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マリアンは湯気の立つお盆を持って、私の目の前の椅子に座った。
「それで、なんだい? 放したいこと、全部話してごらん」
柔らかな声、心を開きたくなる声。涙腺が緩みそうだ。
私はそっと、考えていることを話した。
自分は血筋しか役に立たないこと。王都のこと。王宮地下牢に囚われのお父様とお母様。ベネド塔に囚われのお兄様。
考えれば考えるほど焦りばかりが募る。
マリアンはそんな私を見て、少し困ったようにスープをかき回す。
「ヴィオレッタちゃん」
「はい」
「それ、考えたら解決することかい?」
「え」
「しないでしょう」
ふふん、と彼女はしたり顔でニヤリと笑った。
「考えても仕方ないことはね、考えないのが肝心!」
「た、確かに」
「ヴィオレッタちゃんはあれだね、今まですごく大切にされてきたんだね。……誰かのためになりたい、傷つけたくないって思い詰めてしまうくらいに」
私はフォークを握りしめる。図星だった。自分への肯定も否定も全部言い当てられた気分である。
「それはね、すごくいいことだと思うよ。でもさ、人間って限界があるのよ。考えても仕方ないことを考えていると頭の中身が煮詰まって、火からおろし忘れたスープみたいにドロドロになっちまうからね。そういうときはいったん考えるのをやめて、まず行動! これが鉄則」
「まず行動」
私は何度も頷く。そ、そうか。まず行動。まず行動だったのか。
思えば前世も、何一つ成し遂げられないまま終わってしまった……。病気だったのだ。二十歳にもなれず、成人式の振袖を着ることもなかったっけ。前世の両親もすごく優しくて、きっと私の死と人生を嘆いていることだろう。ずーっと病院と家の往復で終わってしまった、本とアニメとゲームくらいしかなかった一人娘の人生を。
――急に、腹が立ってきた。
そうだ、私は――ヴィオレッタ・ミストリオスは生きてるじゃないか。やることをやりたいと思える頭があり、自由に動ける手足がある。誰かを傷つけるかもしれないだなんて、考えてる暇はない。
「――わかりました、マリアンさん!」
私はぐっと手を握って力説した。
「まず行動、ですね。やってやりますよ!」
「その意気よ、ヴィオレッタちゃん!」
ぐっ。ぐっ。私たちは親指を立て合う。
「ところで話は変わるんだけどさ、シド坊と喧嘩したのかい?」
「へ?」
思わず間抜けな声が出た。
「してませんけど」
「本当に?」
「本当に」
するとマリアンは腕を組んだ。
「じゃああの子、なんであんな顔してるんだろうねえ」
私は眉をひそめた。
「あんな顔?」
「ああ――まるで今生の別れみたいな顔さ」
嫌な予感が背筋を走り、しびびびび、と前世の私の知識が脳裏を駆け巡る。
シド。シドのことは、実はよく知らない。ゲームでは悪役令嬢の護衛騎士というモブの一人であんまり描写がなかったし、今世でもお父様が急にお前の騎士になる子だぞと言って連れてきた子供だった。それから一緒に遊び回って成長したけれど、そういえば私、彼の過去や家名や家族のことは何も知らない。
置いていかれても追いかけるすべがない。
そのことに、今更気づいたのだ。ぞおっとした。怖いなんてものじゃなかった。
「まさか、まさかシドは」
「そうだねえ。出ていく気かもね」
私は一瞬意味が分からなかった。
「どこへ?」
「王都でミストリオス公爵ご夫妻をお助けするか、はたまたベネド塔からご子息を助け出すか。あるいは各地で兵隊を募るつもりかもね」
心臓がどくんと鳴る。
私は立ち上がった。スプーンがからんと音を立ててスープの中に落ちる。
「何それ。――それならどっちにしろ、旗頭の私がいないとだめじゃない!」
もう血筋しか必要とされてないからどうのこうの、なんて言ってる場合じゃない。
だからなんだというのだ。私には――そうだ、私にはシドが必要なのだ。なのに、いなくなるなんて?
「なんで。なんでよ。それは私、私がいないと成功しないことで――だから、一緒にやろうねって言ったのに! 一緒にいるために辺境まで私を迎えに来てくれたんじゃなかったの!?」
もしかして私はものすごい勘違いをしていたのだろうか? 恥ずかしいたぐいの。
シドがなんとかミストリオス公爵家への襲撃をかいくぐって追放された私のところまで来てくれたのは、私を心配して、家族のことを一刻も早く伝えてあげたかったんだと思ってた。でも違うの?
彼にとって一番大事なのは騎士の名誉なの? ミストリオス公爵家のため戦って死ぬこと?
私はそのための駒だったってこと? 私のためじゃなく、家のために彼は――
そんな、そんなの。
「――許さないっ」
思わず小さく叫んだ。
「なんでそんなこと!」
マリアンは肩をすくめた。
「そりゃ、危ないからだろうさ」
「だからって!」
「男ってのは馬鹿だからね」
彼女は苦笑した。
「自分が傷つくのは平気なんだ。でも大事な相手が傷つくのは我慢できない。その相手が女の子なら特にね」
窓の外で風が鳴って雨戸ががたがた言う。
「だからって勝手に決めるなんて、ひどい」
私はぎゅううっと拳を握る。
腹が立った。とても、とても、腹が立った。
私の家族だ。
私の問題だ。
私が助けたいと思っている人たちだ。
なのに、どうして勝手に?
ていうか。
「シドだって私の家族なのに……っ」
うんうん、とマリアンは頷きつつ私にパンのかたまりを毟ってくれる。
「さあ、お食べ。鉄則その二。行動のためには食べること」
私は頷き、猛然と食事に取り掛かる。
「ちなみに、よく手入れされてすぐにでも出発できる馬は砦の裏門の横の厩にいるよ。鞍はその壁にかかってる」
「ありがとうございます」
「おいしいかい?」
「はいっ。すっごく!」
マリアンはけらけら笑い出した。夫のバルトロメオにそっくりな笑い声だった。
さて、深夜。寝たふりから起き上がった私はコートを引っ掴んだ。動きやすい男ものの服が一揃い、部屋の前に置いてあったのは本当にありがたい。マリアンたちの部屋の方へ向かって一礼する。
それから廊下を音を立てず走り出す。
階段を駆け下りる。ハシゴには苦戦しながら、それでも降りる。
砦の中は静かだったが、何人もの見張りの男たちがいた。かがり火を手にした彼らは、ぎょっとした顔でこちらを見る。おい、とか言って隣の同僚をつつく者もいる。
知らない。
今はそんなこと、どうでもいいの。
裏門は砦の中でもひときわ分かりにくい場所にあった。昼間のうちに見取り図を頭に入れておいてよかった。
夜風が頬を叩き、フッフッと自分の息の音がうるさい。
本当にすぐそこ、裏門のところ、月明かりの下に人影があった。馬に小さめの荷物を括りつけているところだった。
大きく、しなやかな身体。月明かりでも彫刻みたいに綺麗だとわかる横顔。短い黒髪に紫色の目が伝説の冥界の主みたい。
――黒い外套を羽織ったシドは、ちょうど鐙へ足をかけたところだった。
私は走りながら思い切り息を吸い込んだ。
「シドおおおおおおおおお!」
びくり、と彼の肩が跳ねた。勢いよく彼は振り返る。
紫色の目が信じられないものを見たとばかりに見開かれた。
「お、お嬢様!?」
「置いてくんじゃないわよ、この馬鹿あああああああ!」
私はきいきいわめきながら彼に向かって飛びついた。




