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さて、これがおとぎ話であればめでたしめでたし、で終わるのだが。
残念ながら私たちにはまだ片付けなければならない問題があった。
あのプロポーズの日から三日後。私たちは政務官たちが必死に穴を埋めて作り上げた布告文を持って、まずルパート王子の部屋へ向かった。
私からすると、やや複雑だ――心変わりされたとはいえ前の婚約者に、今の婚約者を見せて、それから残酷な宣言をしないといけない。でも、これは私とシドがしなければならないことだった。次の王と王妃が。
彼は部屋の中にいた。子供のようにぼんやりと積み木をいじり、窓辺に椅子を持って行って座り込んでくる。
「ルパート」
とシドが声をかけてようやく私たちに気づいたようで、弾かれたように立ち上がった。
「兄上……!」
「ああ、そのまま。そのまま。お前はまだ王族なんだから、跪かなくていいんだ」
「……はい」
ルパートは照れ臭そうに立ち上がる。私を見つけて、柔和に笑った。あ。昔の笑顔だ。まだシドが来る前。我が家に遊びにきて、お兄様も交えて遊んでたときの。
「こんにちは、ルパート」
「……こ、こんにちは、ヴィオレッタ」
私たちは友達同士のように笑った。
「さて」
こほん、と咳払いして、シドは布告文を仰々しく広げた。ルパートははっと居住まいを正す。
「あー、これ法律上文面読み上げる必要があるから、めんどくさいけど読むな?」
「はい」
「我ら署名の諸侯・官吏一同は、王国の安寧と王家の永続を願う忠臣として、近時の王太子ルパート・フォン・クレシア殿下の御振舞いにつき深い憂慮を抱いております。殿下は監国の任を預かられて以降、一、公正なる審理を経ることなくミストリオス公爵令嬢ヴィオレッタ嬢を断罪し、追放したこと。二、王国重鎮たるミストリオス公爵夫妻を法的手続きを欠いたまま拘束し、その家門を弾圧したこと……長いや。省略。以上を持ちまして、ルパート・フォン・クレシア殿下を王太子位より退かせ、陛下御帰還までの間、摂政会議による統治へ移行されることを請願いたします……まあ要するに、貴族たちが連名でお前を隠居させろと言ってきてる」
「ちょっとシド!」
はい、と渡された布告文を私は慌てて受け取った。
シド、こういうところがあるんだよね。格式張らないというか形式が苦手というかざっくばらんというか。
護衛騎士だったときでさえ、ときどきお仕着せに嫌気がさして詰襟の襟ぐりを開けてた。
これから大丈夫なんだろうか。……そっか、王妃として彼の『こういうところ』を支えていくのも私の仕事なんだ。責任重大。
「貴族たちはもはやお前を受け入れないだろう。洗脳魔法がどうのなんて関係ない。王族というのはそれらも含めて責任を取る立場だから」
シドの声は自分に言い聞かせるようでいて、きっと私にも聞かせてくれている。私は居住まいを正した。
「わかっています、兄上。俺は――人から定められた役割も、自分で決めた役割も果たせませんでした。罰を受けます」
「ああ。そうしてもらう。……王太子ルクサリス・フォン・クレシアの名に置いて、王子ルパート・フォン・クレシアを廃嫡とし、王家の戸籍から抹消する。南の辺境ギーゼナの地において、開拓修道院送りとする。修道士の規律に従って土を耕し、額に汗して働く尊さを学ぶがよい」
ルパートはシドの足元にすっとひれ伏した。
「確かに、承りました」
私は詰めていた息を吐き出す。これは――なんて、光景なんだろう。ほんの半年前まで、彼らの立場は逆だったはずなのに。
ゆっくりと立ち上がったルパートの肩をシドは叩いた。ルパートは泣き笑いのような顔で肩をすくめると、私を見る。まっすぐな金髪、一時期私が憧れた金髪が揺れて綺麗だった。
「ヴィ――ミストリオス公爵令嬢」
「はい」
「色々と、申し訳、なかった。婚約する前も、してからも」
「いいえ、恨んでませんわ、殿……ルパート」
「あんなひどい婚約破棄して、ごめん」
――あなたは操られていたんだし、と言いかけた。
でも結局、頷いて受け止めるにとどめた。たぶんルパートは、アリサのせいだったと全部許されることなんて望んでいないから。
「兄上、ルクサリス様とどうか幸せに。君みたいな素敵な女の子は、絶対に幸せになる権利があるんだから」
と言って、ルパートは笑った。
それが、私が彼と会話を交わした最後になった。
長い廊下の緋色の絨毯を歩きながら、シドが小さな声で聞いた。
「後悔してるか?」
「ううん。ルパートは――南の辺境に合ってると思う」
「そっか。そういえばヴィオレッタも、辺境暮らしが意外と楽しそうだったもんな」
「そうなのよねー、案外似てるのかも。私とルパート」
シドが珍しく動揺したようなので、私は嬉しくなって絨毯の上を駆けた。長い毛足に引っかかって転びそうになった。
その翌日。今度行く場所は――あまり、気乗りしない場所である。
地下牢は相変わらず陰鬱な場所だった。未来の王を相手にするというだけあって、牢番たちの態度がとても丁寧だった。
アリサは地下三階、日の光も差さない最下層の雑居牢にいる。せめて男爵令嬢の社会的地位を持っていたら、貴賓牢に入れたかもしれなかったが……。
鉄格子越しに彼女は私たちを見つけ、歯を剥きだして怒鳴ろうとした。猿ぐつわに阻まれ、声は出ない。うーっ、うーっという呻き声と、引っかこうとでもいうのか格子の隙間から手を出してジタバタしている姿がとても――とても、悲しかった。
もう私はアリサのスカートを引き裂きたいとは思わない。彼女は、ただの女の子だ。
罪を犯し、これから罰を受ける女の子。
「こいつ、大人しくしないか!」
「うううううぐぐぐ、うごがああああ」
牢番がさすまたのようなものを使ってアリサを牢の奥に押し戻した。彼女は泣きわめいて抵抗しているようだった。
牢番が仲間を呼び、四、五人の男たちが牢の中に入った。ほどなくして抵抗の音がやんで、猿ぐつわを嵌められたアリサが引き摺り出されてくる。彼女はボロボロだった。あのキラキラした粉の気配は衣服からも髪からも消えて、簡素な囚人服のワンピースの粗雑な仕立てがいかにも着心地悪そうである。
彼女は両腕を別の男に取られ、強制的に膝をつかされながらもギロリと私とシドを睨み上げた。
シドが私を彼女の視線から隠すように前に出て、懲罰の布告文を読み上げる。先ほどルパートと対面していたときとはまるで違う、威厳溢れる声音だった。
「――王国特別審議会の決議に基づき、アリサ・デュルマに対する裁定をここに告げる。
被告アリサ・デュルマは、一、虚偽の告発によりヴィオレッタ・ミストリオス嬢の名誉を毀損し、追放へ至らしめたこと。一、ルパート・フォン・クレシア第一王子をはじめとする複数の者へ不正な影響を及ぼし、国家運営を著しく混乱させたこと。一、ミストリオス公爵家に対する不当な弾圧に加担し、多数の臣民へ損害を与えたこと。――以上の罪を認定する」
「むぐぐぐううううううううう、ぶふうううう」
「もっとも、被告は国家転覆計画の主導者ではなく、その身分・年齢・置かれた環境を考慮し、死罪には処さない。よって次のとおり命ずる。今後一切の王都および宮廷への出入りを禁ずる。また王都より追放し、王国北西辺境ニケアの国境紛争地帯にて防衛に必要な魔石づくりの労役に従事するものとする。作成された魔石はすべて国家が買い上げ、余剰分はデュルマ男爵未亡人へ跡取り息子の養育費として割り当てられる。以後、この裁定を覆すことはない。以上」
最後にシドは、ぽんとアリサの目の前に布告文を放った。犬に餌でも投げるかのよう、いや、もっと汚いものを放るようだった。
「申し開きがあるなら聞こう」
シドは嫌そうに、だが形式上聞き、牢番たちに頷いた。同時に私は逞しい腕に引き寄せられる。
ちょっと、やめてよ。守ろうとしてくれるのはありがたいけど、これじゃまるきりあの日の再現だ。寄り添うルパートとアリサ、一人の私。
直後に後にアリサは泣き崩れた。ただ悲しくて泣いているわけではなく、憎悪の感情が膨れ上がるあまりどうしようもなくなったという泣き声。
「どうして……どうしてみんなあんたばっかり……!? なんでみんなあんたのものになるの⁉ あたしだって幸せになりたかったのに……!」
彼女は口からよだれを飛ばしつつ叫んだ。
「絶対許さない。ヴィオレッタ・ミストリオス! あたしはあんたを呪う!!」
「黙らせろ」
牢番たちは命じられた通りにした。
猿ぐつわを嫌がってアリサは頭を振りたくる。だが数人がかりに敵うことはない。
最後の最後で、彼女は叫んだ。
「あたしはただ、羨ましかっただけなのにぃぃぃぃ!!」
――ああ。
私は、アリサの人生を思う。
私生児として生まれ、たまに訪れるお父さんを待ちわび、正妻にはれっきとした男の子がいて、そういう人生。そこから【宝石姫】として覚醒し、王都の学園に特待生としてやってきたとき、彼女はどんなにか嬉しかっただろう。
ルパートに愛されて、人生これからだと思ったのかもしれない。
結局のところ悪巧みにも上には上がいて、アリサは老獪なジェネット伯爵に利用された。悲しいことだ。けれど。
私はシドの腕を抜け出した。
「ヴィオレッタ」
と呼ばれるけど振り返ることはない。私はアリサの目の前に座る。彼女は掴まれている腕が折れそうなほど呻いて、暴れる。
「でも私は、あなたが羨ましかったわ」
アリサの動きが止まった。
「だからといって許す気はないけれどね」
ちょっと笑って、私は立ち上がった。
アリサはより一層激しく暴れ回ったけれど、これ以上は私にはどうにもできないことだ。
戻ってきた私をシドはマントでくるんだ。アリサに氷のような一瞥をくれてやり、大股に歩き始める。私の彼に比べて短い足は、ちょっともつれる。
「気がすんだか?」
「うん。これで――気が済んだわ」
北西辺境と南方辺境は、遠い。アリサとルパートが今後邂逅することはないだろう。
シドは何を思ったのか、私を抱きすくめて囁いた。
「あれは魔石づくりの時以外魔力封じの枷を嵌め、一般の兵士とは別区画に隔離される予定だ。一生、日の目を見ることはないし、誑かされる兵士が出ることもないだろう。心配することはない……」
「もう、そんなんじゃないったら」
私は少し苦く笑った。
シドはこれで心配しているつもりなのだ。母を奪われ、父を蹴落とし、異母弟を追放した。苛烈な生き方を選択した人だから、同じく苛烈に賞罰を決めて生きることが私を喜ばせると思っている。周囲の水をどんどん奪って他の植物を枯らしてしまう薔薇のように。
――私は、彼の苛烈さを宥める水の役割に徹しよう。
そう思った。
地下牢のカビ臭さも湿気も、もう気にならなかった。
手の届くところにシドがいるから。




