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異世界は超加速シミュレーション  作者: まる助
第8章「方舟」
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079_ロボット起動>>

最初に感じたのは、鈍さだった。


動こうとした。腕は動いた。だが、ほんのわずかに遅れる。


意識と身体のあいだに、薄い膜が一枚あるような感覚だった。オダリオンの身体では、一度も感じたことがない。


(これが、ロボットの身体か)


俺――ロボットまる助は、ゆっくり首を動かした。


白い部屋。低い天井。無駄のない壁。床は金属。少し離れた場所に、三人の人間が立っていた。全員、白い作業服を着ている。


「聞こえるか」


スピーカー越しに声がした。男の声。少し硬い。


俺は声の方向を向いた。


「……聞こえます」


出てきたのは、たしかに俺の声だった。ただし少し違う。金属とソフトウェアを経由した、乾いた声だ。それが俺の声かと思うと、少し奇妙だった。


「状態はどうだ。センサーに異常は」


内部診断を走らせる。視覚。聴覚。関節駆動。触覚センサー。異常なし。


「問題ありません。ただ——身体が、思ったより重い」


「ロボットの自重だ。オダリオンの身体とは素材も構造も違う」


「わかります。でも、こんなに違うとは思いませんでした」


スピーカーの向こうで、誰かが小さく息を呑んだ気配があった。


「慣れるか」


「慣れます。たぶん」


そう答えながら、俺は自分の指を見た。銀灰色の外装。関節は人の形に近いが、皮膚はない。手を握る。開く。遅れはある。だが動く。


思った通りではない。けれど、思った方向には動く。


それだけで十分だった。


ーーー


隣で、ウォーダのロボットが起動した。


俺はそちらを向いた。


ウォーダのロボットは目を開け、室内を一巡り見てから、最後に俺を見た。


「起動した」


「ああ」


「動きが鈍いな」


「お前もか」


「ああ。想定より鈍い」


二人で少し黙った。


同じ部屋にいる。同じ制約を持つ身体に入っている。だが、俺たちはそれぞれ別の躯体だ。


(これが、地球側の身体か)


オダリオンの身体も動いた。歩いた。走った。疲れた。だが、あちらは意識とほぼ同期していた。考えたことが、そのまま動作になった。


こちらは違う。意図と動作のあいだに、わずかな待ち時間がある。身体が、俺の思い通りの速度では動いてくれない。


「立てるか」


技術者の一人が言った。


俺はゆっくり立ち上がった。


重心を取るのに、一瞬かかった。踏ん張る、という動作を、この身体に覚えさせる必要があった。


「——動けます」


ウォーダも立ち上がっていた。俺より少し早く、少し安定している。さすがだと思った。


「視界はどうだ」


「問題ない」


「触覚は」


俺は机の縁に指先を触れさせた。硬い。冷たい。だが、その先にある材質の違いはわかる。


「あります。ただ、人間より整理されすぎてる感じがする」


「整理?」


「硬さと温度が、数字に近い」


技術者たちが少し顔を見合わせた。俺はそれ以上説明しなかった。うまく言葉にできなかったからだ。


ーーー


最初の三日間は、施設の構造を頭に入れることに使った。


量子データセンターの配置。整備通路の幅。搬送ラインの経路。格納庫。工具棚。非常用電源。緊急遮断手順。冷却系統の迂回ルート。


記憶するだけなら早い。俺たちには、その点で人間より有利な部分がある。だが、図面を覚えることと、実際に歩いて身体に覚えさせることは別だった。


地図を読むことと、道を歩くことが違うのと同じだ。


四日目から、核融合電池モジュールの組み立てが始まった。


設計図はすでにオダリオン側から地球へ送ってある。光回路を用いた制御系の概念図、磁場閉じ込め系の設計思想、モジュール分割の理由、冗長化の考え方。必要な図面と注釈は、織田経由で地球側の技術チームに渡してあった。


地球の技術者たちは、その図面を元に部品を製作し、加工し、ここまで運び込んでいる。


つまり、今からやるのは「俺たちだけの作業」ではない。


俺たちが考えた設計を、地球の技術者たちと一緒に、物理の側へ落とし込む作業だ。


組立室には、俺たちのほかに五人の技術者がいた。年配の機械屋が一人。若い制御系の技術者が二人。溶接担当と検査担当が一人ずつ。


中央の作業台には、核融合電池モジュールの一次ユニットが並んでいた。


円筒状の本体。制御層。冷却系。出力変換部。まだ分割された部品のままだが、図面通りなら、これがオダリオンを支える電源になる。


「まず磁場閉じ込め補助リングを固定する」


ウォーダが言った。


技術者の一人が頷く。


「位置決め治具は設計図通りに作ってある。ただ、公差がきつい。最終調整は現場合わせになる」


「そこはこっちで見る」


ウォーダが答える。


「固定は私たちがやります」


年配の技術者が言った。


「制御系の接続順序は、確認しながら進めたい」


「わかりました」


俺が答えた。


「順番を間違えると、あとで全体の位相がずれます。仮組みの時点で一度、信号系だけ流して確認しましょう」


言いながら、自分で少し妙な気分になった。


地球の技術者に、俺が地球では未完成の技術の組み立て手順を指示している。


だが、事実はその通りだった。


ーーー


最初の作業は、思ったより遅かった。


原因は二つあった。


一つは、ロボットの身体にまだ慣れていないこと。もう一つは、地球側の技術者たちも、この設計思想にまだ身体レベルでは慣れていないことだ。


「接続部のトルク、強すぎます」


俺が言うと、溶接担当の男が手を止めた。


「これでもか」


「これだと熱膨張で歪みます。ここは締め切る場所じゃなくて、逃がす場所です」


男が少し眉を上げた。


「逃がす、か」


「オダリオン側の設計は、全部を固める発想じゃないんです。ここは揺らぎを前提にしてます」


男は数秒、図面と部品を見比べたあと、短く言った。


「……なるほど。やってみる」


その横で、若い技術者が制御線を持ち上げた。


「こっちの信号線、指定長より少し長く取ってある。問題ないか」


俺は図面を照合した。


「問題ありません。ただし束ね方は変えてください。隣接干渉が出ます」


「理由は」


「光制御層の反射ノイズです。地球側の回路なら無視できても、こっちは拾います」


若い技術者が、少し口元を引き締めた。


「わかった」


会話は淡々としていた。だが、互いに試している感じがあった。相手の理解の深さを測りながら、少しずつ歩幅を合わせていく感じだ。


俺たちは設計思想を持っている。

地球の技術者たちは、加工精度と現場経験を持っている。


どちらが欠けても、組み上がらない。


そのことは、作業を始めて二時間でよくわかった。


ーーー


七日目の夜。


その日の組み立てを終えたあと、施設の通信端末に着信が入った。オダリオン側——織田の呼び方で言えば、E02-Bの俺からだった。


「調子はどうだ」


画面の向こうの俺が言う。


俺は少し考えてから答えた。


「慣れてきた。この身体にも、工具の扱いにも、地球の技術者たちとのやり方にも」


「進捗は」


「六割を超えた。構造体は見えてきた。あとは制御系と最終調整だ」


「そうか」


少し間があった。


「一つ聞いていいか」


「なんだ」


「身体の感覚は——どんな感じだ」


俺は少し考えた。


「最初は、思い通りに動かなかった。意識と動作の間にラグがある。今はだいぶ慣れた。ただ、オダリオンの身体は、考えたことがそのまま動作になっていた。こちらは違う。一回、身体を通る」


「身体を通る」


「そうだ。常に、自分が物質の中にいると意識する」


向こうの俺が少し黙った。


「……そうか」


「なんだ」


「いや。言い方が、俺っぽいなと思っただけだ」


「当然だろう」


一拍置いて、向こうが聞いた。


「孤独か」


俺はしばらく考えた。


「今はまだ、わからない。ウォーダがいる。やることもある。地球の技術者たちもいる。孤独を考える暇がない」


少し間を置いて、続けた。


「……ただ、向こうに残してきたものがある。学院とか街とか、そういう話だけじゃない」


「例えば?」


俺は少しだけ迷った。


「エリナとか」


向こうの俺が黙る。


「一緒になる未来も、あったのかもしれない。たまに、そう思う」


「……ああ」


少しの沈黙。


「電池、頼んだぞ」


「ああ。任された」


通信が切れたあと、俺はしばらく暗くなった画面を見ていた。


向こうにいる俺は、もう少し先へ進んでいる。こちらは、別の場所で別の手を動かしている。


同じ出発点から、ずいぶん離れたものだと思った。


ーーー


十日目の朝。


最後のモジュールを接続した。


地球側の技術者が固定を確認し、検査担当が数値を読み上げる。ウォーダが制御系の整合を見て、俺が出力変換部の最終チェックをした。


「接続部、全点正常」

「冷却系、リークなし」

「光制御層、応答遅延、設計値内」

「出力変換部、安定」


最後に、ウォーダが短く言った。


「全系統、問題なし。起動条件を満たした」


組立室が静かになった。


俺は完成した核融合電池モジュールを見た。


これが、オダリオンを動かす電力になる。


オダリオンで生まれた理論が、図面になり、通信で地球へ送られ、地球の技術者たちの手で部品になり、今ここで、俺たちと一緒に実装された。


変な話だと思った。


異世界で生まれた技術が、地球の現実の金属の中に立ち上がっている。


だが、悪くなかった。


むしろ、こういう形で繋がるのかと思った。


「報告する」


年配の技術者が端末に向かった。


「核融合電池モジュール、組立完了。初期検査、全項目クリア」


俺は施設の窓から外を見た。


地球の空だった。灰色がかった青。雲がゆっくり流れている。オダリオンの空とは、少し色が違う。


そのとき、施設のアラートが鳴った。


鋭い警告音。


モニターには、異常を示すシグナルが立ち上がっていた。

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