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曖昧な記憶の、その隣で  作者: はる乃


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第七十話 間違い

就業時間とともに。


未来のスマートフォンが鳴った。


画面に表示された名前を見て、未来は少しだけ首を傾げる。


――真二先輩。


「未来、少しいいか?」


短いメッセージ。


未来はすぐに返事をすると、社長室へ向かった。


コンコン。


「失礼します。」


「入って。」


未来が扉を開ける。


「先輩、お呼びですか?」


「ああ。」


真二はデスクから顔を上げた。


そして。


未来の姿を見て、少しだけ表情を緩める。


「今日は大変だったろう?」


「大丈夫だったか?」


「あ、はい!」


未来は笑顔で頷く。


「皆さんがフォローしてくれて。」


「なんとか、やっていけそうです!」


「そうか。」


「はい。」


未来は少し照れくさそうに笑う。


「会社にも。」


そして。


「先輩にも迷惑をかけないように、頑張りますね!」


「……。」


その言葉に。


真二の表情が、わずかに曇った。


「未来。」


「はい?」


「そんな、よそよそしいこと言わないでくれ。」


「……え?」


未来が目を瞬かせる。


真二は少し迷うように視線を逸らした。


以前なら。


こんな言葉を言う必要なんてなかった。


未来はいつも。


自分のすぐ隣にいた。


けれど。


今は違う。


「迷惑なんて思ってない。」


「それに……。」


真二は未来を見る。


「今日は久しぶりに、一緒に食事でもしよう。」


「え?」


未来の表情が、少し困ったように変わる。


「そんな。」


「先輩、私なんかのために。」


「大丈夫です!」


「いや。」


真二は、すぐに言った。


「俺が、そうしたいんだ。」


「……。」


未来は少し驚いたように真二を見る。


真二は続けた。


「いつも一緒に食べに行っていたレストランも。」


「もう予約してある。」


「……え?」


未来の表情が固まる。


「先輩と私……。」


「よく食事してたんですか?」


「ああ。」


真二は静かに答えた。


「仕事の帰り。」

「週末や休日にも。」


「未来と、よく行った。」


未来は少し戸惑ったように視線を落とす。


自分は。


何も覚えていない。


けれど。


真二先輩とは、とても仲が良かったのだ。

彬が感じていた淋しさの原因って。


「……でも。」


未来は申し訳なさそうに顔を上げる。


「今日。」


「彬が迎えに来てくれるんです。」


真二の表情が、一瞬止まった。


「……彬が?」


「はい。」


未来は何気なく答える。


「足もまだ完全じゃないから。」


「しばらく、送り迎えしてくれるって。」


真二は黙り込んだ。


以前なら。


未来の帰る場所は。


自分のところだった。


仕事が終われば。


二人で食事をして。


一緒に帰ることもあった。


けれど。


今の未来は。


当たり前のように。


彬が迎えに来ることを待っている。


その事実が。


真二の胸を締めつけた。


「……少しくらい。」


真二が苛立ちを隠し静かに口を開く。


「時間を作れないか?」


未来が顔を上げる。


「俺は。」


そこで。


真二は言葉を止めた。


――俺は、未来の恋人なんだ。


そう言いたかった。


けれど。


それを言えば。


未来はどう思うだろう。


先ずは美香と別れなければならない。


順番を間違えるわけにはいかない。


「……先輩?」


「ああ。」


真二は、小さく息を吐いた。


「いや。」


「社長としても、今後の事も話したい。」


少しだけ笑う。


「昔の未来が好きだった店だから。」


「記憶が戻るキッカケになるかもしれない。」


その言葉に。


未来の心が揺れる。


「……私が?」


「ああ。」


「未来が好きだった。」


未来は少し考え込む。


自分の知らない。


過去の自分。


何が好きだったのか。


どんな場所で。


誰と笑っていたのか。


知りたい気持ちはある。


けれど――。


(彬、待ってるかな。)


朝。


一緒に朝ごはんを食べて。


会社まで送ってくれた彬。


「帰りも迎えに来る。」


そう言っていた。


未来は申し訳なさそうに真二を見る。


「……分かりました。」


真二の顔が明るくなる。


「ああ。」


未来は笑った。


「でも。」


「彬には、ちゃんと連絡します。」


その言葉に。


真二の表情が固くなる。


「……そうか。」


「はい。」


未来はスマートフォンを取り出した。


そして。


何の迷いもなく。


彬の名前を開く。


真二は、その様子を黙って見つめていた。


未来の指が、慣れた様子で画面を操作する。


『彬、ごめんね。』


『先輩に食事に誘われちゃって。』


少し考えてから。


未来は、もう一度文字を打った。


『昔、よく行ってたお店なんだって。』


『もしかしたら、何か思い出すきっかけになるかもしれないから。』


そして。


『今日は先輩と行ってもいい?』


送信。


その画面を見つめながら。


未来は、どこか申し訳なさそうに小さく息を吐いた。


「……そんなに、気を遣わなくても。」


真二がぽつりと呟く。


「え?」


未来が顔を上げる。


「いや。」


真二はすぐに視線を逸らした。


「彬に許可を取る必要なんてないだろ。」


未来は少し首を傾げる。


「許可じゃないですよ。」


「……。」


「迎えに来てくれるって言ってたから。」


「待ってるかもしれないし。」


「真二先輩は美香ちゃんと約束してたら、同じ事しませんか?」


「……そうだな。」


真二は、それだけ答えた。


けれど。


胸の奥が、ひどくざわついていた。


以前なら。


未来が仕事を終えたあと。

食事に行く相手は自分しか居なかった。


なのに今は。


未来は自分と食事に行くために。


彬へ連絡をしている。


まるで。


彬が――。


未来にとって一番近い存在であるかのように。


ピロン。


未来のスマートフォンが鳴った。


「あ。」


画面を見た未来の表情が、ふっと緩む。


真二の視線が。


無意識に、その表情を追ってしまう。


『分かった。』


『楽しんでこい。』


短い返信。


その下に。


もう一つ。


『帰る時、連絡しろ。迎えに行く。』


未来は、その文字を見つめる。


そして。


自然と笑った。


『うん!ありがとう!』


真二は。


そのやり取りを見ながら。


ゆっくりと目を伏せた。


「……ずいぶん、仲がいいんだな。」


「え?」


未来が顔を上げる。


「あ……。」


少しだけ頬を赤くする。


「はい。とても良くしてくれてます。」


「……そうか。」


「記憶がなくなってから。」


未来はスマートフォンを胸の前で握る。


「ずっと一緒にいてくれて。」


「何も分からない私に。」


「いろんなことを教えてくれて。」


少しだけ笑う。


「だから……。」


そこで。


未来は言葉を止めた。


「だから?」


真二が尋ねる。


未来は困ったように笑う。


「彬といると、安心するんです。」


その言葉に。


真二の表情が固まった。


「……安心。」


「はい。」


未来は気づかない。


その一言が。


真二の胸を、どれほど深く刺したのか。


「そうか。」


真二は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「じゃあ、行こうか。」


「はい。」


未来も立ち上がる。


そして。


二人は社長室を出た。


けれど。


真二の頭の中には。


未来の笑顔が。


何度も浮かんでいた。


――彬といると、安心するだと?


(……くそ。)


真二は、強く拳を握りしめた。


自分が蒔いた種だ。


分かっている。


分かっているからこそ。


余計に腹が立った。


「……。」


以前。


未来がそんな顔で笑う相手は。


自分だったはずなのに。


いつからだろう。


未来の一番近くにいるはずだった自分が。


少しずつ。


未来から遠ざかっている。


こんなの間違っている。

真二の「自分が蒔いた種だ」という自覚と、

それでも彬に未来を奪われていくことへの苛立ち。


かなり展開が面白くなってきましたが、

真二は、この先どうしていくのでしょうか?

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