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翌朝。
私が目を覚ましたときには、もう太陽はかなり高く昇っていた。
無骨な木板の雨戸の隙間から、橙色というよりはむしろ白に近い光が差し込んでいる。鳥の声と、それから誰かが薪を割っているらしい音が聞こえた。
規則正しいノックの音がして、私は飛び起きる。
一瞬、自分がどこにいるかわからなくなってまごついたけれど、すぐに全部思い出した。
ここは山賊の、ええと十五年前から山賊になった騎士たちの砦だ。黒鷲砦。
「起きたかい?」
と、柔らかな声が聞こえる。明るくて芯のある声だった。こういうのを気風がいい、というのだろうか。
「は、はい、起きてます」
と返事すると扉が開いた
ふっくらした丸顔の女性が顔を出し、微笑みかけてくれる。ふくよかな体つきとエプロン、髪の毛をまとめる頭巾とそこからはみ出た赤毛。優しそうな切れ長の目はに合わないほど鋭いけれど、彼女はたぶん、とてもいい人だ。
昨夜お茶を出してくれたバルトロメオの妻である。名前はマリアン。
あのむくつけき大男の妻だというのがこんなに優しそうな人なのが、ちょっと不思議な感じがした。
私は慌てて寝台から出た。なんと寝間着姿である。四方八方に寝乱れた銀髪を手で押さえつつ、てきぱきと雨戸を開けて着替えを用意してくれるマリアンにお礼を言う。
「ありがとうございます。色々していただいて。そして申し訳ありません、お布団を貸してもらった側なのに寝坊するなんて」
「いいんだよ、いいんだよ。長旅だったんだろう? それよりうちの人が悪かったね。お嬢さんを持ち上げて振り回すだなんて、なんてことするんだろう。よく言っておいたからね」
マリアンは大声で笑う。きゅっと皺の寄った目元が、本当に優しそうだった。
「朝ごはんができてるよ」
と言われて、私が答えるより先にお腹が盛大にぎゅるるるっと鳴った。そ、そういえば昨日はお茶とナッツをいただいたっきりだ。ぼっと顔が燃えるように熱くなり、咄嗟に腹を押さえた。
「ありがとうございます」
できうる限り最速で着替えを済ませた。学園寮にメイドを連れていかず、身の回りのことを自分でできるようにしておいて本当によかった。
お借りしたのは簡素なワンピースドレスで、白い生地の裾に色とりどりの刺繍が施されているのがなんとも可愛らしかった。
「お姫さんにこんなの、寝間着みたいなもんだろうけど」
「いいえ、とんでもない! とっても可愛いし、肌触りが最高です」
拳を握りしめ真剣に言うと、冗談だと思われたのだろうか、マリアンはぷっと吹き出した。
食堂の場所を教えてもらい、そっちに向かう。廊下は石造りで、ひんやりとしていた。
パンと野菜スープとベリーの朝食をいただいて、あっという間に平らげる。銀髪が珍しいのか子供たちが覗きに来てはくすくす笑うので、なんだか気恥ずかしい。中には勇気ある子もいて、髪の毛の先をちょんとつついてはきゃあっと駆け出して逃げ、また戻って来て同じことをする。結局彼らはマリアンに追い払われていた。
「うちの人が会議室に呼んでるよ。悪いけど行ってあげて。子供たちに案内させるから」
食事が終わるとそう言われ、その通りにした。厳つい扉の前で子供たちはバイバイと手を振って、私も振り返す。
そこは会議室、というよりおそらく作戦室だった。砦の中で一番堅牢なつくりで、一番奥にある部屋。
私が十人は寝転べそうに大きい長机の周りに、男たちが集まっていた。全員、一筋縄ではいかない人物だろうと見てわかる。
机の上には地図と書類、なんらかの暗号表などが散らばり、壁には所せましと何かの資料が貼られていた。向こう側の小さい扉からは、伝令らしい人影が出入りする。慌てた様子の者、机に齧り付いて計算する者、ブツブツひとり言を言いながらうろつきまわる者。
山賊と言えば酒と骨付き肉と笑い声に満ちた宴、という印象があったんだけれど、そんなものとはまるで違っている。冷たい緊張に私の肌は冷たくなり、銀髪をわけもなく撫でつけた。
「お嬢様」
机の一画にいたシドが立ち上がる。なぜか鎧姿だった。昨夜まではただの旅装姿で、剣を帯びているだけだったはずなのに。
「何してるの? その恰好は何?」
私は思わず聞いた。
「情報をまとめております」
恰好については答えず、シドは穏やかに言う。いつもの目である。私の、もう一人のお兄様。血がつながってない方の家族。でもなぜだろう――いつもの彼とは違う気がする。
その横でバルトロメオが巨大な腕を組んでいた。
「おーう、ヴィーちゃん」
へらりと笑う、その顔も昨夜とまるで変わらない。二人とも何も変わらなく見えるのに。
「ヴィーちゃんやめて」
私はわざと頬を膨らませたが、バルトロメオは頬の片方で笑うばっかりで乗ってこない。
――私は席についた。
バルトロメオがコツコツと机の上の地図を指で叩いた。
「まずわかったことから言う。心して聞いておくれな、ミストリオスのお姫様」
私はごくりと唾を飲み込む。シドが気遣う視線を向けてくれるのが、嬉しくも悔しい。私がもっとしっかりしていれば、こんなことには……。
「王都はおかしい」
と山賊の頭領は言う。まなざしは冷たく光って見えた。
地図の上に隅がすり減った紙が広げられる。細かい字でびっしりと走り書きが書き込まれている。
「ミストリオスだけじゃねえ」
バルトロメオの太い指が、地図の上をなぞる。貴族の領地を。
ひとつずつ、家名が挙げられた。ひとつ、またひとつ。
さらに名前が挙げられる。
名前が挙げられる。
伯爵。子爵。政務官。騎士団長。女官。財務官。
聞いたことのある名前ばかりだった。父と縁のある者たちも、何人かいた。
左遷。投獄。事故死。
ひとつひとつの言葉が、その人たちのおうちの末路だと思えば恐怖でしかない。重たく落ちて、紙の上にわだかまる絶望と恐怖。まるで石を一つずつ水底に沈めるように。
私は眉をひそめた。胃の中でおいしかった朝食が固まった気がした。
「偶然?――じゃ、ないわよね」
「とは信じられねえな」
バルトロメオが低く言った。
「彼らについて知っていることがあれば教えちゃくれねえか? どんな些細なことでもいい」
と言われ、きゅうっと喉が詰まって、息が苦しくなる。そうだ、私はそれを知っている。この人たちの共通点。王子の婚約者である私は、王宮にも何度も行って、彼らと話して交流していたんだもの。
「この人達は――最近、アリサと揉めた人たちよ」
王子に近づく【宝石姫】を好ましく思っていなかった人たち。ひいては、私の立場や名誉を守ろうとしてくれた人たち。正当な婚約者である私をないがしろにするルパート王子を諫め、エスコートするならミストリオス公爵令嬢でしょうと叱ってくれた人たちだった。
そうか、と確信を込めた声でバルトロメオが言うので、私はこの確認のために連れてこられたのだと悟った。
「もっとおかしいことがある」
彼は紙を裏返した。そこに広がるのは人名の地図。ぜんぜん別の名前から名前に矢印がつながり、線が引かれる。
「誰も反対しねえんだ。その左遷にも、失脚にも。そんなのはおかしい。貴族ってのは持ちつ持たれつ、庇い合いだ。誰かが法律に則って処分されそうになったら、その誰かがいないと困る奴らが声を挙げる。そういうもんだ」
私は息を止め、シドを見た。彼もまた黒髪に手を入れながら、何かを考え込んでいる。
「……」
――そうだ。それが一番おかしい。




