八魂輪廻
暗い。
寒い。
何も見えない、何も聞こえない。
まるで重たい水の底に沈んでいくような感覚だけがある。
(わたし…死んじゃったんだ。本当に。なんでこんなことになっちゃったんだろう。妖怪の皆も、ここにいるのかな)
チリン。
鈴の音が、やけに近くで鳴った気がする。
次に聞こえたのは、聞き覚えのない声。
でも、どこか懐かしいような声が響いた。
それは頭の奥、いや、魂の奥のほうからか。
『八魂輪廻。ひとつ、燃え尽きた』
(八魂輪廻……?何だっけ。あっ、そういえば聞いた気がする。私の技能にあった。技能ってこういうことなんだ。……あぁ、なんとなく伝わってきた)
私の中にルールが染みて、理解が出来た。宴だ。宴があるんだ。
どくん、と何かが胸の奥で脈打つ。
それは痛みではない。むしろ止まっていた時間が動き出すような感覚だった。
瞼の裏が赤く染まっていき、やがて――
「ガッ……、は、ッ……!」
気管に残っていた血液が吐き出され、肺に空気が無理やり叩き込まれる。
私は地面に転がったまま、咳き込みつつも大きく息を吸い込んでいた。
そして眼前には、驚きのあまり目をひん剥いて固まっている原西賢人がいた。
その手には私の制服のリボンが握られていた為、ナニをしようとしていたのか明白だった。
「な、ななななな!えっ!えっ!えっ!なんで!どうして!!やばい!!生きてんのかよ、きっしょ!!なんで目を開けてるんだよっ!?死んでねーぞ!おい、元春ぅーッ!!!」
恐怖から、原西は慌てて私の上から飛び退くと、同級生である元春を大声で呼んだ。
だいぶ先の方に、喜多院元春と神川リオンが王城へと戻ろうとしているのが目に入った。
その声に振り返り、ニヤリと喜多院が楽しそうに笑い、神川は悍ましいモノをみるような険しい顔をしていた。
全部、覚えている。
忘れられるわけがない。
私の為に死んだ妖怪達の最後の姿。
怖かっただろうに、それなのに私の身を案じていた思念を思い出す。
喉の奥から、自分でも知らない魂の声が溢れた。
「赦さない――【百鬼夜行・宴】ッッ!!」
叫びと同時に、太鼓の音が大音量で鳴り響いた。
どぉん…どぉん…どぉんッ!!
太鼓の音が地の底から響き渡る。
そこから更に、ひゅるひゅると笛の音が絡みつき、囃し立てる声が夜闇のあちこちから沸き上がった。
鉦の音がキンキ、キンキと叩かれ、べんべんと三味線が弾かれる。
どぉん、どぉん。
ひょろろろ〜。
かぁん、かぁん、かぁん。
その音に合わせるように、暗闇の奥で無数の下駄が鳴った。
カラン、コロン、カラン、コロン。
まるで祭囃子のようにも聞こえるが、もっと歪で様々な音が好き勝手に鳴り響いていた。
そしてとうとうそれは現れた。
「ヒュー!やっと出番かい!」
「舞え、舞え、踊れい!」
「主が呼んでるぞ、行け行けェ!」
付喪神たちだ。
古びた琴、割れた鏡、朽ちた提灯ありとあらゆる古道具が姿を得て、踊り狂いながら地面から次々に湧き出してくる。
その渦の中心から、見覚えのある姿が四つ、まっすぐに私の元へ駆け戻ってきて、まるで踊るようにくるくると回る。
「黙っていーよー!!」
「なめめっ!!」
〚いくよ〜〛ファサッ
シャキンッ、シャキンと小気味よく鳴るハサミの音。
「みんな……ッ」
抱きしめる間もなく、四体は即座に私の前に躍り出て、駆け出しているリオンたちを睨みつける。
私だけじゃない。みんな生きている。戻ってきた。
さっきまでの胸の痛みが違う形となって、今にも張り裂けそうだった。
突然の妖怪の大量発生。洪水のように次々と押し寄せる妖怪に、神川達は立ち尽くし呆然としている。
だが、まだまだ百鬼夜行は終わらない。
数百の蠢く付喪神の他にも数多の妖怪がどんどんと生まれていく。
産女、塗り壁、河童、小鬼。
ろくろ首、小豆洗い、豆腐小僧、提灯お化け。
みんな楽しそうに夜行を始めた。
すると突如チリンチリンチリンと鈴の音が強く鳴り、祭り囃子がひときわ高く鳴り響いたその瞬間。
地中深くで眠っていた何かが目覚めたような、腹の底に響く音がした。
這い出すように現れたのは、赤銅色の巨躯。
緋色の髪が肩から流れ、額には二本の金色の角。
纏う錦は豪華絢爛だったが、裾は幾多の戦火に焼け焦げ、繕われた形跡すらない。
腰の大太刀は、鞘さえ黒く煤けていた。
ただそこに立っているだけで、周囲の妖怪たちが一斉にざわめきだった。
強い酒の匂いがした。そばにいるだけで、鼻の奥を灼くような香りがする。
その双眸は、酔っているようでいて、奥底だけは恐ろしいほど澄んでいる。
あらゆるものを見定め、斬り捨てる者の目。
「遅くなった。非礼を詫びよう」
お腹の底へ響く声には、気品があった。
男は、私の前で足を止め、片膝をついた。五メートル弱の巨体が沈んでも、所作に乱れはひとつもなかった。
「我は酒呑童子と申す」
思わず息が止まった。
伝承の中でしか知らなかった名。大江山に住まい、数多の鬼を統べた、鬼の中の鬼。
それが今、私の前に跪いている。
それを今、私は見上げている。
「この夜、主に召されし者の中で、最も先に参じる事が出来なかった無礼、許されよ」
視線が、私の手首に落ちた。
手枷や足枷の擦り傷。皮膚に残った赤い筋。
「……だが、これだけは先に申し上げねばと思うてな」
その瞳から、一切の笑みが消えた。
「主の魂が、一つ、燃え尽きた」
覇気に、喉が詰まる。
「卑怯者共に、謀られて刺殺…」
赤い光が、ゆらりと揺れる。
燃え上がる寸前の炎を、無理に押し込めたような、そんな危うい瞳だった。
「我は、神酒に酔って寝首を掻かれた身」
膝をついたまま、私を見上げる。
「裏切りというものが、この世で一等許し難い所業だと、誰よりもよく知っておる」
ただの同情ではない。己の最期を重ねた者だけが持つ、深い理解だった。
「案ずるな」
酒呑童子は立ち上がる。それだけで、夜の闇が押し広げられたように感じた。
「されど、道理は通させてもらうぞ」
声から、気品がすっと抜け落ちた。
代わりに滲んだのは、見たもの全てを斬り伏せるような殺気。
「主を謀り、主を殺めた者共」
柄へ手が伸びる。
ただ握っただけ。
それだけで、周囲の空気が張りつめた。
「ただで済めば道理が通らぬ。相手は、この酒呑童子が…」
視線の先には神川達がいた。
「ッ、待って……!」
私が静止の声を上げるが、こちらを酒呑童子は振り返らない。だが、それとは別の理由で動きを止めた。
「むぅ…。そうか、そうか…確かに今宵は宴よのう!」
鞘を指先で、とん、と叩く。
小さな音のはずなのに、妙にはっきりと夜に響いた。
――茨木よ。付き合え。




