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デュルマ男爵領は案外近かった。私がいたところから五日間、街道を行ったところである。思えばアリサは『辺境近くの小さな領地で育った純真な田舎娘』で、私が追放されたのはその辺境だ。
「つ、疲れた……」
「お嬢様、三日前も同じことをおっしゃっていました」
「だって疲れたんだもの」
馬車の御者台でシドが呆れた声を出す。近隣の農村で、シドのお小遣いで買い取った荷馬車。
私は荷台に寝転がって空を見上げた。
――反乱を起こす。
――王国を乗っ取る。
そう啖呵を切ったはいいものの、まず移動が大変だった。当たり前だが新幹線も飛行機もない。お金を払えば安全に護送してくれる傭兵団はいるけれど、荷馬車を買うのにシドはすかんぴんになり、私もお金なんて持ってない。
お尻が痛い、腰が痛い、首が痛い。
「帰りたあい……」
「どこへです?」
「お父様とお母様がいるところ。あ、あとお兄様もいていいわ」
というと、シドは本気でへこんでしまった。
はあ。
私たちは二人ともイライラしていた。普通、こういう場合ってこう……違う感じになると思うじゃない? 理想を抱いて旅立つお姫様(そう、私は公爵家のお姫様だ。うふふん)と、本当は彼女に淡い思いを抱いていた護衛騎士が旅に出て、なんかこうロマンス的なことが次々起きて。
私は首だけ持ち上げてシドの後ろ姿を見た。兄貴その二にしか見えない。
「無理かあー」
ロマンスは。ていうかシドだもの。ロマンチックも無理だ。
「呼びましたかー?」
「呼んでなーい」
人間、疲れると理性が死ぬわね。三日間、本気でそう思った。
しかし四日目。
ようやくデュルマ男爵領の街並みが見えてきて、私は身体を起こした。素朴な小さな田舎町だった。住民みんなが顔見知りで、仲良しだという風情である。土壁の家々。花壇。石畳。中央に噴水のある広場。
「着いた?」
「ええ」
シドは無表情に言う。緊張しているのだと思う。当たり前だ。
私は背筋を伸ばした。
私は本当に貴族を人質に取ろうとしている。
前世日本人としては完全にアウトである。でも私だってお父様とお母様を取り戻したい。王家の暴走を抑える役割だったミストリオス公爵夫妻が投獄された以上、他の派閥の貴族がその立場に収まる可能性もある。そうなってしまえば国の危機である。今さら綺麗事も言っていられない。
街へ入ると、違和感を覚えた。田舎の人たちの無遠慮な視線というだけじゃない。私はひそひそと、シドだけに聞こえる声で聞いた。
「ねえ」
「はい」
「なんか変じゃない?」
「……俺もそう思います」
人通りが少なく、閑散としている。天秤棒を担いで足早にいく若い男、子供の手を強引に引く若い母親、顔を伏せた農夫、井戸端には誰もおらず奥さんたちの声もしない。皆、あまりに不愛想というか――怯えている?
露店の商人たちは客引きもしない。巡回の兵士は神経質そうに周囲を見回している。まるで占領地みたいだ。
「何かあったのかしら」
「聞いてみます」
シドが露店の老婆に銀貨を握らせた。私が荷馬車の上から街並みを眺めていると、すぐに話を終えて戻ってきた。
「お嬢様」
「なによ」
「――男爵様がお亡くなりになったそうです」
「……はい?」
「十日前に」
「誰が?」
「デュルマ男爵です」
私はぽかんと口を開ける。
人質にする予定だった相手が死んでいた。
け、計画が。崩壊した。まだ実行に移してもいないのに。
その後、シドはゆっくりと荷馬車を動かしながら知ったことを話してくれた。ちなみにこの荷馬車を引くのは馬じゃなくてロバである。かなりの頑固者で、年寄りで、すぐ歯を剝きだして威嚇してきやがる愛らしい子だ。
話というのはつまり、こういうことだった。
デュルマ男爵は二週間前のある日、突然王都へ呼び出された。帰ってきたときには別人のようになっていたらしい。何日も部屋に閉じこもり、誰とも会わず、奥方やメイドに罵声を浴びせた。
そして十日前、自室で首を吊った。
「……」
「……」
私とシドは無言で顔を見合わせた。
嫌な予感がする。
デュルマ男爵のことは、私はゲームの知識でしか知らない。メイドに手を付けて孕ませアリサを産ませたくらいだから、感心できる人格者ではなかったと思う。どちらかといえば【宝石姫】であるアリサが学園に入るための舞台装置みたいな人だった。
「娘のアリサは?」
「王都におります。奥方が領主代理になり、ひとまず葬式はすませたばかりだと」
「なるほど」
私は考える。おかしい。男爵はアリサの父親で、【宝石姫】の後見役になったばかり。
【宝石姫】とはその名の通り、祈りの力によって宝石を生み出せる特殊な魔法を持って生まれた女性のことだ。彼女から生まれた宝石はすべて貴重な魔石となり、魔法を使う際のエネルギー源となる。百年に一度しか生まれない希少性は言うまでもなく、【宝石姫】が身内にいれば社交界である程度の発言権を得られる。
つまりデュルマ男爵は、順風満帆になるところだったのだ。
それが、自殺? 突然に? どうして。
「シド、会いにいきましょう」
「誰にです?」
「未亡人によ」
デュルマ邸は領主館というには小ぶりだった。下級貴族らしいこぢんまりとした、まだ新しい石づくりの館である。その小さな門構えや申し訳程度の庭木などを見るに、公爵家の屋敷と比べると牧歌的ですらあると思ってしまった。
門番は当然、私たちを止めようとしたが、
「ヴィオレッタ・ミストリオスです」
と名乗った瞬間、屋敷の奥へすっ飛んでいった。
すぐに執事が出てきて、私たちは応接室へ通された。やがて、一人の女性が現れる。立ち上がって迎えた私は、思わず息を呑んだ。
彼女はやせ細っていた。頬はこけ、目の下には黒い隈。黒い喪服はぶかぶかで、悲しみが全身を覆っている。未亡人というより、裁判に負けたばかりの弁護士、憔悴しきった捕虜のようだった。
「お初にお目にかかります。メッサリーナ・デュルマ男爵夫人……今はただの未亡人でございます」
彼女は震える声で言った。
「あなたは……ミストリオスのお嬢様ですわね」
「ええ」
「申し訳ございませんでした」
未亡人は震えながら膝につくほど深く頭を下げる。
「我が夫の不始末が、ミストリオス家のお姫様にかような屈辱を……。本当に申し訳ございません。申し訳ございません。もう、消えてしまいたい……」
「わわわ、大丈夫ですって。顔を上げてください!」
たまらず、私は彼女に駆け寄って肩を出した。そうしないと本当に死んでしまいそうなほど、未亡人は弱り切っていた。
「私はデュルマ男爵家になんら敵愾心を抱いていません。安心してください」
男爵を人質にしようとは思ってたけど。この奥様をどうこうしようだなんて考えたこともなかった。
「そんな……そんな、もったいない……」
と、未亡人は息も絶え絶えである。ソファに座らせ、シドと並んで対面に座り、ようやく彼女は落ち着いた。
「ええと、今回こちらへ寄らせていただいたのは、そのう……」
「わかっております。我が夫がメイドに産ませたアレのことでございましょう?」
口調は冷え冷えとして、憎しみを超えた憎しみを感じた。私は背筋がぞくっとする。前世も、今世も、私は悪になりたくなかった。だから誰にもこんな憎しみを抱いたことはない。というか、誰かに対して強い感情を持ったことはなかった。
公爵家のお姫様として、ずうっとのほほんと生きてきた。お妃教育はすでにミストリオス公爵家の家庭教師に仕込まれたことばかりで、外国語も礼儀作法も手間取ることなんてなかったし、歴史や数学だってお手の物だった。幼い頃から知るべきことを効率よく教えてもらったおかげで、わからないがわからない状態だったのである。
――ひょっとして、ルパートやアリサの気に障ったのはこういうところなのかしら? と頭の片隅で思った。
「どうか、ミストリオス公爵令嬢にお願いがあります」
未亡人は深々と頭を下げる。
「アリサを止めてください」
私はシドを顔を見合わせ、絶句した。
彼女は淡々と続ける。
「あれはもう人ではありません。始末するしか、ありません」




