のためなら死ねる』と信じ込んでいる女と。その女を『金を生む家畜』としか見ていない男。彼女は、薬物をやめた代わりに、ユリウスという名の、もっとタチの悪い『劇薬』を静脈に打ち込み続けているのです」
「そして……」
エラーラが補足する。
「彼女の人気は、いつか弾ける。若さは永遠ではない。魔導通信の流行り廃りは早い。稼げなくなった時、ユリウスはどうするかな?」
リウが、残酷な答えを口にする。
「捨てるでしょうね。あるいは、最後の最後まで骨までしゃぶるために、もっと過激なことをさせるか、保険金をかけるか……。薬物中毒なら、施設に入れば治るかもしれません。
ですが、『愛』という名の依存は……地獄の底まで落ちても、本人は幸せだと信じたまま死んでいくのです」
リウは、扇子を開き、口元を隠してニヤニヤと笑った。
「ああ、ゾクゾクしますわ!『薬をやめて幸せになりました』?そんな安っぽいハッピーエンドより、遥かに退廃的で、美しい破滅の予感がしますわ!わたくしは、この特等席で、彼らの『愛の巣』がどう崩れ落ちていくか、ゆっくりと鑑賞させていただきます」
ナラは、拳を握りしめた。
「……あんた、最初からそれをわかってて!」
「ええ!『分かって』いましたわよ?」
ナラは、言葉を失った。




