ゆっくり
昼を過ぎ、日が傾き始めた頃。
猫又がぽんっと前足を打ち合わせた。
「さて。日が落ちる前に、最低限のことは片付けておきましょう」
「そうだよね。暗くなる前にやらないといけないことからだね」
「左様にございます。主様は、まずこちらへ」
案内されたのは洞穴の一角。他よりも少し床が平らで乾いた場所だった。
「まずは、灯りでございますな」
猫又が周囲を見渡す。
「網切り殿、松明になりそうな木を何本かこちらへ」
シャキン、と応えるように鋏が鳴り、網切りはすぐに周辺の木立へと向かっていった。
「唐傘お化け殿は、上空から燃えやすい枯れ枝や、乾いた草を探してきていただけますかな」
〘わかった〙ファサッファサッ
唐傘お化けが、ふわりと宙へ浮かび上がる。
「なめなめ、なめ?」
垢嘗めが自分にも何かないか、と猫又の袖を舌でつつく。
「垢嘗め殿には、水場の確認をお願いしたく。唐傘お化け殿が見つけてくれた湧き水まで、迷わず通える道を確かめてきていただけますかな」
垢嘗めは嬉しそうに飛び跳ねると、茂みの奥へと駆けていった。
「じゃあ、私は……」
メアリが尋ねると、猫又は少し考えるように顎に前足を当てた。
「主様には、コロポックルたちの食料の仕分けをお願いしたく」
「仕分け?」
「今日集めた木の実や果実に傷んでるものが混ざっていないか。そして、どれくらいの量があるか。この先、何日分の蓄えになるか。主様御自ら、把握しておいた方がよろしいかと」
「……うん、そうだよね。ちゃんと、自分でも分かってないと指示も出せないよね」
メアリは頷き、コロポックルたちのところへ向かった。
「わぁ……こんなに集まったんだ」
洞穴の隅に積み上げられた、赤紫の山葡萄、赤い木苺のような実、見慣れない木の実の数々。
コロポックルたちが、誇らしげにそれぞれの成果を指差してくる。
「ぽっく!」
「これは…傷があるから先に食べちゃおう」
「ぽぽっく」
「こっちの木苺は食べ頃だね」
一つ一つ確かめながら傷んでいるものと、まだ日持ちしそうなものを丁寧に分けていく。単純な作業だったけれど、心が落ち着いた。
――
日が少しずつ赤みを帯び始める。
網切りが、両手いっぱいの木材を抱えて戻ってきた。唐傘お化けも枯れ枝の束を傘の裏に器用に抱えて戻ってきた。
「これだけあれば、十分でございます」
猫又は網切りと一緒に木材を組み合わせ、器用に簡素な焚き火の場を作り上げていった。
「あとは火種でございますが……」
猫又が言いかけたところで、一つ目小僧がずいっと前に出た。
「ん!」
自信ありげに、拾ってきた石をこすり合わせる。
カチ、カチ。
何度も、何度も。
「一つ目小僧くん、それで火つけられるの?」
心配そうなメアリを他所に、一つ目小僧は真剣な顔で石を打ち続けている。
しばらくして。
パチッ。
小さな火花が、枯れ草に飛んだ。
「あっ!すごい!!」
小さな炎が、ちろちろと生まれる。
「やったね!」
メアリが手を叩くと、一つ目小僧は得意げに胸を張った。周りで見ていたコロポックルたちも、いっせいに跳ねて喜んだ。
「ぽっく!ぽぽっく!」
垢嘗めも、その頃には戻ってきていた。
「なめなめ〜」
案内されたのは洞穴からそう遠くない、清らかな湧き水の場所だった。毎日の水汲みもこれなら苦にならなそうだ。
――
火が灯り、洞穴の中が橙色にほんのりと照らされ始める。
まだ粗末な寝床と簡単な焚き火があるだけの、ささやかな空間だった。それでも暗闇の中に灯った小さな火。
メアリはその炎を見つめながら、ふと、思った。
(昨日は目隠しで何も見えなかったけど)
今はこんなにもあたたかい光の中にいる。
「主様」
猫又が隣に腰を下ろした。
「今日の備えは、これで、ひとまず十分かと」
「……ありがとう猫又くん。頼りになるね、本当に」
「勿体なきお言葉」
猫又は尾を揺らしながら、少しだけ目を細めた。
「さて。そろそろ、日も落ちましょう」
洞穴の外、藍色に染まり始めた空をメアリはじっと見つめた。
夜の帳が静かに山を包んでいく。
焚き火の炎が、ぱちり、と小さく爆ぜた。
洞穴の入口近くに集まったメアリ、一つ目小僧、垢嘗め、唐傘お化け、網切り、猫又。少し離れた岩の上には、葉耳兎が丸くなって座っている。コロポックルたちは、既に自分たちの寝床へと戻っていた。
「静かだね……」
メアリが呟くと、猫又が尾を揺らしながら頷いた。
「今宵は、『宴』は使わぬと、主様がお決めになったのでございましょう?」
「うん。……使えば、もっと賑やかになるんだろうけど。今日は、これで十分な気がして」
火を挟んで座る仲間たちの顔を、メアリは一つ一つ見渡した。
「ちゃんと、みんなと、ゆっくり話したかったし」
その言葉に、一つ目小僧が嬉しそうに小さく揺れた。
「ねえ、猫又くん。前から気になってたんだけど」
「はい、何なりと」
「百鬼夜行って、そもそもどういうものなの?さっきは祭みたいなものだって言ってたけど」
猫又は焚き火の炎を見つめながら、ゆっくりと語り始めた。
「古くは、夜な夜な行き場のない妖や、恨みを持つ物の怪どもが、群れをなして練り歩いたと言われております。人が見れば命を落とす、とも」
「え、そんな危ないものだったの……?」
「本来は、それだけ恐れられていたものにございますよ。……ですが」
猫又の口元に、微かな笑みが浮かぶ。
「主様の下に集うた者どもは、誰一人、人に仇をなそうとは思うておりませぬ。むしろその逆でございましょう」
「……そっか。同じ名前でも全然違うものになれるんだね」
「妖の在り方も、主と共に変わるものにございますよ」
パチ、と炎が爆ぜる。
垢嘗めが、その火を興味深そうに見つめていた。
「なめ……」
「火は舐めちゃ駄目だよ」
慌てて距離を取る垢嘗めに、一同が小さく笑った。
「ねえ、猫又くん」
メアリは少し声を落とした。
「この世界のこと……オズモっていう国のこと、シングラーとの戦争とか、猫又くんは詳しかったりする?」
猫又は、しばし間を置いた。
「いえ。こちらの事はワタクシにも、分かりかねます」
「あ、そうなんだ……」
「ワタクシが心得ておりますのは、あくまで、妖の世の理でございます。この世界そのものについては、主様と大差ございませぬ」
その答えに、少し意外な気持ちになった。何でも知っているように見えていた猫又にも、分からないことがある。
「……そっか。じゃあ、私たちも一緒に少しずつ知っていくしかないんだね」
「左様にございます」
猫又はそう言って、ふと視線を岩の上へと向けた。
葉耳兎が、こちらの話に耳を傾けるように、長い耳をぴくぴくと動かしている。
「もしや、あの子であれば、この地について、何か知っておるやもしれませぬ」
「葉耳兎ちゃんが?」
「土地神の眷属と申しましたが。この山の在り方については、我らより遥かに詳しいはずにございます」
メアリは身を乗り出して葉耳兎に話しかけてみた。
「ねえ、この辺りに他に誰か住んでたりする? シングラーとか、王国の人たちは、来る事ある?」
葉耳兎は、じっとメアリを見つめ返すだけだった。
耳がぴこんと一度揺れる。それが返事なのかどうかも分からない。
「……やっぱり、伝わらないか」
肩を落とすメアリに、猫又が慰めるように言った。
「いずれ言葉を交わせる者が仲間に加わるやもしれませぬ。それに主様の能力も繋がりが強くなる事も有りましょう。それまでの楽しみに取っておかれては」
「……うん、そうだね」
メアリは小さく笑って、葉耳兎の方を見た。
葉耳兎は相変わらず感情の読めない顔で、じっとこちらを見つめている。
けれど、その瞳に敵意のようなものは少しも感じない。
焚き火の炎が、少しずつ小さくなっていく。
一つ目小僧が、こてんとメアリの肩に頭を預けて、うとうとし始めていた。
垢嘗めも、唐傘お化けの傍らで丸くなって目を閉じている。網切りだけが律儀に入口の見張りを続けていた。
「……おやすみ、みんな」
メアリは小さく呟いて目を閉じた。
昨日までとはまるで違う夜。牢屋の冷たい床でも、逃亡中の緊張の中でもない。
温かい火と、仲間たちの気配に包まれた静かな夜。
(明日も、頑張ろう)
そう思いながら、メアリは静かに眠りについた。




