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悪役令嬢をしなかったら冤罪で追放されたので、護衛騎士と一緒に王国をひっくり返します  作者: 重田いの


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 山岳地帯に育った馬は思った以上に速かった。夜の山道を、勝手知ったる様子でスイスイ進む。シドの手綱の握り方は迷いがなく、月明かりだけの道でも、まるで地図を持っているかのように的確だった。


「危なくない? こんな暗い中」

「黒鷲砦の連中が使ってる馬です。山道に慣れています」

「あなたも慣れてるみたいだけど」

「昔、ここで育ちましたから」


 何気なく返された言葉に、私は呆然とする。

「ここで? 昔、ここで育ったの?」

「はい」

「そんな、知らなかったわ……」


 シドはずっと、ミストリオス公爵家にいる前のことをほとんど話さなかった。お父様が連れてきた、それだけが私の知る全てだった。

 き、聞きたい。すごく。でもたぶんこれ以上話してくれない。また笑って誤魔化されるだろう。そんな雰囲気だ。


「だから黒鷲砦のこと、よく知ってるのね。あれ?――でも、バルトロメオ殿は私のこと取り返したシドのこと、知らない素振りだったわ」

「……ええ」


 歯切れが悪い。――何かまた、事情があるのだろうと察した。ミストリオス公爵家にいたときには感じなかった齟齬と距離を、今のシドとは感じる。悲しい。でも、これ以上踏み込まない方がいいだろう。


 今はただ、馬の振動を感じて、彼の馬を見失わないように手綱を握るだけ。

 そうして一晩をかけて、私たちは下山した。


 ふもとの村を避けて、街道からも外れて、とある森の中で私たちは休息を取った。横になる前は確かに夜明け前だったのだが、私が目を覚ましたとき、太陽はすでに高かった。


 森の中の小川のほとりの木陰。なんてのどかな……。まるでピクニックに来たみたい。私はあたふた起き上がる。

 シドは馬から降りて、水筒に水を汲んでいるところだった。


「すごい、寝てた」

「ええ。よく寝てましたよ」

「寝台じゃないところで寝たの、初めてよ」


 シドは少し辛そうな顔をする。私は慌てて言い添えた。

「起こしてくれたら手伝ったのに」

「いいえ、いいんです。水を汲んだだけですから――はい」


 そう言って、彼は水筒を私に差し出した。冷たい水が喉に染みる。気づけば飲み干していた。おかわりをしたかったけれど、あまり水を飲みすぎると乗馬でお腹が痛くなるという。不承不承、私は諦めた。


 木々の間から朝日が差し込み、鳥がさえずっている。

「ここはどこなの?」

「黒鷲砦から半日ほどの場所です。このまま北東へ進めば、十日ほどで王都の近郊に出られます」

「十日……」


 私は指を折って数えた。長い。

 でも、馬車で来た時よりはずっと早い。


「シド」

「はい」

「あなた、こういう野営に慣れてるのね」

「ええ。子供の頃に覚えました」

「お父様のところに来る前の話? それとも、黒鷲砦で育つ前の話? どんな子供だったの?」


 聞いてはいけない質問だったかもしれないけれど、聞かずにはいられなかった。昨夜、彼が初めて過去を見せてくれたから。もう少しだけ彼のことを知りたくなった。


 思えば昔の私はなんて失礼だったんだろう。ずっと護衛騎士として傍にいてくれた彼の生まれ育ちについてさえ、知ろうと思わなかったなんて。


 朝の風が彼の黒い前髪を揺らした。

「……あまり、覚えていません。覚えていたくないのかもしれません」

「ごめんなさい。もう聞かないわ」

「いいえ」


 シドは私の方を見た。紫色の目は微笑みの形に細められ、朝の光が反射していた。

「いつかきっと、お話しします。今はまだ」

「うん」


 私は頷いた。――聞くのも失礼だけど、聞かないのも失礼で、つまりこうやって人と関わると意図せずして人を傷つけることがある。久しぶりに、こういう失敗したといえる会話をした。

 自分がどうして悪者になるのがいやだったのか、思い出して辛かった。


 その日はほとんど馬の上で過ごした。

 休憩のたびに、シドは私に食べ物を分けてくれた。干し肉、固いパン、ベリーの保存食。


「硬いから気を付けて」

「うん」

 よく噛めば大丈夫だし、どれもこれも不思議と甘く、おいしく感じられた。


「お嬢様。足は痛くないですか?」

「ちょっと痛いけど、平気よ」

「無理しないでください。痛いなら言ってください」

「シドは? 痛くないの?」

「俺は鍛えてますから」

「私もこれくらいなら平気だもん」

「どうだか」


 そんな、たいして意味のない会話を繰り返しながら、二頭の馬は進んだ。


 道中、何度か他の旅人や商人とすれ違ったが、シドはその度に素知らぬ顔で世間話などするものだから、私はどきどきした。ちなみに私は絶対に口を開くな、無口な妹で通すからと厳命され、言われた通り貝のように黙っていた。


「お嬢様はいらんこと喋りますから」

 と言うシドに、何一つ言い返せないのが悔しかった。


 時折、街道を通って人に溶け込み、森の中を抜け、秘密の近道を抜け、目立たないようにしながら旅は続く。


 そろそろ王都に近づいてきたという頃、私たちは小さな洞窟で野営をした。焚き火を熾し、二人で並んで座る。硬いチーズが手に入ったので、炙ってパンに乗せると極上だった。食事を終えるともう寝ないといけない。それがわかっているのになかなか寝ようと言い出せない、不思議な時間。


 炎の明かりが、シドの完璧なかたちの顔に複雑な陰影をつくっていた。


「ところでシド、あのね」

「はい」

「出発の日のこと、覚えてる?」

「どれです?」


「私が泣いたこと」

 ああ、とシドは合点がいった声を出す。

「覚えています」

「あれ、忘れて」

「忘れません」


 即答である。

「な、なんでよ」

「お嬢様が俺のために泣いてくれたんです。忘れるなんて、できません」


 私は何も言えなくなって、焚き火の方を見た。炎が爆ぜる音が心地よい。うとうとしてしまう。

 でもだめだ。言わなくちゃ。


「シド」

「はい」

「あなたが、私のために死ぬ気だったってこと、本当に許せないから」


「……はい」

「もう絶対にしないで」

「努力します」

「努力じゃ駄目よ。約束して」


 シドは小さく笑った。

「分かりました。約束します」

「指切りしよう。小指出して」

「なんですか、それ?」

「いいから」

 そういえばこの世界に指切りはなかった、と気づきながらも、私は小指を差し出した。


 シドは戸惑いつつ自分の小指を出してきた。ごつごつした小指が私の細いばっかりで何もできない指に絡む。

「指切りげーんまん」

「お嬢様、それは何の儀式ですか」

「前世の、あ、えーと――じゃなくて、本で読んだ約束のおまじないよ。これをしたら、もう絶対に破れないの」

「随分強い儀式ですね」

「そうよ。だから、もう死ぬ気で何かするなんて言わないで。私のために死ぬって言ったのと同じなのよ、それは」


 炎の明かりの中で、彼の紫色のまなざしが私を捕らえる。

「死んでほしくないの。死なないで」

「努力します」

「努力じゃ駄目って言ったでしょ」

「努力、します」


 彼はほのかに微笑んでいた。とても寂しそうな、でも満足しきった人の死に顔みたいだった。


 私は怖くなって、やみくもに手をぶんぶん振った。小指が折れますよ、とシドが手をひっこめるまで。


 やがて王都の輪郭が、遠くの丘の向こうに見え始めた。協会の尖塔、城壁、巨大な王宮の影が、朝霞の中にうっすらと浮かんでいる。


 あの中で私は断罪された。

 地下には私の家族がいる。

 あのしょうもないルパート王子とアリサがいる。


 全部が、あのけぶる影の中にある。


「お嬢様」

 シドが馬を止めて、私を見た。


「……行きますよ。命の危険があるかもしれない。それでも」

「行くわ」

「わかりました。行きましょう」


 シドはそう言って馬の腹を軽く蹴った。

 断罪があった場所へ、すべてが始まった場所へ、私はこうして戻ってきた。



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