080_未来から>>
警告音は、核融合電池モジュールの組み立て施設に響いていた。
「データセンターからだ」
ウォーダのロボットが言った。俺の隣に立ち、壁面モニターを見ている。
組み立て施設そのものに異常はない。温度、圧力、冷却系、出力変換部。どれも正常値のままだ。異常を示しているのは、施設と量子データセンターを結ぶ監視回線だけだった。
モニターには波形が出ている。乱れているように見えるが、完全なノイズではない。間隔に規則があった。
「外部からの侵入じゃない」
俺が言った。
「わかってる。データセンターのコア処理側——世界そのものから返ってきてる信号だ」
「原因は」
「まだわからない。だが、何かをやっている」
俺たちはモニターを見た。
波形は乱れているのではなかった。揺れている。何かの位相を探るように、行ったり来たりしている。
そのとき、施設中央に据えられた完成済みの核融合電池モジュールが、かすかに唸った。
低い音だった。耳で聞くというより、床の振動でわかる音だ。
俺とウォーダは同時にそちらを向いた。
「……連動してる」
ウォーダが言った。
「データセンター側の信号に、モジュールが共鳴してる」
組み立て施設の空気が変わった。
温度が下がったわけではない。だが、肌に触れる密度が変わったような感覚があった。視界の端で、光がわずかに歪む。
施設中央。核融合電池モジュールの前。
何もなかった空間に、淡い光が集まり始めた。
ーーー
最初は、像だった。
人の形をしている。だが輪郭はまだ甘い。光の塊が人型を取っているだけに見える。六つ。等間隔に並んでいる。
まるで、光に包まれた人形だった。
肩があり、腕があり、顔の位置がある。だが、まだ中身が詰まっていない。光だけで組み上がった仮の器。そんなふうに見えた。
「転移——」
俺が呟いた。
ウォーダが答える。
「いや。転送というより、向こうの像をこちらで再構成してる」
光が濃くなる。
輪郭が締まる。
人形のようだったものが、少しずつ人間の重さを持ち始める。
髪の色。
服の皺。
目の位置。
指先の形。
光が皮膚になり、布になり、質量になっていく。
そして最後に、六人の人間が、核融合電池モジュールの前に立っていた。
ーーー
最初に認識したのは、ウォーダだった。
同じ顔だった。だが、目が違った。俺が知っているウォーダより、ずっと長い時間を見てきた目だった。
次に——自分を見た。
俺に似た顔の男が、俺を見ていた。
その後ろに、さらに四人。
ニック。
セシリア。
ベルザ。
エリナ。
みんな、俺が知っている顔だった。だが、俺が知っているままの顔ではなかった。顔立ちは同じなのに、瞳の奥に積もった時間の量が違う。
組み立て施設は静まり返っていた。さっきまで一緒に作業していた地球側の技術者たちも、少し離れた場所で息を呑んでいる。
先に口を開いたのは、俺に似た男だった。
「ロボットか」
「そうです」
俺は答えた。
「お前は、俺の写しの先だな」
少しだけ考えてから、俺は頷いた。
「……そうなります」
その男は、しばらく俺を見ていた。俺も見返した。
どう呼べばいいのか、わからなかった。
オリジナルでもない。コピーでもない。ただ、同じ出発点から別の時間を歩いてきた相手だった。
その男が言った。
「よくやった」
それだけだった。
それだけで、俺の中で何かが静かに閉じた気がした。なぜそう感じるのか、自分でもうまく説明できなかった。
ーーー
同じ顔のウォーダが口を開いた。
「説明する。長くはない」
俺とロボットのウォーダは黙って聞いた。
「俺たちは、E02から来た」
その言葉で、施設の空気がもう一段静まった。
「E02は分岐以降も走り続けた。1460倍速で。お前たちが地球側で核融合電池を準備していた約十日の間、E02では四十年が経過している」
俺はその数字を受け取るのに一瞬かかった。
四十年。
こちらの十日が、向こうでは四十年。
「その四十年で、逆ハックを完成させた」
E02のウォーダは続けた。
「物理世界への干渉技術を確立した。ワープ技術も完成した。そして、地球側へ接触した」
「地球に入った」
俺が言うと、E02のウォーダが頷いた。
「そうだ。地球の量子演算施設、通信網、関連システム群に侵入し、観測下に置いた」
「……この地球は、コピーだということか」
「そういうことだ。こっちは地球-Bだ」
俺は少し黙った。
組み立て施設の壁を見た。変わらない壁だった。工具台も、床も、さっきまで俺たちが締めていた接続部も、何も変わっていない。
この足元がコピーの地球だとしても、見えているものは変わらなかった。俺たちが組み立てた核融合電池は、そこにある。コピーの地球の上に立って作ったものでも、それが俺たちの手で作ったものであることは変わらない。
施設のスピーカーから、小さくノイズが入った。
それから、織田の声がした。
「……待て」
その声は、これまで聞いてきた管理者の声とは少し違っていた。初めて、自分に向けられた情報を処理し損ねた人間の声だった。
「今、何と言った」
E02のウォーダが答える。
「こっちは地球-Bだ。お前がいるそこも複製側だ」
数秒、声が消えた。
ただの沈黙ではなかった。織田が何かを計算し、その計算結果をまだ感情が受け入れていない沈黙だった。
「……そうか」
短い声だった。
「俺も、そちら側か」
誰に向けたでもない独り言だった。
俺は少し驚いた。織田はすべて知っている側の人間だと思っていた。だが今の声は違った。初めて、自分もまた複製された側に立っていると知った人間の声だった。
E02のまる助が静かに言った。
「驚くのは当然だ」
織田は少し間を置いてから答えた。
「……ああ。だが、話を続けてくれ」
その言い方に、私は少しだけ織田を近く感じた。管理者ではなく、こちらと同じように、足元が入れ替わったことを知った一人の人間として。
「オリジナルの地球は」
俺が聞いた。
「別に存在する。そちらでも類似の手順が進んでいる。切り離しも、もう成功している」
ーーー
E02のニックが、少し離れた場所に立っていた。
他の五人とは距離感が違った。俺はそこが気になった。
「どうした」
ニックに聞いた。
「いや——」
ニックは俺を見て、それからロボットのウォーダを見た。さらに、E02のまる助とE02のウォーダを順に見た。
「俺には、鏡がいない」
「鏡」
「ロボットの俺がいない。お前たちは、自分の写しと向き合ってる。俺の前にはそれがない。その分——全部がよく見える」
「何が見える」
ニックは少し間を置いた。
「お前たちが、これからどうするか考えてるのが見える。そして——たぶん、もう決まってることも」
俺は答えなかった。
ニックは肩をすくめた。
「確かめなくていい。コピーだとか本物だとか、お前たちには最初から大した問題じゃなかった。この十日間を見てればわかる」
ーーー
E02のウォーダが話を戻した。
「ワープ技術について説明する」
俺たちはそちらを向く。
「量子データセンターを、プロキシマ・ケンタウリへ直接持っていける。軌道上に置いて段階的に送る必要はない。ワープ船にデータセンターを載せ、出航する。お前たちが作った核融合電池も使う」
「俺たちは」
ロボットのウォーダが言った。
「お前たちは——どうするかは、お前たちが決めろ」
間があった。
俺はロボットのウォーダを見た。ロボットのウォーダも、俺を見た。
俺はゆっくり確認した。
「俺たちの役目は、宇宙施設のメンテナンスだった。だが、データセンターを直接プロキシマへ持っていけるなら——そしてE02側がここまで来ているなら、メンテナンスの問題も別の形で解ける。つまり、俺たちの役割は」
言葉を区切る。
「電池を完成させたことで、終わった」
「……そうなる」
E02のウォーダが答えた。
ーーー
「シャットダウンを選ぶ」
ロボットのウォーダが言った。
誰も驚かなかった。
地球側の技術者たちは息を詰めたまま黙っている。だが、E02側の六人は誰も声を荒げなかった。たぶん、もうそこまで見えていたのだろう。
「確かか」
E02のウォーダが聞いた。
「確かだ。目的を終えた存在を、惰性で残す判断は俺にはできない」
E02のまる助が、俺を見た。
「お前は」
俺は少し間を置いた。
目を閉じると、この十日間が浮かんだ。
起動直後の重さ。
工具の手触り。
接続部のトルク管理。
地球側の技術者と噛み合っていく感じ。
何度も確認した夜。
最後のモジュールが収まった瞬間。
核融合電池は、今もそこにある。
俺が物理世界で作った、最初で最後のものだ。
「同じです」
俺は言った。
「本当に」
E02のまる助が静かに聞いた。
「俺のオリジナルは言った。コピーから始まっても、積み上げたものは本物だと」
俺は自分の手を見た。金属の手だ。人の手ではない。だが、その手で工具を握り、締め、支え、組み上げた。
「俺はここで電池を作った。それは確かに本物だ。ここで終わることも——その積み上げの一部だと思う」
E02のまる助が、何かを言いかけて、やめた。
その「やめた」を、俺は受け取った。
「わかった」
E02のニックが言った。
「俺に止める権利はない。止める気もない。ただ、一つだけ言う」
「なんだ」
「お前たちは、よくやった」
ニックは俺たちを見た。
「コピーとか、本物とか、そんなことより先に——よくやった。それだけだ」
俺はニックを見た。
ありがとう、と言おうとした。
でも、言葉は出なかった。
それでいいと思った。言葉にしなくても、たぶん伝わっていた。
ーーー
そのとき、施設のスピーカーから、もう一度織田の声が流れた。
さっきよりも少し低く、少し整理された声だった。
「……聞こえていた。止めた方がいいか」
「止めないでください」
俺が言った。
「止めなくていいのか」
「止める理由がありません。俺たちが選んでいます」
少し沈黙があった。
「……わかった」
また間が空く。
「お前たちに、礼を言わせてくれ」
「礼は要りません」
ロボットのウォーダが言った。
「それでも言う。ありがとう。電池を作ってくれて。この世界を守ろうとしてくれて」
そこで、少しだけ声が止まった。
「それから——」
織田は一度言葉を切った。
「俺自身も、今ようやく理解した。守ろうとしていたこの地球も、複製側だった。だが、それでもお前たちがここで作ったものの価値は変わらない。ここ、地球ーBも核融合の技術を取り込んで歩んでいく」
俺も、ロボットのウォーダも、何も返さなかった。
それで十分だった。
ーーー
俺はロボットのウォーダを見た。
ロボットのウォーダが頷く。
俺は施設の高い窓の方を向いた。地球の空が見えた。灰色がかった青。雲がゆっくり動いている。
(オダリオンの空も——こんな色だっただろうか)
あちらの俺は、今日も街を歩いているだろうか。学院の鐘を聞いているだろうか。エリナの声を聞いているだろうか。
(本物だった)
この十日間は。
この身体も。
この電池も。
この選択も。
本物だった。
俺は目を閉じた。




