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悪役令嬢をしなかったら冤罪で追放されたので、護衛騎士と一緒に王国をひっくり返します  作者: 重田いの


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 ベネド塔の最上階の独房には、明り取りが一つだけ、ある。横幅は拳ほどの大きさで、縦幅は顔の長さ程度。外の光がかろうじて差し込む程度のもの。とてもじゃないが人間一人が通り抜けられる大きさではない。


 オーリン・ミストリオスは、その窓の下に座り込み、もう何日もそうしてきたように、石壁に背を預けていた。


 腕には魔力封じの紋章が刻まれた、鉄の枷が嵌められている。これがある限り、彼の魔法は使えない。

「さてさて、困ったね……」

 と、彼は八重歯を見せて笑う。半分は強がりだが、もう半分は不屈の意志だ。ここへきてもオーリンは諦めていなかった。


 王宮で捕らえられ、目隠しをされて移送された屈辱も。両親と妹を心配する気持ちも、忘れていない。彼はここに来てからの日々を、観察に使っていた。


 見張りの交代の時間。食事が運ばれてくる頻度。扉の鍵の構造。牢番たちの会話の癖。

 何もできない時間こそ、何かを仕込むための時間だ。彼は観察のおかげでここがベネド塔だろうと見当をつけていたし、捕まってからの時間もだいたい把握していた。

 ミストリオス公爵家の長子として、政務官として、魔法使いとして。絶対に生きて帰る。彼はそう決めている。


「オーリン・ミストリオス様」

 ある日、食事を運んできた牢番が、声をかけてきた。まだ若い無精髭の男である。他の牢番たちと比べて、どこか落ち着きがない様子だった。


「……囚人になんのご用だい?」

 と気だるげな口調を装って言うと、牢番は声を潜め続けた。

「妹君が、ヴィオレッタ様が、王都に戻られたという噂があります」

 オーリンは息を止めた。


 ――ヴィオレッタが王都に? 危険すぎる。

「おバカなチビちゃんめ……」

 彼は呻いた。考えてみればあの妹が、ただ辺境で怖がって縮こまっているはずがなかったのだ。


「噂の出どころは?」

「分かりません。ただ、ベルナール家から修行に来ている若い者が、こっそり話していたのを聞きました」

 ベルナール。その名前は若いオーリンでも知っている。

 代々王宮地下牢の牢番を務める家であり、先代王妃への忠誠をまだ忘れていないという。


「つまり、うちの両親は王宮地下に囚われているってことか。教えてくれて、感謝する」

 オーリンは、努めて静かに言った。

「お前の名前は」

「……トマスです」

「トマス。私を助けるつもりがあるのか?」

「――ここを無事、脱出なさった暁には、私の家を取り立ててくださいますか?」


「ふむ。事情があるのだな?」

「私の父は十五年前、アルメイダ公爵家に仕えておりました。政変で職務と名誉を失い一家は離散し……私はこうして、牢番として生きるしかなくなりました。ベルナール家のような名誉さえない、ただの雇われの牢番です」

「分かった。我がミストリオス公爵家復帰の末には、お前に名誉を与えることを約束しよう。引き換えに、今は力を貸してくれ」

「はい……!」

 牢番は決意を込めた声で言った。


 それから、数日。

 オーリンのため、トマスは少しずつ情報を集めてきた。警備の配置と交代のタイミング。食事の時間。見回りが手薄な窓の位置。

 そして、王都で話題の『祝典』の噂。


「なんなのだ、その『祝典』とやらは。歴代の【宝石姫】はそんな仰々しい名前の催しなどしなかったし、王家も許さなかったぞ。王陛下御夫婦が遠く外遊中だからといって、ルパート王子め……! どんな催しなんだ。内容は分かるか」


「どうも噂では、ルパート王子殿下とアリサ様の婚約発表だと」

「婚約発表だと? 我が妹と正式に婚約破棄したわけでもあるまいに、舐めた真似を」

「ええ。それと……」

 トマスは、言葉を濁した。


「言え、トマス」

「……ミストリオス公爵夫妻の公開処刑が、同時に行われるという噂です」

 オーリンの手の中で陶器のカップが砕けた。トマスがひっと息を飲む。オーリンは血みどろの手で鉄格子を掴んだ。魔力封じの鉄の鎖がじゃらりと音を立てる。

「……私の両親が? 公開処刑、だと?」

「は、はい」

 婚約発表という祝祭の余興として、処刑を行う。いったいどれほど残虐さを好めばそんな残酷な発想が出てくるのだ。考えるだけで吐き気がする。


「具体的にはいつだ」

「分かりません。ただ、あと一か月は切っているのだとか」

 オーリンは拳を握りしめる。鉄の枷が肌に食い込んだが痛みなど感じない。憤怒が彼を突き動かした。

「トマス。今夜脱出する。手伝ってくれ」


「ご無理を承知でおっしゃっているのは分かります。ですが」

 トマスは、唇を噛んだ。

「今のままでは情報が足りません。私にお助けできることは、限られています」

「十分だ」

 オーリンにはすでに考えがある。


 見張りの交代の隙間を突き、外へ出る。枷を外す方法もおいおい考えつくだろう。

 塔を脱出したあとは、黒鷲砦へ向かう。父と若い頃から付き合いのある男たちがいる場所だ。彼らなら力を貸してくれるはずだった。


 そうして緊急の脱出劇の幕が上がった。

 トマスが隙を見て盗んできた合鍵で、オーリンは久しぶりに檻の外へ出た。枷は外せなかったが、今は十分だ。


 オーリンは政務官であると同時に、王国でも数えるほどしかいない上級魔法使いである。ならば彼を監視する役目の者たちは必然的に、彼の魔法を警戒することになる。枷に警告魔法が仕込まれている可能性もあり、むしろ枷を外さずにいる方が安全だと思われた。


 トマスの先導の元、オーリンは進む。螺旋階段を下り、下り、静かな牢番の部屋を通り過ぎた。他の牢番たちは今、オーリンが通り過ぎてきた階の見回りをしているはずだ。


 塔の外へ続く扉を静かにゆっくり開けた途端、夜風が頬を打った。彼は思いっきり清らかな空気を吸い込む。あの小さな明り取りから吸い込んでいたのとは、まったく違う。新鮮な風の香りに涙が滲んだ。

 トマスは一頭の馬を用意してくれていた。


「ここからは、お一人で」

「ありがとう、トマス」

「いいえ。……どうか、どうか我が出世を……」

「任せろ。連絡を待っていろ」

 オーリンは馬に飛び乗った。自分を信じてここまで身体を張ってくれたトマスへ、必ず見返りをやらねばならない。


 馬は宵闇の中を駆け出した。ベシャール地方からパトラ山脈までは、馬で六日ほどの距離である。休まず駆け続けながらも街道を避け、森を抜けた。

 追っ手がやってきても見つけられないと思われる森の深部に入り込み、彼は目を皿にして木々の根本を探った。魔力は封じられていても目までは潰されていない。


「滅多に見つかることがないのはわかっている。だが神々よ、どうか味方してください……」

 そして、彼はようやく見つけた。

 小さな湧き水の水溜りの中。コポコポと泡を出す水が湧き出るところに、それはあった。

 ――天然の魔石である。手のひらに収まるほど小さく、形は黒曜石のように鋭く、色は真珠のように白い。


「ありがたい……!」

 オーリンは魔石を拾い上げると、その中に含まれた微小な魔力を操作した。枷はそれを阻もうとぎゅるぎゅる彼の魂を縛り上げる。歯を噛み締めて耐える。

 魔石の魔力が尖り、刃となって魔力封じの鉄の枷を破壊した。

 どっと魔力が戻ってくる。飢えと渇きと急に流れ出した魔力のせいで、何度も視界が揺れた。

 それでも、オーリンはよろめきつつ立ち上がる。


 両親の命がかかっている。妹が、すでに動いている。

 自分だけが、無力に座り込んでいる場合ではなかった。

  黒鷲砦の吊り橋の前にぼろぼろのオーリンが現れたのを、見張りが見つけた。馬も人も疲れ切り、砂塵塗れの顔はほとんど灰色だった。


 オーリンはかすれた声で名乗った。

「ミストリオス公爵家の長子、オーリン・ミストリオスだ。バルトロメオ殿に会いたい」

 名前を聞いた瞬間、男たちの間にざわめきが走った。

 すぐに奥からバルトロメオが歩いてくる。彼はオーリンの姿をじっと見つめ、にやりと笑った。


「ジークの息子か。よく来た」

「……バルトロメオ殿。妹が王都にいると聞きました」

「ああ。元気にやってるみたいだぜ」

「ではご存知ですか? アリサ・デュルマが企てている『祝典』とやらのことを」

 バルトロメオの表情がすっと落ちた。

「ああ。今ちょうど対策を立てていたところだ」

 オーリンは馬から崩れ落ちるように降りた。バルトロメオはじめ元騎士たちは慌ててその身体を支えた。


「まず休め。話は、その後でいい」

「いえ。今、聞いてください」

 オーリンは、震える声で続けた。

「両親が、処刑されようとしています。婚約発表という祝祭にあわせて。時間が、ないんです」

 砦に、緊張が走った。

 バルトロメオは、しばらく黙り込んでから、低く言った。


「分かった。すぐに会議を開く」

「ありがとうございます」

「だがまずは休め。倒れた騎士は使えねえ」

 なんとか頷いたことをオーリンは覚えている。だがすぐに眠りの波が彼を攫い、すぐに瞼が重くなった。


(ヴィオレッタ……)

 と彼は思った。

(お兄様はやったぞ。お前も、なんとか……生き延びろ)


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