15
「――お嬢様、駄目です」
シドが即答した。
「危険すぎます」
「分かってる。それでも行くわ」
「分かってないですよ。さっきの話を聞いていましたか? アリサは魔石を使って人を殺せるんです。デュルマ男爵がどうなったか、ご存知でしょう」
「だから心配なのよ。お父様とお母様が、同じことになるかもしれないから」
「だからこそです。お嬢様まで危険な目に遭わせるわけにはいかないんです」
シドと私の声が応接間で激しく交差する。
ベルナールはおろおろと二人を見比べていた。
「ですが、殿下。ヴィオレッタ様の伝手は、確かに使えるかもしれません」
「ベルナール、お前まで」
「失礼ながら、私どもの一族だけでは、貴賓牢の外側のことしか分かりません。商人の伝手があれば、もう少し奥まで……」
シドは頭を抱えた。
「分かってる。分かってるんだ。言ってることは。でも」
「シド」
私は、彼の前に立った。
「あなたが私を心配する気持ちは分かる。でも、考えて。私には王都の店の伝手がある。出入り商人の中には、私を昔から知っている人もいる。彼らなら、貴族街の屋敷に届け物をする時、王宮にも荷物を運び込むことがある」
「だからって」
「シドが動けば、目立つわ。王族だと名乗るわけにはいかない。ミストリオス公爵家の護衛騎士がのこのこ現れたら騒ぎになってしまうし、――もし、あなたの正体が割れたらどうなると思って? ルパートに殺されるかもしれないわよ。でも、私は違う」
「追放された令嬢がのこのこ出てきても、騒ぎになるでしょう」
「のこのこ具合が違うのよ」
シドは反論を探して思案した。
「私はあなたより顔が知られていないわ。お願い。お父様とお母様の安否を確認するの。それだけよ。無理はしないって約束する」
「お嬢様の『約束』は……」
「今度は本当よ!」
私は彼の紫色の目をまっすぐに見た。
「……分かりました」
シドは目を閉じ、ため息をついた。
「ただし、条件があります」
「なに?」
「俺も同行します。離れません。そして、危ないと判断したら即座に撤退する。それでいいなら」
「……いいわ」
「本当に、いいんですか」
「ええ。ちゃんと分かったわ」
「勝手に捲いたりどこかに行ったりしたら……」
「わかったって言ってるでしょう!」
ベルナールが、ふっと笑った。
「殿下、ヴィオレッタ様には敵いませんな」
「うるさいぞ、ベルナール」
シドは、口をへの字に曲げた。ふてくされた少年のようだった。
翌日の午後、私たちはベルナール家の馬車を借りて貴族街へ向かった。シドは従者に扮し、私は分厚いベールのついた帽子で顔を隠した。中流貴族の奥様の気晴らしのお買い物に見えるといいけど。
やってきたのは、かつてミストリオス公爵家に出入りしていた商人、宝石商のグレゴリーの店。
彼の商売は手広く、貴族の屋敷にも顔が利く。王宮への出入りもある。問題は、味方してくれるかどうか。それに足る実利をこちらが提示できるかどうかだ。
店員さんは少しぶっきらぼうだった。どうしてかしら? と悩んで、ああそっか、『ミストリオス公爵令嬢で王子の婚約者』ではないからだと気づく。
シドが店員を惹き付けている間、私はじりじりと店の奥へにじり寄った。分厚い繻子のカーテンの隙間から中を見ると、彼は難しい顔で帳簿をつけていた。
「お久しぶりです、グレゴリーさん」
するりとカーテンの内側に入り込んだ私は、ベールを少し上げて囁いた。グレゴリーはぽかんと目を見開いて私を見つめ、それから慌てて頭を下げた。
「ミストリオス公爵令嬢……! ご、ご無事で……」
「しっ。声を抑えて」
「失礼しました。まさかまたお会いできるとは」
グレゴリーは店員に声をかけて店を閉じると、奥の商談部屋に私たちを通してくれた。古い宝石店特有の薄暗くひんやりした空気を吸い込む。
「今、王宮がどうなっているか聞きたいの」
「それは……」
グレゴリーは、声を低くする。彼はどちらかといえばミストリオス公爵派閥に属する側だから、無茶なお願いも吟味してくれた。
「最近の王都はおかしいわ。王宮もきっとおかしいでしょう。思えば私が追放されたことから、奇妙だったわ。違う?」
「……ええ」
「グレゴリーさん、私たちは……お父様とお母様が心配だし、もしこの国が間違いを犯しているなら正したいの。お願い。教えてください」
頭を下げる私に、グレゴリーは深い溜息をつく。
「ええ。最近、確かに王宮はおかしいです。【宝石姫】アリサ・デュルマ様が、何かの儀式の準備をしているという噂もあります」
私とシドは、視線を交わした。
――儀式。
嫌な予感がする。
「儀式って、何の」
「分かりません。ですが、近々大きな祝典があると聞いております。【宝石姫】の力を国中に示す祝典、と」
「祝典……」
それが何なのかなんて想像もつかない。
でもきっと、ろくでもないだろうという確信はある。
「公爵夫妻のことは?」
とシドが身を乗り出し、彼が私の護衛騎士だと気づいたのだろうグレゴリーは目を瞬いた。
「私自身は、直接お会いできておりません。お元気だと聞いておりましたが――三日前に、貴賓牢から大きな音が聞こえたと聞きます」
「なんですって……」
声が震えた。
「申し訳ございません。それ以上は、私には分かりません」
「いいえ、ありがとう。十分よ」
私はなんとか笑顔を作ったが、心は嵐のように荒れていた。
――三日前までは、両親は元気だった。でも音が聞こえた。
今はどうなのか、分からないのだ。
シドが私の背中に手を添えた。
「お嬢様」
「平気よ」
「無理しないでください」
「平気だって言ってるの」
動揺していることくらい、自分でも分かっていた。
シドはおそるおそる私から手を離し、グレゴリーに向き直る。
「グレゴリーさん。もし可能であればの話なのですが。近日中に王宮への納品に向かう予定がありませんか? そしてもし、もしですが、その荷の中に、何かを紛れ込ませることができれば」
グレゴリーはぎょっとした。
「な、何を言うんですか。そんなことをして見つかっては、我が商会がどうなることか」
「グレゴリーさん。あなたが駆け出しの商売人だったとき、先輩商人に嫉妬され品物が手に入らなくされ困っていたことがありまたよね? それでもあなたの店を使い続けたのは誰でした?」
グレゴリーは黙った。
私は顔を上げた。何それ知らない。
「ミストリオス公爵家にあなたは多大な恩義があるはずだ。そのご令嬢が今、困っておられる。他でもないご両親のために動こうとしておられるのですよ。なに、あなたは何も知らない。見て見ぬふりをしてくれればいいんです。――手紙か何かを荷物に紛れ込ませるくらいは、協力してくれていいのでは?」
「う、うむう……」
私は色めき立った。
「手紙を送れるかもしれないということ?」
「危険を伴いますが、可能性はあります。荷物は運送の人足によって地下牢の近くまで運ばれます。あとは……ベルナール家の世話役の力を借りれば」
「それなら……それなら、私が直接行くわ」
「何を言うんです!?」
私はグレゴリーに向き直る。
「グレゴリーさん。私は――お父様とお母様に会いたいのです。どんなに危険なことを頼んでいるかわかっています。でもせめて一目だけでも会いたいの。生きているわって、生きていてほしいって、伝えたいの。お願いします。どうか助けると思って、私を荷物に潜り込ませてください」
シドは絶句した。なんとかして私を説得しようとしていることはわかっていた。だが、私が絶対彼の言う通りにしないこともまた、彼にはわかっていたのだった。
結局、シドはがくりと首を落とし額を抑えて呻いた。
「くそっ。しくった。言うんじゃなかった――グレゴリーさん、この通りです。このお嬢様は言い出したら聞かない」
「私は小さいわ。ドレスなんか着ない。使用人の服を着ていくから、人は私のことを見習いの男の子だと思うと思う。なんなら髪を切ってもいいわ」
「それはだめです」
「どうかそればかりは」
二人がかりで止められた。
やがて、深く頭を下げる私たちに折れたのか、グレゴリーは掠れた声で言った。
「……わかりました。お力になれることを、嬉しく思います。ミストリオス公爵家には、長年、本当にお世話になりましたから」
店を出るとき、空はすでに夕暮れだった。王都の壮麗な街並みが、橙色に染まっていく。
あの異様な熱狂はなりをひそめ、人々は普通に見える。夕焼けはどこまでも美しかった。
「シド」
「はい」
「お父様とお母様、必ず助け出すわ」
「ええ」
「アリサの『祝典』が何なのか、それまでに調べないと」
「ベルナールに当たらせます。他の伝手も使いましょう」
私たちは、馬車に乗り込んだ。
夕暮れの中、ベルナール家へ戻る道を進みながら、私は膝の上で拳を握った。
三日前までは元気だった。大きな音がした。
その言葉が、頭の中で何度も繰り返されていた。
今は。
今は――どうなっているのだろう。
「お嬢様」
「なあに」
「危険なことに巻き込んで……」
「すみません、とか言ったらつねるわよ」
「……出自のこと、黙っていて、すみませんでした」
「もういいわ。でも、これからは隠し事はなしよ。ちゃんと全部話して」
「はい」
彼は頷いた。
「きっとそうします」




