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「待てえええええええっ!」
全員が、その声に振り返った。
ルパート・フォン・クレシアが、よろめきながら、壇上へと駆け上がってくる。
顔は涙でぐしゃぐしゃ、美しい金髪も乱れ、上着のボタンも掛け違えていた。
「ルパート様……!?」
アリサが驚愕の表情で目を見開いた。
「な、なんでここに……!」
ルパートは彼女に一瞥もくれず、ダンと檀上に立つ。眼前に広がる群衆に気圧されたように見えた。そういえば彼は、慰問や式典への出席をいつもいやがっていたっけ……。婚約者としてその場に同行していた記憶が、私の頭をかすめる。
「あの子は大勢の前に立つとどもってしまうかもしれないから、怖いのですよ」
と王妃様は言っていた。
ルパートは処刑台の傍らに立つ、シドを見た。
「お前が……」
足が震えているのがこの距離からでも見て取れた。
「お、お前が兄上、なんだな」
シドが一瞬私を見たので、頷いた。彼は剣を納めながらゆっくりと、ルパートの前に進み出た。
「ええ。ルクサリス・フォン・クレシア。あなたの異母兄です」
広場が水を打ったようにしいんと静まり返る。
「兄?」
「え? え?」
「前の王妃様……!」
「レティシア様の」
群衆の虚ろな目に、かすかな理性が生まれつつあった。
「お、お前が、窓から見えた。だから、行かなきゃって思ったんだ。お前が来てるなら行かなきゃって。それが俺の、お、俺の――責務だから」
ルパートの全身がわなわなと震えた。
「お、俺はずっと、怖かった。母上に見てもらえなくて、誰にも、ただの俺を見てもらえなくて。アリサだけが、俺を見てくれると思っていた」
「ルパート様、何言ってんの!?」
アリサが、甲高い声で叫んだ。
「今そんな話してる時じゃないでしょう! その女は危ないんだって!」
だがルパートは、彼女を見もしない。
「だから、アリサの言う通りにした。ヴィオレッタを断罪したことも、公爵夫妻を投獄したことも。何もかも、アリサのためだと思って、目をそらしていた」
ルパートは深々と頭を下げた。
「すまない。本当に、すまなかった」
私は荷馬車の両親の元からその姿をぽかんと見つめていた。かつての婚約者の、初めて見る顔だった。私はルパートが謝るところなんて見たことがない。彼はいつだって自信のなさを隠そうと必死で、決して間違いを認めないし謝らなかった。
「俺には、王になる資格がない」
ルパートは、シドに向かって必死に訴える。
「兄上。あなたが、正統な王太子だ。俺は……俺は、もう、隠れることをやめる。この国を、あなたに託します」
「ルパート様あああああ!」
アリサが悲鳴のような声を上げた。
「裏切るの!? あたしを置いて、自分だけ逃げるつもりなのっ!」
「アリサ」
ルパートは振り返る。彼なりに精いっぱいの勇気を込めて、冷たくしているのだろうと思われる声で言う。
「君にもすまなかった。一緒に罪を償おう」
それから彼は私を見た――私を、見た?
す、すごい。ルパートが私を見るなんてこと、あるんだ。思わず目の前のお母様の目を覗き込んでしまう。
「ヴィオレッタ! 君も、本当にごめん。ごめんなさい。今までずっと支えてくれたのに、婚約破棄してごめん。ありがとう……!」
「ルパート様……」
私は呆然と呟く。
私は決して、いい婚約者じゃなかった。ルパートのことをわかろうなんて一度も思わなかった。子供の頃に一緒に遊ぶは楽しかったけれど、成長してからは上っ面の会話しかしていない。だから私は一方的に婚約破棄された言いなりの悲劇の令嬢でもなければ、シドに身を捧げたヒロインでもない。
私だってルパートを追い詰めた一人なのだと、今やっと、わかった。
ルパートは彼なりにまっすぐに立ち、群衆に向かって声を張った。
「皆、聞いてくれ! アリサが使っているのは、洗脳の魔法だ! その粉は、ジェネット伯爵が代々溜め込んできた魔石を、すり潰したものだ!」
人々の中にざわめきが広がった。
「ジェネット家は百年前、先代の【宝石姫】を輩出した家だ。百年に渡って魔石を隠し持ち、その力を悪用してきた! 今もそうだ! 俺の祖父が、すべての黒幕だ!」
「な、何を言ってるんですか、ルパートさまったらあ!」
アリサが慌てて反論しようとする。しかしとうの彼女のドレスの裾から、まだ粉がこぼれ続けていた。
それを見た一部の人々が、はたと気づいたように自分の頭や服の粉を払い始めた。動揺して、家族を叩く人もいる。
人の心を支配する洗脳魔法は禁忌のひとつだ。そしてその効力は、自身が洗脳されていると気づいた時から揺らぎ始める。
「あなたたちは何も悪くない! ただ、騙されていただけだ!」
ルパートは声を限りに叫んだ。
「アリサとジェネット伯爵が、お前たちを、操っていたんだ!」
「きいいいいいいいいいえええええええええええッ!!」
アリサが叫んでルパートに飛び掛かる。【宝石姫】と王子が壇上で揉み合いになるなんて。
アリサは非力な少女だが、ルパートだってあまり運動しない人だから力は互角だ。二人は壇上に一緒に転び、殴り合い、掴み、互いを自分から引き離そうともがいた。もたもたと、これに比べれば孤児院の子供たちの取っ組み合いの方がよほど喧嘩らしい。
――北門の方角から、一際大きな喚声が上がった。
「来た……!」
シドが振り返った。
土埃を巻き上げ、アルメイダ公爵家の旗をはためかせながら、黒鷲砦の軍が今、王宮前広場に到着した。
先頭に立つのはバルトロメオ。威風堂々と漆黒の鎧を着て、さながら熊のようだ。
その隣には、馬を駆けるオーリンの姿があった。
「オーリンお兄様……!」
私は両親と手を取り合って、ええと、両親の手は拘束されているので握れないんだけど、とにかく一緒に躍り上がった。
「ヴィオレッタ!」
オーリンの声が響く。彼は混乱する人々の中を強引に馬で突破すると、荷馬車の直前で飛び降り、駆け寄ってきた。
「お父様、お母様……! ご無事ですか!」
「オーリン……!」
お父様が感極まったように呻く。お兄様は荷馬車にたっと飛び乗ると、腰のナイフで素早くお二人の拘束を解いた。
「邪魔するなあああああっ! 全部うまくいきそうだったのにっ、もう少しだったのに、なんで邪魔するんだよおおおおおおおお!!」
檀上でアリサが絶望的な声で叫んだ。
彼女はルパートを蹴って離すと、ドレスの裾をからげ、両手で振りたくった。
「全部、全部、灰にしてやる!」
彼女の周りに異様な魔力が渦を巻いた。
衣服に散りばめられた魔石の粉の力、それからおそらくは体内に蓄積された魔石の力が、限界を超えて噴き出そうとしている。
オーリンが結界を張ろうとした。だがその必要はなかった。
アリサの魔力の渦は、長くは続かなかったからだ。
「ぐ……あああああっ!」
アリサがは突然、苦しみ始めた。さんざん殴られたのにけなげにもルパートが彼女に飛びつく。
「魔石は魔力のかたまり。正しく使わなければ術者自身の身体も蝕む……」
オーリンお兄様が低く呟くのを、私は耳で聞いた。目はシドを追っていた。彼は壇上のルパートとアリサを見、それから決意を込めた紫色の目が私たちミストリオス公爵家を見つめた。
――行って、シド。
私はそう、口の動きとまなざしで伝えた。
バルトロメオの部下たちが素早く動いた。動けなくなった膝をついたアリサを、複数の騎士が取り囲み、拘束する。
「ルパートさまあああ……」
彼女の声が惨めに、広場に響いた。ルパートは彼女の身体を守ろうと反射的に動いて、やがてゆるゆると腕を外す。辛そうに顔を背ける姿から、後悔が滲み出ていた。
人々の中から狂乱が過ぎ去り、周りを取り囲むアルメイダ公爵家の騎士たちの威圧もあってか、徐々に混乱は収まりつつあった。その最中で、ルパートは静かに両膝を檀上についた。
あの彼が、人に注目されながら敗北を受け入れた。
私はそれだけで、なんだかもう、全部許してあげようと思った。
「すべての責任は俺にある。罪を認めます。アリサを増長させた罪も、ジェネット家の専横を許していた罪も。……兄上」
シドはいっそ静謐なほど静かに、異母弟のを見つめる。
「お前の罪はお前自身が、これから償うことになる。俺に裁く権利はない」
ルパートは頷いた。
「だが、まず、お前の祖父――ジェネット伯爵を、捕らえなければならない」
「ジェネット伯爵は……王宮の奥、宝物庫にいるはずです。たぶん、そこにすべての魔石を隠している。それを持って逃げようとしてる、かも」
バルトロメオが、それを聞いて、にやりと笑った。
「よし。次は、そこだな」
終わりが見えてきていた。なにもかも、すべてが終わりに向かって動き出す。




