17
決行の日は朝から曇天だった。グレゴリーの店の裏手に私たちは集まった。
納品用の大きな木箱がいくつも積まれている。そのさらに中に小さなジュエリーケースが何個もあった。ジュエリーはすべて一級品の宝石で作られ、内側に赤いビロード布が張られたケースに包まれ、さらに布にくるまれ大切に保管されていた。私はかつて、このケースを見たことがある。だがケースがさらに運送用の布で保護され、こうして木箱で王宮に入るものだとは。
私の身体はちょうど木箱とジュエリーケースの隙間に収まった。
「本当に、これに入るおつもりですか」
グレゴリーが不安そうに何度目かの確認をした。
「ええ。やります」
覚悟は決めている。私は頷く。シドが苦々しい顔で箱の中を覗き込む。
「呼吸用の穴は開けてあります。換気は問題ありません。ですが」
「分かってる。何かあったらすぐ出るって約束するわ」
「お嬢様の『約束』を、もう一度信用しろと?」
「今度こそ本当よ」
シドはグレゴリーの店に置かれていた、王宮騎士のお仕着せに身を包んでいた。こうしてみると立派な騎士に見える。
「俺はなんとかして王宮に潜り込みます。ま、いいところまでいけるでしょう」
「わかったわ」
と言いながら、私は前のことを思い出していた。王都に戻ってきたとき、シドは馬と引き換えに通りすがりの商人を説き伏せて私を荷台に隠してくれた。彼は口が上手いのだ。思えば子供の頃も、お祭りのときなんか屋台でおまけしてもらうのが上手だった。
――彼はどういう言い訳をして王宮を潜り抜けるのかしら? 想像するとちょっとおかしくてクスクス笑った。緊張がほぐれ、心配はなかった。
もしシドの正体が王子様だってバレたらまずいと思うけれど、今王宮にいるのは皆、王妃様のご実家のジェネット家の息がかかった人ばかり。十五年前に消えた王子の顔を知る人なんてそういない。
周りが敵ばかりだということが、逆に安全を呼ぶことになるなんて。
シドは生真面目に私の手を取り言い聞かせる。
「何かあれば、どこにいてもすぐに駆けつけますから。絶対に俺を呼ぶんですよ」
「ありがとう」
そうして私は木箱の中に身を縮めた。狭くて暗くて布の匂いがして、宝石がチャラリとも音を立てないのが、当たり前だけど不安だった。
蓋が閉められ、釘が打たれた。間際、シドの声が聞こえた。
「お嬢様。必ず、無事に出てきてください」
「うん」
それきり、世界は暗闇と振動だけになった。
馬車の振動は大きかったけれど、お尻が痛くなるほどではない。万が一ジュエリーが破損したら大損だからね、御者も慎重なのだろう。とはいえそのせいで道のりは長く、永遠に続くように感じられた。何度も検閲や世間話で止まっては動き出す。
声と足音、荷を運ぶ人足たちの掛け声。布越しにくぐもって聞こえる世界の音。
とても怖いけれど、私はお父様とお母様に会いたかった。そうだ。五歳の頃。前世の自分とヴィオレッタに折り合いがついたようなつかないような、茫漠とした自意識で過ごしていたとき。お父様とお母様が優しくしてくれたので、私はああ私ヴィオレッタって名前なんだわ、ミストリオス公爵家の娘なんだ、しっかりしなきゃ……って、そう思えたのだった。
私が今ここにいるのは二人のおかげ。だから、絶対助ける。
やがて箱が下ろされた。馬車から降ろされ、検品され、さらに台車か何かに移されたらしい。何度かの上げ下げのあと、ひそやかな声が聞こえた。
「ヴィオレッタ様」
ベルナール家の世話役の声である。
蓋の釘ががごんっと外され、重たい木の蓋が開いた。薄暗い、石造りの小部屋だった。
「ここは?」
「城の裏手です。この荷物は『手違いで』うっかりここに運ばれてしまったことになっています。地下へ続く通路はあちら」
指差された先を見ると、いかにも湿気ていそうな古びた戸口がひとつ、城の石造りの間に入った亀裂のように開いている。ごくり、私は喉を鳴らす。
「貴賓牢は地下二階です。牢番たちは食事休憩中でいませんが、時間はごくわずかしかありません」
私はフラフラ箱から這い出た。必死に膝を掴んで立とうとするも、ずっと座っていたせいで脚が震えていた。
「お父様とお母様は、地下二階にいらっしゃるのね?」
「そうです。階段は一番奥です。……私たちにできるのは、ここまでです。どうかご健闘を」
「分かりました。ありがとう」
私は駆け出した。暗く、蜘蛛の巣と湿気でいっぱいの戸口へ駆けこんだ。廊下は床に質素な木の板が貼られているだけ、それさえ腐りかけている。ぞおっとした。お父様とお母様、こんなところで身体を悪くしていないかしら。
教えてもらった通り、人気はない。一番奥までつっ走ることがよくできたものだった。そこにあった重たい鉄の扉の鍵が、壁にかかっている鍵束のうちどれか探すのに時間がかかった。でも、なんとか見つけた。
私は扉を押し開ける。足を踏ん張り、全体重をかけなければならなかった。
ぶわっとカビ臭い空気が顔面に襲い掛かった。
私は覚悟を決め、地下へ降りる。
地下二階は急な螺旋階段を降りに降りた先である。足を震わせながら、ネズミ穴やムカデの姿を見ないようにしながら、私はなんとかその階に辿り着いた。
いくつかの牢屋が連なっていた。鉄の扉、石の壁。大人の男性の頭の高さに小さな鉄格子ののぞき窓。ずらりと並んだ扉のうちのひとつから、灯りが漏れている。私は無我夢中でそこへ飛びついた。鉄格子を掴んで、そっと声をかける。
「お父様?」
小さく叫んだ。
「お母様!」
牢の中、簡素な寝台に寝転んでいた人影が、ぴくりと動いた。腐った絨毯のひどい臭い。窓なんてないのに垂れ下がったレースのカーテンが申し訳程度に壁に吊り下げられている。三本しか足のないローテーブルと、空の水差し。
――こんなのが貴賓牢? こんな扱いでもましですって?
お父様の顔を見た瞬間、私は泣きそうになった。
最後に見たときより痩せていた。頬がこけ、髪に白いものが増えている。
だが私を見つけた瞬間、お父様はぱあっと顔を輝やかせた。
「ヴィオレッタ……!」
「お父様!」
私は格子に顔を押し付ける。鼻ぶつけちゃったけどそんなこと構わない。
隣の寝台から、お母様も飛んで来きた。
「ヴィオレッタ、あなた、どうして」
「お母様……!」
三人、格子越しに手を伸ばした。触れ合った手のぬくもりに今度こそ涙が出る。えぐえぐ泣きながら、冷たい鉄の感触ではなく両親の温かさを必死に覚えておこうとした。
「ご無事だったのね、ご無事だったのね」
「私たちは平気だ。だが、お前。こんなところに、どうやって」
「シドと一緒に来たの。お父様、お母様の無事を確認したくて」
お母様が、私の手をぎゅっと握った。涙が彼女のこけた頬を伝う。母は小柄でふっくらした上品な婦人だった。こんな痩せてなかったのに……。
「会えて本当に嬉しいわ。でもどうしてこんな危険なことを」
「平気よ。すぐ出してあげるからね」
「ヴィオレッタ」
お父様の静かな声が重たく響く。
「聞きなさい。お前は、すぐに王都を離れろ」
「お父様?」
「私たちは、もう」
お父様はお母様と目を見かわし、すうと息を吸い込む。
いやな予感がする。その先を聞きたくない。
「処刑される。婚約発表の『祝典』の日に、ルパート殿下とアリサの婚約を祝う催しの中で」
私は、息を止めた。
「な、何を言って」
「噂じゃない。とうのアリサ・デュルマがここへやってきてな、高らかに宣言してくれたよ。私たちの処刑を見世物にするのだと。古い王家への反逆者として、新しい王妃の威光を示すために。無視していたら、ティアラを投げつけて去っていったがね」
三日前に響いたという大きな音の正体はそれだったのか。
「そんな……」
頭の中は真っ白だ。
処刑。
祝祭の余興として――アリサを満足させるために、うちの両親が?
「日付は、まだ正確には分からない。占いでよい日を決めるそうだ。だが、もう長くはないだろう」
「お父様」
「だから、お願い。私たちのことは、もういいの。王都から逃げなさい。ああ、追放されたまま辺境にいればよかったのに。とにかくお兄様とも合流して、安全な場所で生きて」
「お母様」
「シドに会うんだ。彼に守ってもらえ」
「あなたが気に病む必要はないわ。ルパート王子は狂ってる」
「そうだ。仕方ない。何もできなくていいんだ。生きていてくれるだけで、私たちは」
「いいえ」
私は、格子を強く握った。冷たい鉄が手のひらに食い込む。
「逃げません」
「ヴィオレッタ!」
「私は、逃げませんわ」
声が、震えた。
でも、揺らがなかった。
「お父様とお母様を置いて、逃げるなんてできない。絶対にしない。私には、もう仲間がいます。シドも、黒鷲砦の方々も。お兄様もきっと動いているわ。一人じゃないだから」
「お前は、何も分かっていない」
お父様の声が、苦しげに響いた。
「嫌よ。お二人が死ぬなんていや!」
私は銀髪を振り乱し、両親の目を順繰りに見つめる。
「私たちミストリオス公爵家は、王国の柱だったはずです。なのに私はこれまでずっと、責任から逃げてばかりだった……。ルパートに婚約破棄されたときもそう。これで収まるならそれでいいわなんて思って。悪者になりたくないって、それだけで。そうよ、私が婚約破棄なんてされて、お父様もお母様も傷ついたわよね? なのに私は、誰かが傷ついていることに、気づかないふりをして」
「ヴィオレッタ……」
「もう、逃げません。これ以上家族を犠牲にするなんていや」
牢の中で、両親は黙り込んだ。何と言っても私を説得できないことに気づいて、焦った様子だ。
その時上の階から、足音と話声が聞こえた。牢番たちが戻ってきたのだ。
私は涙を拭い、最後にもう一度、両親の手に触れた。
「絶対に、助けに来ます。処刑なんてさせませんから!」
踵を返した私の背中に、お父様とお母様の心配が突き刺さるようだ。
もう逃げるのはこれきりだ。
絶対に二人を犠牲になんてしない。




