心子と茜
「邪魔。どきなよ、おばさん」
メイドを押しのけて茜は虚空を睨みつけた。
目に見えぬ力の糸を、遠く離れた城主の座へと伸ばす。
「城を乗っ取ってるその変な力……丸ごと私がぶっ壊す!」
【改変と壊変(事象の壊変)】
対象は城主という『立場』そのもの。
物質でも魔力でも術式でもない。ただ、そこに居るという事実だけで成立している何か。それを壊す。
が――何も起こらなかった。
「……はぁ?」
茜の眉間に困惑の色が浮かぶ。
「なんで効果ないの!?……うーん、技能は発動したはずなんだけどなぁ」
壊変は、術式や結界、能力といった『発動しているもの』を破壊する力だ。
だが、ぬらりひょんの権能はわざわざなにかを発動していない。
ただ、そこにいるだけ。それだけで周囲が勝手にそういうものとして受け入れてしまう。
壊すべき力の実体がどこにも存在しない。
「あいつ…もしかして何もしてないの?何もしてないのに城主になってる……なんだそれ。意味不明」
震える声で心子は呟く。
「相手もチートじゃん……どうする?!怖いんだけどっ!」
「ビビりだな〜ここっちは〜」
「いや、あんな映像見させられたら誰でもビビるって」
心子の声に茜は奥歯を噛んだ。
「ちっ。疲れるんだよね……これ」
【改変と壊変(因果の改変)】
壊せないなら、変える。
起きた事象そのものではなく、その『結果』を。
ぬらりひょんが城主になったという結果そのものを過程ごと改変する。
「目には目を。クワガタにはカブトムシ。チートには……あたし!!」
技能を発動させた茜の額に、じわじわと脂汗が滲む。
対象が遠い。距離も規模も相手の格も、これまでお試しで扱った因果とは比較にならない。
一国の城主という座、城内にいる何十人もの記憶と認識、その全てに関わる結果を根こそぎ書き換えようとしている。
「あーもう、ガチできっつ……」
「茜、大丈夫なの?汗すんごいよ!?」
「うっさい心子、黙って見てなさいよ……」
食いしばった歯の隙間から、掠れた声が漏れる。
「私は、主人公、なんだよッ!」
(ぬらりひょんは城主にはなれなかった。ぬらりひょんは城主にはなれなかった。ぬらりひょんは城主にはなれなかった。ぬらりひょんは城主にはなれなかった)
そういう結果。
「ぐ、う……」
茜の鼻から、一筋の赤い線が伝う。
「茜っ!?」
「痛っつ。頭いたー。……くらくらしてきた。でも、まだ何も変わってない」
(ぬらりひょんは城主にはなれなかった。ぬらりひょんは城主にはなれなかった。ぬらりひょんは城主にはなれなかった。繋がれ。繋がれ!!!)
視界が幾度となく左右にぶれる。
世界の辻褄が無理やり組み変わっていく感覚。原因も経過も後付けで捻じ曲がっていくのが分かる。
そしてその瞬間、確かに何かがカチッと変わった感触があった。
「……終わ、った……」
言い切った直後、茜の膝が崩れた。
「茜っ!!」
倒れ込む茜を、心子が慌てて抱き止める。
茜は白目を剥くと、泡を吹き失神した。ツーっと鼻から流れた血が床に染みをつけていく。
「ちょっと、茜!しっかりしなさいよ!おい!メイド!!てめぇなにボケっとしてんだよ!とっととタオル持ってこい!!」
心子の怒声が、浴室に虚しく響いた。
――
王城、大広間。
「んぅ〜?ひゃっひょ……」
ぬらりひょんの動きが、ふと止まった。
先ほどまで確かに繋がっていたはずの、城との縁。城主という立場の実感。それが、するりと指の間から抜け落ちていく。
「おぉ~ぅ……なるほどのぉ。これは初めての経験じゃぁ。愉快愉快、ひゃっひゃ…今宵、乱戦は無用」
誰にともなく呟くと、ぬらりひょんの伸びていた頭がどういうわけか縮んでいった。
「ひょ。宴の途中だが、儂はここでお暇するとしよう」
「な、なんだ貴様!!逃がすな!捕らえろ!捕らえろ!!」
戸惑う兵士たちの前で、老人の輪郭がふわりと霞のように薄くなっていく。
「またそのうち、会おうぞい」
そう言い残すと、ぬらりひょんの姿は煙のように消え失せた。
残されたのは、ただ困惑する人々と、床に転がった大量の鳥の骨だけだった。
──
城下町にて。
「ひゃっひょっひょっひょ」
城を抜けた城下町を、ぬらりひょんは散歩の如く何事もなかったかのように歩いていた。辺りは騒がしく、兵士も慌ただしく動き回っている。
「良き囃子の音じゃ。……久しい宴に戻るとするかのう。主は楽しんでおるじゃろうか。くぁっかっかっ」
腕を組み袖に手を入れ、うなすぎながら歩いている。草履の音が印象的に地面を擦っていた。
一見独り言のように見えるが、それを聞いているものがいた。
「ぬらりひょん。何があったのだ」
虚空から声をかけたのは大妖怪の一つ。大天狗であった。
「若えぇぇ女が素っ裸でおったわ!その腕や真に見事。なんと儂の主客転倒を力で押し切り取りよった!真にあっ晴れ!!…だがちぃと宴に似合わぬ。戦になりそうじゃったから、仕舞いにしたわ」
「ぬらりひょんが撤退など前列がないではないか。危険ならば…今のうちに滅すか?」
「やめいやめい、撤退でぬぁい!痛み分けじゃ!楽しみはとっておかんと、つまらなくなるからのう。むぅ…これまた厄介な。まぁた見られとるわ」
そう言うと、ぬらりひょんはまたしても煙のように消えた。
直後。ぬらりひょんが立っていた位置には異常に長い矢が突き立っていた。




