079_ロボット起動>>
最初に感じたのは、鈍さだった。
動こうとした。腕は動いた。だが、ほんのわずかに遅れる。
意識と身体のあいだに、薄い膜が一枚あるような感覚だった。オダリオンの身体では、一度も感じたことがない。
(これが、ロボットの身体か)
俺――ロボットまる助は、ゆっくり首を動かした。
白い部屋。低い天井。無駄のない壁。床は金属。少し離れた場所に、三人の人間が立っていた。全員、白い作業服を着ている。
「聞こえるか」
スピーカー越しに声がした。男の声。少し硬い。
俺は声の方向を向いた。
「……聞こえます」
出てきたのは、たしかに俺の声だった。ただし少し違う。金属とソフトウェアを経由した、乾いた声だ。それが俺の声かと思うと、少し奇妙だった。
「状態はどうだ。センサーに異常は」
内部診断を走らせる。視覚。聴覚。関節駆動。触覚センサー。異常なし。
「問題ありません。ただ——身体が、思ったより重い」
「ロボットの自重だ。オダリオンの身体とは素材も構造も違う」
「わかります。でも、こんなに違うとは思いませんでした」
スピーカーの向こうで、誰かが小さく息を呑んだ気配があった。
「慣れるか」
「慣れます。たぶん」
そう答えながら、俺は自分の指を見た。銀灰色の外装。関節は人の形に近いが、皮膚はない。手を握る。開く。遅れはある。だが動く。
思った通りではない。けれど、思った方向には動く。
それだけで十分だった。
ーーー
隣で、ウォーダのロボットが起動した。
俺はそちらを向いた。
ウォーダのロボットは目を開け、室内を一巡り見てから、最後に俺を見た。
「起動した」
「ああ」
「動きが鈍いな」
「お前もか」
「ああ。想定より鈍い」
二人で少し黙った。
同じ部屋にいる。同じ制約を持つ身体に入っている。だが、俺たちはそれぞれ別の躯体だ。
(これが、地球側の身体か)
オダリオンの身体も動いた。歩いた。走った。疲れた。だが、あちらは意識とほぼ同期していた。考えたことが、そのまま動作になった。
こちらは違う。意図と動作のあいだに、わずかな待ち時間がある。身体が、俺の思い通りの速度では動いてくれない。
「立てるか」
技術者の一人が言った。
俺はゆっくり立ち上がった。
重心を取るのに、一瞬かかった。踏ん張る、という動作を、この身体に覚えさせる必要があった。
「——動けます」
ウォーダも立ち上がっていた。俺より少し早く、少し安定している。さすがだと思った。
「視界はどうだ」
「問題ない」
「触覚は」
俺は机の縁に指先を触れさせた。硬い。冷たい。だが、その先にある材質の違いはわかる。
「あります。ただ、人間より整理されすぎてる感じがする」
「整理?」
「硬さと温度が、数字に近い」
技術者たちが少し顔を見合わせた。俺はそれ以上説明しなかった。うまく言葉にできなかったからだ。
ーーー
最初の三日間は、施設の構造を頭に入れることに使った。
量子データセンターの配置。整備通路の幅。搬送ラインの経路。格納庫。工具棚。非常用電源。緊急遮断手順。冷却系統の迂回ルート。
記憶するだけなら早い。俺たちには、その点で人間より有利な部分がある。だが、図面を覚えることと、実際に歩いて身体に覚えさせることは別だった。
地図を読むことと、道を歩くことが違うのと同じだ。
四日目から、核融合電池モジュールの組み立てが始まった。
設計図はすでにオダリオン側から地球へ送ってある。光回路を用いた制御系の概念図、磁場閉じ込め系の設計思想、モジュール分割の理由、冗長化の考え方。必要な図面と注釈は、織田経由で地球側の技術チームに渡してあった。
地球の技術者たちは、その図面を元に部品を製作し、加工し、ここまで運び込んでいる。
つまり、今からやるのは「俺たちだけの作業」ではない。
俺たちが考えた設計を、地球の技術者たちと一緒に、物理の側へ落とし込む作業だ。
組立室には、俺たちのほかに五人の技術者がいた。年配の機械屋が一人。若い制御系の技術者が二人。溶接担当と検査担当が一人ずつ。
中央の作業台には、核融合電池モジュールの一次ユニットが並んでいた。
円筒状の本体。制御層。冷却系。出力変換部。まだ分割された部品のままだが、図面通りなら、これがオダリオンを支える電源になる。
「まず磁場閉じ込め補助リングを固定する」
ウォーダが言った。
技術者の一人が頷く。
「位置決め治具は設計図通りに作ってある。ただ、公差がきつい。最終調整は現場合わせになる」
「そこはこっちで見る」
ウォーダが答える。
「固定は私たちがやります」
年配の技術者が言った。
「制御系の接続順序は、確認しながら進めたい」
「わかりました」
俺が答えた。
「順番を間違えると、あとで全体の位相がずれます。仮組みの時点で一度、信号系だけ流して確認しましょう」
言いながら、自分で少し妙な気分になった。
地球の技術者に、俺が地球では未完成の技術の組み立て手順を指示している。
だが、事実はその通りだった。
ーーー
最初の作業は、思ったより遅かった。
原因は二つあった。
一つは、ロボットの身体にまだ慣れていないこと。もう一つは、地球側の技術者たちも、この設計思想にまだ身体レベルでは慣れていないことだ。
「接続部のトルク、強すぎます」
俺が言うと、溶接担当の男が手を止めた。
「これでもか」
「これだと熱膨張で歪みます。ここは締め切る場所じゃなくて、逃がす場所です」
男が少し眉を上げた。
「逃がす、か」
「オダリオン側の設計は、全部を固める発想じゃないんです。ここは揺らぎを前提にしてます」
男は数秒、図面と部品を見比べたあと、短く言った。
「……なるほど。やってみる」
その横で、若い技術者が制御線を持ち上げた。
「こっちの信号線、指定長より少し長く取ってある。問題ないか」
俺は図面を照合した。
「問題ありません。ただし束ね方は変えてください。隣接干渉が出ます」
「理由は」
「光制御層の反射ノイズです。地球側の回路なら無視できても、こっちは拾います」
若い技術者が、少し口元を引き締めた。
「わかった」
会話は淡々としていた。だが、互いに試している感じがあった。相手の理解の深さを測りながら、少しずつ歩幅を合わせていく感じだ。
俺たちは設計思想を持っている。
地球の技術者たちは、加工精度と現場経験を持っている。
どちらが欠けても、組み上がらない。
そのことは、作業を始めて二時間でよくわかった。
ーーー
七日目の夜。
その日の組み立てを終えたあと、施設の通信端末に着信が入った。オダリオン側——織田の呼び方で言えば、E02-Bの俺からだった。
「調子はどうだ」
画面の向こうの俺が言う。
俺は少し考えてから答えた。
「慣れてきた。この身体にも、工具の扱いにも、地球の技術者たちとのやり方にも」
「進捗は」
「六割を超えた。構造体は見えてきた。あとは制御系と最終調整だ」
「そうか」
少し間があった。
「一つ聞いていいか」
「なんだ」
「身体の感覚は——どんな感じだ」
俺は少し考えた。
「最初は、思い通りに動かなかった。意識と動作の間にラグがある。今はだいぶ慣れた。ただ、オダリオンの身体は、考えたことがそのまま動作になっていた。こちらは違う。一回、身体を通る」
「身体を通る」
「そうだ。常に、自分が物質の中にいると意識する」
向こうの俺が少し黙った。
「……そうか」
「なんだ」
「いや。言い方が、俺っぽいなと思っただけだ」
「当然だろう」
一拍置いて、向こうが聞いた。
「孤独か」
俺はしばらく考えた。
「今はまだ、わからない。ウォーダがいる。やることもある。地球の技術者たちもいる。孤独を考える暇がない」
少し間を置いて、続けた。
「……ただ、向こうに残してきたものがある。学院とか街とか、そういう話だけじゃない」
「例えば?」
俺は少しだけ迷った。
「エリナとか」
向こうの俺が黙る。
「一緒になる未来も、あったのかもしれない。たまに、そう思う」
「……ああ」
少しの沈黙。
「電池、頼んだぞ」
「ああ。任された」
通信が切れたあと、俺はしばらく暗くなった画面を見ていた。
向こうにいる俺は、もう少し先へ進んでいる。こちらは、別の場所で別の手を動かしている。
同じ出発点から、ずいぶん離れたものだと思った。
ーーー
十日目の朝。
最後のモジュールを接続した。
地球側の技術者が固定を確認し、検査担当が数値を読み上げる。ウォーダが制御系の整合を見て、俺が出力変換部の最終チェックをした。
「接続部、全点正常」
「冷却系、リークなし」
「光制御層、応答遅延、設計値内」
「出力変換部、安定」
最後に、ウォーダが短く言った。
「全系統、問題なし。起動条件を満たした」
組立室が静かになった。
俺は完成した核融合電池モジュールを見た。
これが、オダリオンを動かす電力になる。
オダリオンで生まれた理論が、図面になり、通信で地球へ送られ、地球の技術者たちの手で部品になり、今ここで、俺たちと一緒に実装された。
変な話だと思った。
異世界で生まれた技術が、地球の現実の金属の中に立ち上がっている。
だが、悪くなかった。
むしろ、こういう形で繋がるのかと思った。
「報告する」
年配の技術者が端末に向かった。
「核融合電池モジュール、組立完了。初期検査、全項目クリア」
俺は施設の窓から外を見た。
地球の空だった。灰色がかった青。雲がゆっくり流れている。オダリオンの空とは、少し色が違う。
そのとき、施設のアラートが鳴った。
鋭い警告音。
モニターには、異常を示すシグナルが立ち上がっていた。




