羅生門 茨木童子
Side 喜多院 元春
王都の城壁の傍。
篝火も届かぬ暗がりに、二つの雄々しき気配が向かい合っていた。
「待ってたぜぇ、こういうのをよぉ!!」
金属のグローブを装着した喜多院元春が、両の拳をゴンゴンと打ち鳴らす。
「規格外だ!最高だ!人生でしたことねえ喧嘩になるぜ!!!人間相手じゃ、物足りなかったんだよ、なぁモンスター!お前はこの世界でどんくらい強ぇーんだ!?」
対する茨木童子は答えない。
ただ、継ぎ接ぎのように色の違う右腕を、だらりと下げたまま喜多院を見据えていた。
「…おまえかあ」
低く、唸るような声だった。
「なんだぁ?」
「つまらぬやつじゃあのう」
茨木童子の目に侮蔑の色が浮かぶ。
「この程度に踏まれたのがぁ?」
「あぁ?傘とか、ぬるぬるしたベロのやつとかか?そうだよ、最高だったなぁ、あの感触!頭がグシャっとよぉ!あれを好き放題やれ――」
――のう、垢嘗めよぉ。
言葉が終わるより先に茨木童子の右腕が動いた。
ぎしり、と鎖が軋む音と同時に地を叩く、ドンっという音が響いた。
地割れのように地面が割れ、穴からシュルリとベロが伸び、緑色の肌の妖怪が這い出してきた。
「なめなめ〜!」
「そうがぁ、ではやれやあ」
「なめなめ〜」
「なんで生きて…ぐぅあッ!?」
喜多院の体が宙を舞う。避ける間もない舌による一撃だった。石畳に叩きつけられ砂埃が舞い上がる。
「……は。ハハッ、いいねぇ!!」
だが、喜多院はすぐ立ち上がり笑っていた。
血の滲んだ口元を拭い、むしろ嬉しそうに立ち上がる。
「どうやって力を手に入れたんだか知らねぇけどよ、その舌!また引っこ抜いてやるぜ!」
立ち上がるが、すぐに垢嘗めの舌の攻撃が足を絡め取り喜多院は転ばされ、すぐに追撃の舌打が腹を打ち抜いた。
「げほッ…!効くねぇ、それ!!」
またしても立ち上がりながら喜多院は嗤っていた。歓喜に目を見開き、涎さえ垂らしている。
「もっとだ、もっとくれよ!!!ベロベロちゃんよぉ!!」
「なめなめっ!」
垢嘗めが、再び舌を鞭のように振るう。今度は喜多院も見切っていた。腕を交差させ受け止める。
「痛てぇなぁ…痛てぇけどよ、そろそろ慣れてきたぜ」
【暴・快・天】
呟いた瞬間、喜多院の筋肉が、一回り膨れ上がった。
「受けた痛みも、与えた痛みも。全部俺の力に変わる。今ので、ちょっと楽しくなってきたぜ」
「……ほう」
茨木童子の口の端が、僅かに上がる。
痛みを飲み込むたびに、喜多院の身体が一回り、また一回りと膨れ上がっていく。
慌てて攻撃してきた垢嘗めの舌を摑みとると、喜多院は力任せに引き寄せた。
「なっ、なめ……!?」
「雑魚が、引っ込んでろ!!」
垢嘗めの小さな体が宙を舞う。
そのまま拳が、緑色の腹へと叩き込まれた。
地面に叩きつけられた垢嘗めは、舌をピロピロと動かしてゆっくりと立ち上がった。
情けない表情は負けたことを悲しんでいるようだ。
「…てめえ、なんで今ので生きてんだ」
「なめめ〜♪なめめ〜♪なめなめめ〜♪」
垢嘗めは踊ってみせた。それは挑発などではなく、百鬼夜行を示したものだったが、喜多院は煽られたと勘違いした。
「ぶち殺してやる!!クソベロが!!」
「なめ!?」
垢嘗めは何故か怒り出した喜多院から離れると、茨木にしがみついた。
「修行が、足りぬぞお。のう垢嘗め」
呆れたような、けれど怒ってはいない声だった。垢嘗めの傍にしゃがみ込み、頭をひとつ撫でてやる。
「なめめ!」
「よい。我がぁやる。主の側におっただけで大義じゃったがらのぅ」
言うが早いか、茨木童子は腕を一振りした。
再び地面が裂け、黒い割れ目が口を開ける。
「なめめぇ〜ぇぇ……」
垢嘗めの体が、抗う間もなく割れ目へと引きずり込まれていった。
茨木が一歩、ズンと踏み出す。
それだけで石畳が沈み、気付けば割れ目も消えていた。
「我は、ひと味違うぞ」
言うが早いか、茨木童子は間合いを詰めていた。
「ぐぁッ!?」
左拳が腹に突き刺さる。喜多院の巨体が二つに折れ、後方へ吹き飛んだ。
受け身を取る間もなく地面を転がり、瓦礫にぶつかってようやく止まる。
「……ハハッ、ハハハ!!ばけもんが!!」
立ち上がりながら、喜多院は嗤っていた。歓喜に目を見開き、涎さえ垂らしている。
「もっとくれよ、鬼さんよぉ!!」
「……」
茨木童子は、答えなかった。
代わりに、右腕の鎖が、ジャラリと音を立てる。
激痛に悶えながらも、喜多院は笑い続けている。折れた骨を庇う様子すらなく、むしろその痛みごと快楽に変えていく。
茨木童子の目が、細まる。
「勘違いするな。我が糧とするは、憎しみ」
ジャラリ、ジャラリと鎖が鳴る。
「我が主を、傷つけた者共の命よ。易く散れやぁ」
「ヒャハハッ、上等だ!やってみろよ、デカブツがぁ!!」
夜闇の中に咆哮が重なり、空気が振動する。
同じ動作で放たれたお互いの拳と拳がぶつかり合う。
喜多院の技能が発動する。
『暴・快・天』と『纏うは不変なる衝動が為に』。
殴っても殴られても強くなり、怪我をどれだけしても、蓄積されてきた快楽が直ぐさま回復させる。
それは喜多院の暴力の自信の現れ。地球にいた頃から暴力だけで立場を確立させた、どこまでも稚拙な思考は技能にも表れていた。
(溜まった快楽、発散するぜ。腕ごと吹き飛ばしてやる!!)
……………。
(あれ?拳が中々進まねえぞ)
喜多院元春の見た景色は、完全にスローモーションになっていた。
そして、一瞬だけ意識が切り変わると、パパパパパパパパッと、これまでの人生の全てが目の前を駆け巡っていく。
(幼稚園の頃、暴力を振るって骨折させた。思えばこれが始まりだったんだよなぁ。気持ち良かったなぁ。小学生になると殴る回数が増えて、毎日先生がキレてきた。だから先生も殴った。桑原先生鼻が折れて、すげー笑った。ある日、ムカつくオタクを殴ったら失明しちまって、あれはガチで焦った。脅迫の大切さを知ったのがそこだ。リオンが居なければ終わってた)
――人はこれを走馬灯と呼ぶ。
(ぐっ、硬てぇ!!!どうなってやがる)
……………。
(俺の拳が、腕が!破けてやがる!)
打ちつけた拳と拳。正面衝突したそれは、あまりの硬度と速度の差があった。
茨木の拳の威力に耐えかねた、喜多院の腕が拳から潰れて圧縮されていく。
肩から骨が飛び出す暇さえもなかった。
バケツほどもある拳が腕だけでなく、眼前にまで迫る。
蓄積されていた快楽が溢れていく。
(だ、だだだ大丈夫。回復が俺にはある。これまで貯めてきた分で、すぐ再生する)
拳が二の腕を弾き飛ばし、肩まで来ている。それでも止まることはなく、じりじりと肉と骨と腱が吹き飛んでいくのが見える。
(大丈夫!大丈夫!大丈夫…だよな?死なないよな!?……た、たすけッ!死ぬ!!?リオン!助け――)
時間にして0.01秒。
茨木の拳がパンッと空気が弾ける音と共に衝撃波となって周囲に広がっていく。
腰から上は剪断され、尚且つ圧力波に襲われた為に、原型すら留めず消し飛んでしまった。
残された下半身が、少し遅れて倒れた。
【纏うは不変なる衝動が為に】
死して尚、技能が働く。
これまで蓄積していた快楽が自動で使用される。
そして蓄積してきたものよりも、多くの痛みを伴った茨木の正拳突き。
全快するには十分過ぎる蓄積であった。
まるで巻き戻しをするかのように、下半身から肉が盛り上がっていく。
だが再生の途中、様子が変わった。
脳が、まだ半分も形を成していない段階で。
(い、たい、いたい……なんで痛い)
最初に戻ってきたのは、痛みだけだった。快楽に変換されるはずのそれが追いつかない。器官が足りない。
何かが、足りない。
盛り上がりかけた肉が、震えて止まる。
治りきる前に、また萎んでいく。
(気持ちいい、はず……なのに、なんで、痛いの、怖いぃぃ……)
恐れるほど、肉の再生は遅くなる。足りない体で味わう恐怖が、満ちるはずの快楽を押し返していく。
(やだ。やだやだやだ。怖い、死ぬの怖い。痛いの怖い。………タスケ、タス、ス)
満ちては萎み、萎んでは満ちる。堂々巡りの狭間で、脳が完全に形を成す前に、思考は止まった。
「奇っ怪な技じゃぁ。気味がぁ悪いわ」
腰から胴体が生える。はずだった。
だがそこにあったのは横に倒れた崩れた頭。そして耳のあるはずの場所からは腕が一本生えていた。
満ちることのない快楽と、消えることのない恐怖。その狭間で止まった不完全な肉人形が、そこに転がっていた。
「我が主には慈悲がある。だがぁ、兄者は道理は通す、と言った」
「…………」
そう言うと茨木童子はもう一度だけ、鎖を鳴らしながら色の違う右の拳を振るった。
今度は上から下へ。
「お前に、輪廻はぁ来ねえ」
ぱちゅッ。
喜多院元春――死亡。




