第七十五話 嘘に嘘を
未来の家の前に車を止めると。
彬はエンジンを切った。
「送ってくれてありがとう。」
未来がシートベルトを外しながら笑う。
「今日も助かったよ。」
「……ああ。」
彬は短く答えた。
けれど。
未来が車を降りようとした、その時だった。
「未来。」
「ん?」
彬が呼び止める。
未来が振り返った瞬間。
彬は。
自然と未来を抱き寄せていた。
「……彬?」
突然のことに。
未来の体が僅かに固まる。
けれど。
彬はすぐには離れなかった。
未来の温もりを確かめるように。
静かに。
腕の中へ抱きしめる。
「……悪い。」
「え?」
「いや。」
彬は未来の肩に顔を伏せたまま。
小さく息を吐いた。
「少しだけ。」
「このままでいさせて。」
未来は。
何も言わなかった。
ただ。
彬の背中に。
そっと手を置いた。
「……うん。」
その優しさが。
今の彬には。
余計に苦しかった。
――もし。
明日。
真二が美香に別れを告げる。
そして。
未来にすべてを話したら。
本当は。
未来と真二が付き合っていたという事実を。
未来が知ったら。
どうなる。
未来は。
俺を軽蔑するだろうか。
真二の嘘に付き合い。
恋人のふりをして。
何も知らない未来の隣にいた自分を。
責めるのだろうか。
――最低だって。
そう思われても。
仕方がない。
未来との。
何気ない会話の間にも。
彬はずっと。
そんなことばかり考えていた。
答えなんて。
どこにも出ない。
未来が記憶を取り戻したら。
今までの時間は。
全部、嘘だったことになるのか。
今。
自分がこうして未来を抱きしめていることも。
未来にとっては。
許されないことになるのだろうか。
「彬?」
未来が。
心配そうに名前を呼ぶ。
彬は。
ゆっくりと腕の力を緩めた。
「……ごめん。」
「急にどうしたの?」
未来は不思議そうに彬を見る。
彬は。
少しだけ困ったように笑った。
「何でもない。」
「何でもない顔じゃないよ。」
「そうか?」
「うん。」
未来は。
彬の顔をじっと見つめる。
その真っ直ぐな視線から。
彬は思わず目を逸らした。
――言えるわけがない。
お前が知らない。
この二年間のことを。
俺が。
真二の嘘に加担していたことを。
そして。
今になって。
お前を手放したくないと思っていることを。
「……未来。」
「うん?」
彬は。
何かを言いかけて。
けれど。
最後には何も言えなかった。
「今日はもう、ゆっくり休め。」
「うん。」
未来は笑う。
「彬もね。」
そして。
車のドアを開けた。
「おやすみ。」
「……ああ。」
「おやすみ。」
未来が車を降りる。
家の前で。
もう一度だけ振り返る。
「今日はありがとう。」
そう言って笑った未来に。
彬も小さく手を上げた。
「朝、迎えに来るから。」
未来が家の中へ入っていく。
その姿が見えなくなってからも。
彬は。
すぐには車を発進させなかった。
ハンドルを握ったまま。
明るくなった未来の家を見つめる。
「……明日。」
小さく呟く。
「全部、変わるかもしれないな。」
真二が。
すべてを話すかもしれない。
未来が。
真二を選ぶかもしれない。
そして。
自分のことを。
もう二度と信用してくれなくなるかもしれない。
それでも。
彬は目を閉じた。
「……それでも。」
誰もいない車の中で。
静かに呟く。
「俺は。」
「もう、お前を手放せない。」
ここまでお読み下さり、ありがとうございます。
いよいよ明日、真二は美香に伝えるのでしょうか?
とても複雑になってきていますが、
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