12
王都の門は、思ったよりずっと人の出入りが多かった。旅から帰ってきた騎士、城壁の外に遊びに行くらしい子供、疲れた風情の行商人、みずぼらしい巡礼者らしい一団。
検問の兵士たちは通行証を軽く一瞥するだけで全員を通しており、思ったより緊張感がない。むしろなんというか――どこか弛緩した、たるんだ、間延びした空気がある。
私たちは商人の隊列に紛れ込んだ。シドは馬二頭と引き換えに、彼らに私を隠してくれるのを了承させた。
シドは布で顔を隠し御者席に。私は香辛料の樽を積んだ荷台の隅に。子供の頃の冒険ごっこみたいでちょっとワクワクしながら身を縮めて潜んだ。
「動かないでください。声も出さないで」
「分かってる」
木板の隙間から外を覗くと、検問所の様子が見えた。兵士の一人が商人と世間話をしているようだ。かろうじて聞き取れた会話の断片が私の耳に入り込んだ。
「それにしてもいい時代になりましたねえ」
商人がにこやかに揉み手する。
「ええ。なにもかも【宝石姫】様のおかげです」
そんな会話だった。
何の変哲もないただの会話のはずなのに、私は背筋が冷たくなった。
あっさりした検問を終え、がたごとと荷馬車が動き出す。王都の街並みが見えてくる。色んな種類の言葉が混じった雑踏は、私にとってはなじみ深いものだ。でも違う。私の知ってる音じゃない。と、最初に気づいたのは、音からだった。
王都は賑わっていた。在りし日のお忍びで歩いた街と似ている。でもなんだろう、その賑わいの質? 種類? 何かが決定的におかしかった。
人々の話し声、笑い声、商人たちの呼び込み。どれもこれもが不自然に明るい。それから喧嘩の声が聞こえない。平和なのだ。ひたすら平和だ。まるで、誰かが書いた台本をみんなで読み上げているような。
私は荷台の隙間から、街の様子を見つめた。広場の中央に見たことない大きな像が立っていた。等身大より一回り大きい。真新しく、まだ石の色も白い像だった。
膝をついて祈る姿の、少女の像。
台座に何か文字が刻まれている。私は目をすがめてそれを読んだ。
――我らを照らす光、歴代最高の【宝石姫】、アリサ・デュルマ姫
「ひょわ……」
変な声が漏れた。その像の前に佇み、立ったまま、あるいは跪いて祈りを捧げる人々の姿さえ見える。まるで本物の神様の像のように。多神教だから、新しい神が生まれ信仰されても不思議はない。でも、いきなり王都にこんな大きな像が立つなんて……。
「なんて立派な像なのかしら。この方はどんな功績を残したの? まだお若いようだけど」
と、ちょうど荷馬車の近くにいた若い女性が呟く。連れの男はわからない、と首を横に振った。
「【宝石姫】らしいが、これまでの【宝石姫】様でもこんな像は建てられなかった」
「何かよほどお力が強いとか?」
「いやだから、俺に言われても知らんて」
突然、跪いて祈っていた人が弾かれたように飛び上がり、二人に話しかける。
「こちらをご存じないんですか? アリサ様です。歴代で一番強い力を持ち、美しい、若いアリサ様ですよ! この方が王都に来てから、本当に何もかもが良くなりました」
「え、ええ?」
「そ。そうなんですか」
と戸惑う男女の旅人。わらわらと人々が集まってくる。老若男女、衣服もさまざまだが、皆一様に穏やかな笑顔なのが見てとれた。
「ええ、本当に。アリサ様はすごいんですよお」
「陛下のご不在も、不安に思わなくなりました」
「王妃様に似ています。いえ、今の王妃様じゃなくて前の……」
「いやいや、前王妃様よりアリサ様の方がお美しい」
「アリサ様がいらっしゃれば、なにもかも大丈夫です」
迷いの欠片もない信仰の声――。心の底からそう信じている者の声だ。こんなによどみなく、ハキハキと。
私は荷台の中で、自分の膝を抱える。
(こ、怖い)
いったいどうして、こんなことに? 王都の人々といったら流行を生み出す側だということに誇りがあって、おしゃれ好きで、貴族の対立をむしろ囃し立てるようなところがあって……そんな人々が、こんな短期間でこんな簡単におかしくなってしまうなんて。
「シドっ」
小さく彼を呼んだ。
御者台のシドが、かすかに頭を動かして応えた。
「分かってます。今は、何も言わないでください」
彼の声も硬く、肩は強張っていた。
広場を抜けようとしたところで、荷馬車が止まった。他の人たちも立ち止まる。どうやら前方に何かの行列が来て、通りを塞いでいるらしい。
「誰かしら? 大司教様? 大貴族?」
「お嬢様、伏せて」
シドの鋭い声に、私は樽の影に身を縮める。外の様子を見ようと荷台の隙間に鼻先を押し付けた。
白く飾り立てられた四頭の馬が引く、豪奢な馬車が通りを進んでくる。屋根はなく、華美な装飾が目に痛いほどだった。そこに座って手を振っているのは、栗色の髪の若い娘。まるでウエディングドレスのような膨らんだレースのドレスに、王妃のようなティアラを被っている。袖口、襟ぐり、そして髪の毛にたっぷりとキラキラする粉が振りかけられていた。
――アリサ・デュルマ。
その顔を見るのは何か月ぶりだろう。見た目は学園にいた頃と何も変わっていない。
愛らしい小さな顔に乗った天真爛漫な微笑み、潤んだ大きな瞳。華奢な身体つき。指に光る大粒のダイヤモンド。
いつの間にか道の両側に、人々が集まっていた。押し合い圧し合い、馬車を取り囲む。護衛騎士たちがいなければ彼らは屋根なし馬車によじ登ってアリサを抱きしめていただろうと、誰の目にも明らかだった。
「アリサ様だ!」
「アリサ様ぁ!」
「きゃー! 【宝石姫】様!」
「麗しのアリサ様!」
小さな子供たちが、馬車のあとを追って走る。ちゃんとした身なりの子もいたが、裸足の子も、ぼろを纏った子もいる。孤児院の子供たちだろう。
子供たちは皆、わき目もふらず走り走り、目を輝かせて馬車に両手を伸ばしている。仲間が転んでも一瞥もくれない。だ手を伸ばすだけで、何かが叶うと信じているような目だった。
「今日は、孤児院に慰問にいらっしゃるそうですよ」
近くにいた女が、誰に言うでもなくうっとりと呟いた。アリサが作った流行を追っているのか、耳たぶにキラキラの粉をつけている。
「本当に、お優しい方ですわよね……」
「ええ、本当に……」
「素晴らしいいいい……」
別の誰かが、まるで答えを合わせるように頷く。うんうんうん。人々は頷き合う。
皆、同じ目で。
同じ速度で首を振る。
アリの群れが飴に群がるように、馬車に付き従う。
「みなっさーん! あたしあたし! アリサが孤児院に慰問にいきまああーす!」
アリサが叫ぶと、きゃああああああっ、と歓声が上がる。
甘さを煮溶かして固めたみたいな声、慈愛を振り撒く聖女のような姿。
「みんな、あたしのこと好きーい?」
イエーーーーイ! みたいな声が、地鳴りじみて響いた。アイドルのライブみたい。野球やサッカーの試合みたい。おかしい。おかしよ、こんなの。どうして誰も気づかないの。
いや、気づかないんじゃない。建物の影から見ている者、二階の窓を閉める者など、少数ながらこの騒ぎに眉を顰める者もいる。でも数が少なすぎて、彼らの意見は誰からも耳を傾けられないのだ。
アリサの清廉潔白な美貌は、私の目にはひどく薄っぺらく見えた。綺麗な型の上に皮を一枚張っただけのように。
子供たちがきゃらきゃら笑う。大人たちが涙を浮かべる。みんな手を差し伸べてアリサを称える。
そして馬車は通り過ぎた。子供たちの最後の一人がそれを追いかけて見えなくなるまで、人々は興奮して早口に互いに話していた。
「あ、あれが」
私は御者席のところまでにじり寄って、囁く。
「あれが、アリサの……力?」
シドの声が短く返ってくる。
「おそらくは」
私たちは、確かに、この世にあってはならないものを見たのだ。
あの異様な熱狂。あの誰も疑わない目。
荷馬車が再び動き出す。大通りを通ったとき、私は思わず生家であるミストリオス公爵邸の方向を仰ぎ見た。
長く続く塀の向こうに見慣れた屋根の輪郭がある。あそこにはじいやがいて、ばあやがいる。侍女たちもいる。みんな元気かな。
近づけないのが歯がゆかった。あの屋敷が、使用人たちがどうなっているのか想像するだけで胸が苦しい。当主夫妻がいなくなり、保護者を失って大丈夫だろうか。
貴族街の途中で商人の一団とは別れた。
「噂に聞いていたがあれほどとは……」
と彼らも首を傾げていたから、アリサをめぐる人々のあの態度は、商人の目から見ても異常なのだろう。
私たちは貴族街を抜けたところ、その外れにある小さな屋敷の前でまで行った。シドは道を知っているみたいだった。
塀には蔓が絡み鉄扉は錆びている。古くさいが手入れの行き届いた屋敷である。門にかかる紋章は私の知らないものだった。
「ここは?」
「俺の知り合いの家です」
「ここの方の名前は」
「ベルナール家です」
「聞いたことのない家名ね」
「中小貴族ですから。表に出ることの少ない家です」
シドの口調は、いつもより固かった。――何か、私に隠そうとしているのだ。
でも、問い詰めても彼は話してくれないだろう。私はため息を押し殺し、シドの腕を取った。
「あなたの味方なのよね?」
「はい」
「じゃ、行きましょう」
みっちり筋肉が詰まった太い腕は私の手は掴み切れない。結局、シドの肘を掴んで自分から屋敷の鉄扉を開けた。
「あの、お嬢様。俺がします」
「あなたの伝手で尋ねたおうちなんだもの。どんなところか知りたいの。――ご主人様はどんな方? いい方? 悪い方? どっちでもいいわ。私、シドのこともっと知りたい」
「――お嬢様」
門の前で、シドは立ち止まり私の引っ張る腕に負けないでいる。紫色の目がちかちか光っていた。
「ベルナール家は王宮地下牢の牢番を代々務めている家です」
私は息を止めた。
「俺は、この家に……昔、世話になったことがあります」
「いつ?」
「お嬢様のところに来る前です」
そう言ってシドはやんわりと私を押しのけ、屋敷に向かって歩き出した。
私はその背中を見ながら、トコトコついていく。聞きたいことが、また一つ増えてしまった。
シドの過去。彼が知っている王都の裏側。私はまだ、何も知らないまま。でもいいんだ。私はシドと一緒にいたい。そう決めたから。
シドは屋敷の裏に回り、勝手口だろう扉をノックした。しばらく叩き続けていると、内側からがちゃりと開く。出てきたのは、白髪の老爺。
シドを見た瞬間、彼はヒュッと息を飲む。心臓が止まってしまわないかしらと私は心配になった。老爺の顔は驚きだけではなく、何かもっと深い感情で歪んでいた。
「……まさか」
老爺はそう呟いて、シドに深々と頭を下げた。膝をつくほどに深く。私はこのお辞儀を知っている。見たことがある王宮で、ルパートに対して頭を下げる侍従たちの仕草だ。
「お帰りなさいませ、殿下。永らくお待ちしておりました」
私は――その言葉の意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。
殿下?
今、このおじいちゃんシドのことを何て呼んだの?
「お、おい、よせ」
シドが慌てて老爺を立たせようとする。その声はいつもの彼とは違って、ちょっと弾んで若い気がした。
私はきょときょとと二人を交互に見つめる。何か大事なことを聞いた、気がする。




