第七十七話 思わせぶりな恋心
昨日の真二の態度を思い浮かべながら。
未来は。
どこか憂鬱な気持ちのまま出社した。
――彬のことを気にしなくていい。
――俺の方が、未来のことを分かってる。
昨日。
レストランで言われた言葉が。
何度も頭の中に浮かんでは消える。
(……真二先輩。)
(昨日は、やっぱり少し変だったよね。)
けれど。
仕事が始まってしまえば。
そんなことを考えている余裕なんてなかった。
次から次へと。
確認しなければならない資料。
取引先からの連絡。
後輩たちからの質問。
気がつけば。
あっという間に時間が過ぎていた。
「未来先輩!」
時計を見ると。
すでに就業時刻になっていた。
「えっ。」
未来が驚いたように時計を見る。
「もう、こんな時間?」
すると。
近くにいた後輩が慌てて声をかけた。
「未来先輩は、まだ慣らし運転中なんですから!」
「残業は駄目です!」
「え?」
「残りの仕事は、私たちに任せてください!」
「でも。」
未来が申し訳なさそうに周囲を見る。
「まだ、途中の仕事も――」
「駄目です!」
別の後輩まで。
すかさず言葉を重ねる。
「無理して倒れたりしたら困ります!」
「先輩は、ちゃんと定時で帰ってください!」
「そうです!」
「今日はもう終わりです!」
未来は。
思わず苦笑した。
「……分かった。」
「じゃあ。」
「お言葉に甘えちゃおうかな。」
「はい!」
後輩たちが笑う。
未来も。
小さく笑いながら。
デスクの上を片づけ始めた。
昨日から。
ずっと気になっていた真二のことも。
忙しさの中で。
いつの間にか頭の隅へ追いやられていた。
そして。
バッグを手に取った時だった。
ふと。
視線を感じる。
顔を上げると。
少し離れた場所にいた美香と。
目が合った。
「あ。」
未来が笑う。
「美香ちゃんも、今日は定時?」
美香は。
少しだけ意味ありげに笑った。
「うん。」
「たまにはね。」
未来は首を傾げる。
「それなら、ロビーまで一緒に行こう。」
「うん。」
二人は並んで。
オフィスを出ようとした。
その時。
美香がバッグを肩に掛けながら。
どこか嬉しそうに言った。
「今日は。」
「これからデートなの。」
未来の手が。
ぴたりと止まった。
「……デート?」
「うん。」
美香は。
当たり前のことのように続ける。
「真二と。」
「……え?」
未来の表情が。
一瞬だけ固まった。
昨日の。
真二の顔が浮かぶ。
――美香のことは気にしなくていい。
――美香とは来ない。
――今、一緒にいるのは俺なんだよ。
未来は。
何も言えなかった。
美香は。
そんな未来の表情に気づいていないのか。
楽しそうに続ける。
「昨日も一緒にいたんだけどね。」
(昨日?)
(私を彬のところへ帰したあと。)
(真二先輩、美香ちゃんとも会ってたんだ。)
昨日。
真二の思わせぶりな態度に。
あんなに振り回されて。
あんなにモヤモヤしていた自分が。
急に馬鹿みたいに思えた。
「今日は。」
「ちゃんと時間を取ってくれるみたい。」
「……そうなんだ。」
ようやく。
未来は笑った。
「よかったね。」
けれど。
その笑顔は。
少しだけぎこちなかった。
「うん!」
美香は嬉しそうに頷く。
「未来も。」
「今から彬さんが迎えに来るの?」
「……うん。」
「愛されてるんだね。」
美香が笑う。
「結婚する時には呼んでね。」
未来は。
その言葉に。
一瞬だけ戸惑った。
「結婚って。」
「二人、とてもお似合いだよ。」
「早く結婚したほうがいいよ。」
「ふふ。」
美香は。
どこか意味ありげに笑った。
「今は記憶をなくしたばかりで。」
未来は。
困ったように笑う。
「それどころじゃないよ。」
すると。
美香の表情が。
ほんの少しだけ変わった。
「でも。」
「曖昧な態度は可哀想だよ。」
「……え?」
「彬さんのこと。」
「もっと考えてあげなよ。」
未来は。
少し驚いたように美香を見る。
「真二と出掛ける時間があるなら。」
「彬さんのことも大切にしてあげたら?」
「……。」
未来は。
何も答えられなかった。
昨日。
自分から真二を誘ったわけではない。
けれど。
美香は。
昨日のことを快く思っていない。
そのことを。
未来は今になって。
美香の言葉に含まれた小さな棘から。
ようやく理解した。
――昨日。
真二先輩は。
私と食事をして。
今日は。
美香ちゃんとデートをする。
昨日。
あれほど自分との時間を求めていたのに。
今日は。
何事もなかったかのように美香と出掛ける。
(……何なの。)
胸の奥に。
もやもやとした感情が広がっていく。
怒っている。
そうなのかもしれない。
けれど。
なぜ自分が怒っているのか。
未来自身にも。
よく分からなかった。
記憶がない自分には。
真二を責める理由なんてないはずなのに。
まるで。
二人の女性を。
都合よく振り回しているような真二の態度に。
どうしようもない不快感を覚えてしまう。
「未来?」
「……あ。」
美香に呼ばれ。
未来は顔を上げる。
「ごめん。」
「何でもない。」
「そう?」
「うん。」
未来は。
無理に笑った。
「美香ちゃん。」
「デート、楽しんできてね。」
「ありがとう!」
美香は。
嬉しそうに手を振る。
「未来もね!」
そう言って。
美香は先にオフィスを出て行った。
一人残された未来は。
しばらく。
その背中を見つめていた。
「……。」
未来は。
小さく息を吐く。
「真二先輩って……。」
少し考えてから。
小さく呟いた。
「女たらしなのかな。」
誰に聞かせるでもなく。
そう呟く。
そして。
スマートフォンを取り出した。
画面には。
彬からのメッセージが届いていた。
『もうすぐ終わるか?』
『買い物、済ませておいたから。今から向かう!』
その文字を見た瞬間。
未来の表情が。
少しだけ柔らかくなる。
『今、終わったよ。』
そう返信すると。
未来は。
スマートフォンを胸元で握りしめた。
昨日。
真二の言葉に。
あれほど振り回されたのに。
今日。
こうして。
変わらず迎えに来てくれる彬の存在に。
未来は。
少しだけ。
ほっとしている自分に気づいた。
「……。」
けれど。
胸の奥には。
昨日の真二の言葉と。
これから美香とデートをするという事実が。
まだ。
小さな違和感として。
引っかかり続けていた。
ここまで、お読み下さりありがとうございます。
結局。
思わせぶりが1番罪ですよね。
美香は美香。
未来は未来で、それぞれの話し合いが始まりますね!




