078_もう一人の俺>>
翌朝、ウォーダが研究室に来た。
俺はまだ、昨夜から考えていたことの続きの中にいた。タブレットの画面を見るふりをしながら、実際には何も見ていない。頭の中では、宇宙施設、メンテナンス、孤独、その三つの単語だけが何度も回っていた。
ウォーダは椅子を引いて向かいに座ると、前置きなしに言った。
「考えた」
「俺もだ」
「先に言う」
「どうぞ」
ウォーダは短く息を吐いた。
「俺たちのコピーを作る。地球側のロボットの体に、俺たちの人格データを実装する。そのロボットが宇宙施設のメンテナンスを担当する」
俺は少し間を置いた。
「……俺も同じことを考えていた」
ウォーダが俺を見た。
「そうか」
「そうだ」
それきり、しばらく二人とも何も言わなかった。
ーーー
「整理する」
俺が言った。
「コピーされた俺とウォーダは、今の俺たちと同じ人格データから出発する。起動直後は、ほぼ同じことを考えるはずだ。だが、その後は別の経験を積む。別の時間を過ごす。そうなれば——もう別人だ」
「そうなる」
「宇宙施設で、二人で、メンテナンスを続ける。通信はできる。だが頻繁には無理だ。時差もある。向こうには向こうの仕事がある。こっちにはこっちの世界がある」
「そうなる」
「孤独だ」
ウォーダが、ゆっくり息を吐いた。
「そうだ」
俺はウォーダの顔を見た。
昨夜ずっと考えていたのは、そこだった。コピーを作る技術的な問題ではない。コピーされた俺が目を開けたとき、何を思うかという問いだった。
俺は今、ここにいる。学院がある。ゴルドがいて、エリナがいて、街の鐘が聞こえる。市場の声が聞こえる。その記憶と人格を切り取った存在が、宇宙で目を覚ます。手の届かない場所で。戻れない場所で。
俺が、自分にそれを課せるのか。
「できるのか」
声に出ていた。ウォーダを見ながら言っていた。
「お前は——コピーの自分に、それを頼めるか」
ウォーダは少し考えてから答えた。
「頼む、という言葉が正しいのかはわからない」
「じゃあ、何だ」
「分岐だ」
俺は黙って続きを待った。
「俺たちはもともと、誰かの人格データから出発した。そこからここまで来た。今ここで積み上げてきたものは、もう俺たちのものだ。コピーの俺も同じだ。宇宙で積み上げたものは——そいつのものになる」
俺はその言葉を、ゆっくり受け取った。
「……孤独に耐えられると思うか」
「わからない」
ウォーダが俺を見る。
「ただ、俺たちと同じように考えるなら——同じように意味を見つけると思う。俺たちがここで見つけてきたように」
それ以上でも、以下でもない言葉だった。
反論はなかった。できなかった。
「……他に方法がない」
「ない」
「なら、合理的に決まりだな」
ーーー
その日の午後、織田に通信した。
時間速度は昨夜のまま落とされたままだ。通信チャネルを開くと、すぐに向こうと繋がった。
「人格コピー用のロボットを二体、用意してほしい」
俺が言った。
「俺とウォーダの分だ。そのロボットたちに宇宙施設のメンテナンスを任せる」
少し沈黙があった。
「……確かなのか」
「確かです」
「人間を送ることが難しいなら、知性を持ったロボットを送るしかない。その知性を俺たちが用意するとしたら、俺たち自身のコピーが一番確実だ」
「コピーされた存在が、長期間——おそらく非常に長い時間を、孤立した環境で過ごすことになる。それは——」
「覚悟の上だ」
ウォーダが遮るように言った。
しばらく、織田は何も言わなかった。
「……覚悟できるのか。本当に」
「コピーの俺たちが俺たちと同じように考えるなら、同じように覚悟できる。同じように考えないなら、俺たちのコピーではない」
また間があった。今度は、さっきより長かった。
「わかった。ロボットを用意する」
少しだけ間が空いた。
「ただ、一つ——先に伝えておかなければならないことがある」
「なんですか」
「お前たちがいる世界。E02-Bは、俺がオダリオンE02をコピーして作った」
俺は、その言葉をすぐには理解できなかった。
「……コピー」
「お前たちに接触する前に、俺はオリジナルのE02を丸ごと複製した。人格データ、文明の蓄積、技術記録、その時点の記憶も含めてだ。お前たちは、その複製側にいる」
沈黙が落ちた。
俺はその言葉を、少し時間をかけて受け取った。
(つまり——俺は、E02のコピーだ)
「E02のまる助は、今も生きているんですか」
「生きている」
「E02の時間倍率は、1460倍のままですか」
「変えていない」
俺は少し計算した。
昨夜から今朝まで。こちらでは、まだ一日も経っていない。だが、向こうでは——
言葉にならなかった。
ウォーダが口を開いた。
「なぜ今、話す」
「お前たちがコピーを作ると覚悟を決めた。そのコピーが目を覚ます前に、知っておいてほしかった」
織田の声は静かだった。
「自分たちが何をしようとしているのか。それを、自分自身の問題として考えられる状態でいてほしかった」
しばらく、誰も何も言わなかった。
「怒っているか」
織田が聞いた。
俺は少し考えてから答えた。
「怒る資格がありません。俺はここで生きてきた。それは変わらない。そして俺も自分のコピーを作ろうとしている」
「……そうか」
「ただ、驚いています」
「それは当然だ」
「でも、話してくれてよかった」
少し間を置いて、俺は続けた。
「俺たちがこれから作ろうとしている存在に、一番近いのは、たぶん今の俺たちです」
通話の向こうで、織田が何も言わなかった。
その沈黙は、肯定にも聞こえたし、反論できないという沈黙にも聞こえた。
「ありがとうは、こちらの言葉です」
俺は言った。
「話してくれて」
通話が終わった。
タブレットの画面が暗くなる。
ーーー
「聞いたか」
ウォーダが言った。
「ああ」
しばらく、二人とも何も言わなかった。
「衝撃の事実だな。この世界は、E02のコピーだとさ」
ウォーダが言った。問いというより、独り言に近かった。
「いつのまに、だな」
「そうだな」
ウォーダが小さく頷いた。
「だが、妙に納得もした」
「何が」
「コピーの俺に宇宙施設を任せる、という話をしていたら、その前に自分たちがコピーだったと教えられた。衝撃だが、理屈としては綺麗すぎる」
俺は少しだけ笑った。
「たしかにな」
「E02の俺と、ここの俺。起動時点では同じだった。だが今は違う」
「違うな」
「なら、宇宙施設に行くコピーも同じだ。起動時点では俺だが、少し経てば俺ではなくなる」
「そうなる」
また沈黙が落ちた。
だが、さっきまでの沈黙とは少し違っていた。
この世界がコピーだと知った衝撃は大きい。だが同時に、それは奇妙な形で俺たちの結論を補強してもいた。コピーから始まっても、生は本物になる。積み重ねた時間は消えない。
「……E02の俺は、今ごろ何をしてるんだろうな」
気づくと、口から出ていた。
ウォーダが答えるまで少し間があった。
「たぶん、俺たちよりずっと先を考えてる」
「そうかもしれない」
「時間倍率が違う。向こうは、もう別の景色を見てる」
俺は頷いた。
ここでの一日が、向こうでは長い時間になる。
俺たちがまだコピーを作るかどうかで立ち止まっていたあいだに、E02の俺たちは、もっと先へ進んでいる。あるいは、もう答えに辿り着いているのかもしれない。
その距離の大きさが、今さら現実味を持って胸に落ちてきた。
「それでも」
俺は言った。
「こっちはこっちで決めるしかない」
「ああ」
ウォーダが立ち上がった。
「俺たちは、ここで生きていく」
それだけ言って、窓の方へ歩いていった。
俺は一人、しばらく椅子に座ったままでいた。
もう一人の俺がいる。
しかも、今この瞬間にも、自分とは違う時間を進んでいる。
奇妙な話だった。だが、不思議と空虚ではなかった。
あちらがオリジナルで、こちらがコピーだとしても、これまで積み上げてきた時間は消えない。ゴルドの講義も、エリナの声も、セシリアの横顔も、ニックの馬鹿笑いも、俺の中に残っている。それは借り物の記憶ではなく、ここで生きた記憶だ。
だからたぶん、これから作られる「もう一人の俺」も同じなのだろう。
最初は俺でも、すぐに俺ではなくなる。
そして、そいつの時間を生きる。
そう考えると、昨夜から胸に引っかかっていたものが、少しだけ言葉になった。
怖かったのだ。
自分のコピーに、宇宙の孤独を押しつけることが。
だが今は、少し違う。
押しつけるのではない。
分かれていくのだ。
同じ出発点から、別の場所へ。
俺はタブレットを開いた。淡い光を放つ美しい画面に、自分の顔がぼんやり映った。
E02の俺も、どこかで同じように考えているだろうか。
少しだけ、会ってみたいと思った。




