28
ジェネット伯爵がいる牢屋は地下二階の貴賓牢、の、一番手前だった。シドの姿を見かけるなり、老人は鉄格子に張り付いてアリサ顔負けに喚き出した。
「お助けええええええええええ、お助けくだされえええええええええ」
「うるさいな」
「儂は何も知らなかったんですじゃ! すべては娘が、マルミリアが王の歓心欲しさにやったことなんですじゃ~。ごほっごほっ。儂は病気で、老い先短い哀れな爺ですじゃ。ごほっ! どうかお許しくだされえええ、国王陛下あああああああああ」
「ほう? 俺がすでに即位していたとは俺自身も知らなかったな。いったいいつ国王になったんだ、俺は?」
シドはにやにやジェネット伯爵を追い詰める。私は彼の背中に手を当てる。
沈黙したジェネット伯爵へ、シドは罰を告げた。同じく布告文を提示しながら簡潔に。
「――まあ、罪はあまりに多すぎて挙げていったら日が暮れるから、省略でいいだろう。賄賂と一族への違法な官位斡旋だけでも十分罪に問える。よって罰を述べる。貴族籍の剥奪、爵位継承権の保持の禁止。家屋敷と財産の没収。および宮廷への出入りを禁ずる。ジェネット伯爵家は取り潰しだ。家名も家紋も、残るまいよ」
「ひ、ひいいいいいいい」
それは貴族にとって、死よりもきつい罰だ。
「つ、追放は? 追放ですかあ? 辺境はいやじゃああああああ。この年寄りはすぐ病気になって死んでしまいますううううううう」
「安心しろ、追放はしない。お前は一生ここだ」
「は?」
ジェネット伯爵は呆けたようになったし、私も、あまりに厳しすぎるんじゃないかと思ったくらいだ。
「自分で言った通り老い先短い老人に辺境までの長い旅路を歩ませたりしないさ。兵にも限りがあるしな。ジェネット伯爵、お前にはこの貴賓牢での蟄居を申し付ける。死ぬまで」
私はぐるりと、周りの劣悪な環境を見回した。――これでは、長くはもたないだろう。
「い、嫌だあああああああ、嫌だああああああ」
と顔じゅうを液体まみれにして泣き出した老人へ、シドは笑いながら近づいた。
「ははは、安心しろ。――我が母を冤罪で貶め、名誉を奪い俺を追放した罪は、問わないでおいてやるからな」
ジェネット伯爵は牢屋の中へどさりと倒れてしまった。
戻ってきたシドの腕を私は取る。彼は私を見て、はっとしたように瞬きした。冷たい怒りに冴え冴えと青白く燃えていた紫色の目が、人間らしい色彩を取り戻すまで見つめた。
私が微笑みかけると、シドは少し恥ずかしそうに私の頭を撫でる。
「行こうか。次に」
「ええ」
「辛くないか?」
「全然。一緒なら大丈夫よ」
それで、そのようになった。
今度は一番奥にある大きな牢である。
そこには国王がいて、隣の一回り小さな牢には王妃がいる。シドの父親とその妻が。
私たちは手を握り合わせた。
国王とシドは鉄格子越しにぎらぎらする敵対的な視線を交わし合ったが、態度は穏やかだった。シドはさっきまでと同じように国王に布告文を突きつけた。
「罪状があるならば言ってみろ。俺ほどこの国のことを思い、憂い、愛してきた王はおらんと証明してみせる」
「残念ながら父上、たくさんございます。一、王妃たるマルミリア陛下を不当に遠ざけ、その名誉を傷つけた。一、私情をもって宮廷に介入し、特定の者へ過度の便宜を与えた。一、王家に属する者としてあるまじき放埓な振る舞いを繰り返し、宮廷の風紀を乱した。一、国庫と公務に関わる不正を見過ごし、私益を得る者らを放置した。忠臣らの諫言を退け、結果として腐敗を招いた。――まあ要するに、ジェネット伯爵とは懇意にして裏金を貯め込みつつ、自ら王妃としたマルミリア殿に隠れて浮気を繰り返し、ミストリオス公爵家を始め本当に国を思う人々からの忠告を無視し続けた。王としての権威に甘え、法と節度を軽んじたのが、あなたの敗因です」
「言いがかりだ! 世迷言を!」
「文句があるなら兵を募って俺がしたように反乱でも起こしてください」
一刀両断である。
「ベシャール地方での蟄居を申し付けます、父上。そうです、あの監獄、ベネド塔に。細い窓から空を見ながら、これまでの行いを悔いてください」
王は何かを怒鳴りかけた。だがシドはそれを飲み込まざるを得ないほど冷酷な声でぶっきらぼうに言った。
「俺はこれまであなたを完璧に嫌いきることができなかった。子供の頃は。何もかも間違いだったよ、ルクサリスと言って抱き上げてくれるあなたの夢を見たこともある。母が生き返る夢を見たこともある」
私は彼に寄り添った。硬い身体と熱い体温。目を閉じる。
ああ――辛い思いをしてきたのね、シド。
「だがもういいんです。もういい。あなたは記録を見ただけで分かるほどのクソ野郎で、俺のことも母のことも所有物としか見ていなかった。もちろん今の王妃マルミリア殿のことも。――おさらばです、父上」
さすがに実の息子からこれほどの拒絶を受けて、何かを言い募ることなどできなかったらしい。国王は黙った。
私たちは隣の牢に移った。王妃は静かに部屋の中央に佇んでいた。凛とした立ち姿だった。囚人服を着ていてもその威厳は損なわれることはない。
彼女はシドを認めると静かに目を伏せ、まるで一枚の羽がこぼれ落ちるような一礼をした。――王妃様のお辞儀は宮廷で一番綺麗、と言われていたことを私は思い出す。国王にとってはどうだったか知らないけれど、宮廷の女性たちにとって王妃様は確かに憧れだった。
「王妃陛下」
「はい、シド様」
「あなたに罪はない。が――夫も父親もなくした状態で宮廷で生きるのは辛いでしょう」
「わかっております。できれば、一族とは関係のない修道院に入りとうございます。この上希望を述べるなど僭越ではございますが」
「ええ。北方にある国一番のレベッタ修道院に推薦します。王妃としての個人財産をお付けしますから、寄進としてお使いください。たっぷり寄進すれば、修道女たちも悪い扱いはしないでしょう」
「――心から、恩に着ます」
王妃はゆっくり頭を挙げる。衣擦れの音がしたと錯覚するほど優美な仕草だった。
王と王妃はすぐさまそれぞれの目的地に向けて移送される運びとなった。ジェネット伯爵はともかく、二人はまだ王宮内部に派閥を持っている。何かがあってシドの権力が脅かされてからでは遅いのだ。
移送のため、二人は地下牢の一階部分、大広間にあたるところに連れ出された。どちらも身分が高すぎるため拘束はされていない。あえて胸を張って虚勢を作る国王に比べ、王妃の立ち姿は本当にしとやかで美しかった。
王立騎士団とアルメイダ公爵家の騎士たちから信用のおける者が選ばれ、馬車の手配も済んだ頃。
「――待ってください」
「あなたたち……」
華やかなドレスの一団が現れた。王妃の侍女たちだった。彼女たちはシドに向かって訴える。
「私たちは王妃マルミリア様の侍女です。こたびの政変によりジェネット伯爵家派であった実家は没落し、外に行き場もなく……。どうか王妃様の旅路に同行させてください」
私たちは目を見かわす。
「許可しよう」
侍女たちはわあっと歓声を上げ、王妃を取り囲む。
私は騎士の一人に、私が王宮に残しておいた布や医薬品を取ってくるよう頼んだ。これからの旅で彼女たちに必要になるだろうから。
広いカビ臭いコケが生えた石畳の空間に、場違いな人だかりができる。王妃は困ったように、だが嬉しそうに侍女たち一人一人と話をしていた。
惨めなのは少し離れたところで誰にも囲まれることなく立っている国王だ。
――やがて、王妃は侍女によってマントを着せられ、堂々とした姿になった。こっちの方が似合うと誰でもわかった。
王妃はそのままシドに向かって言う。
「夫と最後の別れを告げさせてください」
「許可しよう」
誰もが油断しきっていた。王妃の歩き方はゆっくりで、汚い床に引きずられるマントのさやさや言う音が響き、誰も彼女が何かをしようとしているなど思いもよらない。
「ぎゃあ!」
と国王が叫んだのは、王妃が彼の目の前に到着してすぐ。
異変に気付いた騎士がすぐさま走り出し、王妃を引き離そうとする、その直前に彼女はもう一度、彼を刺した。
「がっ、がっ! がああ……」
国王は呻いて崩れ落ちた。
王妃は騎士たちに肩を抑えられ、丁寧に制止されている。彼女が放った短剣が床に落ち、からんと乾いた音がした。
「だめです。肝臓を刺し貫かれています。すでにこと切れております」
騎士が首を横に振った。
国王の死体は末期の痙攣にビグビグと仰向けになり、口から血とあぶくが入り交じった反吐を吐いた。手足がまだ生きているかのようにわななき、宙を掻きむしり、蹴る。
「この男がわたくしとわたくしの侍女たちに何をしたか、皆様はお聞きにならないほうがいいでしょう……」
王妃のひとり言がぽつんと空に舞った。それから彼女はシドの前に跪いた。
「王殺しの大罪、責はわたくし一人がお受けします。どうぞ首を召してくださいませ……」
「――ダメよ、シド!」
私は二人の間に割って入った。だってそれは、絶対にだめだ。たとえ国法の元、王族を傷つけた者は死罪と決まっていても、だめなものはだめだ!
「王妃様を殺さないで、お願い!……ええと、えと、あ! そうだわ、即位式を間近に控えた今、旧王族の一人を処断したなんてことがばれたらあなたの治世に疑問を持つ人がいるわよ!」
シドは答えない。私をじいっと見るばかり。
「あっ、それと。それが地下牢で起こったなんてことが漏れたら、それこそ拷問王とか処刑好き王とか好き勝手に呼ばれることになるわ。どうしても処刑するのならアリサがしたみたいに公開にすべきだし、そもそもそれだって、正式な裁判の後になるべきだわ!」
はあはあ肩で息をしながら私は早口に言う。ええと、次。次を考えなきゃ。
「――もう、いいのですよ」
そうっとか細い手が私の肩を掴んだ。
「ヴィオレッタ、ありがとう。……もういいの。わたくしは個人的な恨みを晴らしただけ。新しき王、ルクサリス陛下の治世の初めに血飛沫を飛ばして、無事でいようとは思っていません。さあ、離れるのです」
「いやです! だめですよ王妃様。だって、だってこれからじゃないですか!」
私は私を突き放そうとする王妃と揉み合いになる。
「王妃様は修道院に行って、神様と対話しながら日々を過ごすんです。窓辺に小鳥がくるかもしれません。孤児たちを世話して慕われるかもしれません。祈祷の中ですごい奇跡を起こすかもしれません。そういう毎日が、これから始まるんですよ。王宮を抜けて……ほんとの人生が……」
「……ありがとう」
王妃はにっこりと晴れやかに笑った。侍女たちのもらい泣きの声がくぐもって聞こえる。
「ルクサリス陛下。さあ、どうか花嫁をお連れくださいまし。このままではわたくしも泣いてしまいそう」
シドは苦笑して首を横に振った。彼が近づいてきたので、私は膝立ちになって王妃を背中に庇い、両手を広げる。
「シド、本気なの? シド!」
「――いいや」
彼は国王の死体に近寄った。いやそうに顔を歪めながら、彼はそれを観察する。すぐによし、と頷き騎士に言った。
「医者を呼んでこい。国王陛下は地下牢の湿気に当てられにわかに急病を発症、たった今身まかられた」
えっ?
私と王妃は顔を見合わせる。
騎士はすぐに地下牢から上がる階段を駆け上がっていった。シドは腰を伸ばして重々しい声で一言。
「皆、見ただろう。国王が急に胸を抑えて蹲り、口から血を吐いて死ぬのを。恐ろしい急病だ。感染の危険があるかもしれん」
「……そうですな」
「いかにも」
「食中毒だったらどうするんです?」
「そりゃ、食べ物も調べないとな」
「とっとと逃げねえと、危ないな」
騎士たちは口々に言った。目を閉じたりあくびをしたり肩を叩きあったり、本当にシドの言う通りだということにするのだと、彼らは決めたようだった。……信じられない。
「そういうことです、マルミリア殿。あなたも早急に修道院に移送させていただく。王宮に感染源かもしれない人間を置いておくわけにはいかないですからね」
シドは私を立ちあがらせながら静かに王妃に語り掛けた。
――感極まった王妃は何かを言おうとして、嗚咽を出さないように唇を引き結ぶ。彼女はただ深く、ひどく綺麗なお辞儀をした。
侍女たちがわあっと王妃に駆け寄って、口々に嬉しさを伝えた。
私はシドを見上げる。彼は茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。
医者が到着すると、彼はシドが言ったことと一言一句同じ診断を下し、そしてそれが王国の正史として刻まれることになったのだった。




