第六十四話 大切にされるのは
「思ってたより、
落ち着いたお店が近場にあって良かったな!」
店内を見渡しながら、未来が嬉しそうに笑う。
「うん。」
「こういうお店が近くにあるなら、
これからちょくちょく来たいな。」
運ばれてきた料理を前に、未来の表情が明るくなる。
「ねえ、彬。」
「ん?」
未来はスプーンですくったオムレツを一口食べる。
「これ、美味しい!」
「そうか?」
「うん!」
もう一口食べてから、未来が彬を見る。
「彬も一口食べてみて。」
「俺が?」
「うん。」
「この味、お家で再現できるかな?」
彬は少し驚いたように未来を見る。
「家で作る気か?」
「だって、美味しいんだもん。」
「それに……。」
未来は少し照れながら笑う。
「一緒に作るの楽しそうだなって。」
彬は小さく息を吐き、笑った。
「じゃあ、今度挑戦してみるか。」
「本当?」
「ああ。」
「料理は俺も手伝う。」
「じゃあ、私は味見担当!」
「それ、一番楽なやつだろ。」
「ふふっ。冗談だよ!勿論、腕を振るわせてもらうよ!」
そんな、たわいのない会話が続く。
料理の味の話。
近所にどんな店があるのか。
新しい部屋に何を置こうか。
これからの生活を、
二人で少しずつ想像するような時間。
それは未来にとって、
とても穏やかで心地よいものだった。
けれど。
しばらくして。
彬が、ふと箸を置いた。
「……未来。」
「ん?」
「俺の会社で働かないか?」
未来の手が止まる。
「え?」
彬は未来の反応を見ながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「前から思ってたんだ。」
「真二の会社で、残業続きだっただろ。」
「いつも青白い顔してた。」
「……。」
未来は少し驚いたように彬を見る。
「そんなに……?」
「ああ。」
「仕事が大変なのは分かってる。」
「未来が仕事を頑張ってたことも。」
「でも……。」
彬は少し言葉を選ぶ。
「真二には怒られるかもしれないけど。」
「足も大分良くなったとはいえ、まだ完全じゃない。」
「無理してほしくないんだよ。」
未来は黙って彬の話を聞いている。
彬は続けた。
「うちなら、少なくとも今までみたいに無理をさせるつもりはない。」
「仕事の内容も、未来に合わせて考えられる。」
「もちろん、すぐに決めろとは言わない。」
「ただ……。」
彬は未来を真っ直ぐ見る。
「未来が安心して働ける場所を、
俺が用意できるなら。」
「そうしたいと思ってる。」
未来はしばらく黙っていた。
そして、少し困ったように笑う。
「……考えすぎだよ。」
「それに、記憶を無くした私に、
どんな仕事があるのかも分からないけど。」
少し考えてから、未来は続けた。
「でも、過去の私を知るためにも。」
「先輩のところに戻って、
しばらく働こうと思ってる。」
彬は何も言わず、未来を見つめた。
そして、ふっと苦笑する。
「未来らしいよ。」
「……そう?」
「ああ。」
彬は頷く。
「自分で確かめたいんだろ?」
「過去の自分が、どんな仕事をして。」
「どんな毎日を過ごしていたのか。」
「うん。」
未来は小さく頷いた。
「ちゃんと知りたい。」
彬はそんな未来を見て、少しだけ寂しそうに笑った。
「分かった。」
「俺は止めない。」
「ただ……。」
彬は真剣な目で未来を見る。
「無理だけはするな。」
「辛くなったら、いつでも俺の会社に来て。」
「……うん。」
「約束な。」
未来は少し照れながら笑った。
「分かった。」
その言葉に。
彬はようやく安心したように笑った。
未来の胸にも、
ほんの少しだけ温かいものが広がっていく。
仕事のことを心配してくれること。
自分の選択を尊重してくれること。
そして――。
いつでも受け入れてくれると言ってくれること。
それが今の未来には、とても嬉しかった。
「未来、俺も仕事を調整するから。」
「しばらくは、行き帰りは俺に任せてくれないか?」
未来は驚いたように目を丸くする。
「え?」
「毎日じゃなくてもいい。」
「でも、できるだけ俺が送るし、迎えにも行く。」
「彬は社長でしょ!」
未来は少し困ったように笑う。
「忙しいのも分かってるから、無理させたくないよ。」
「それに……。」
少し考えてから、未来は続ける。
「私のために、
そんなに時間を使わせるのも申し訳ないし。」
彬はそんな未来を見て、小さく笑った。
「社長だからこそ、
自分の時間くらい自分で調整できる。」
「それに。」
少しだけ間を置く。
「未来を送ったり迎えに行ったりするくらいで、
仕事が回らなくなるような会社にはしてないよ。」
「……。」
未来は思わず笑ってしまう。
「なんか、ずるい。」
「何が?」
「そんなこと言われたら、断れないじゃない。」
「じゃあ、決まりだな。」
彬は嬉しそうに笑った。
「無理だと思った日は、
ちゃんと言ってくれればいい。」
「うん。」
未来は頷く。
「じゃあ……お願いします。」
「任せろ。」
彬は満足そうに頷いた。
未来はそんな彬を見ながら、ふと思う。
(私……。)
(こんなふうに誰かに大切にしてもらうのって、
久しぶりな気がして仕方ない。)
記憶にはない。
けれど。
彬が自分のために時間を作ろうとしてくれることが、
素直に嬉しかった。
そして――。
明日からまた、過去の自分がいた場所へ戻る。
そこには、記憶を失う前の自分を知る人たちがいる。
真二も。
美香も。
そして、自分が忘れてしまった二年間も。
少し怖い。
それでも。
今の自分を必要としてくれる人が側に居てくれる。
そう思えるだけで。
未来の胸には、不思議な安心感があった。
これから、未来は真二の居る会社に戻るので。
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