077_方舟の設計図>>
「電源を切られない場所に、お前たちの世界を置く」
織田が言った。
音声通話はまだ続いている。だが、さっきまでとは空気が違った。ただの接触ではない。ここから先は、提案ではなく設計の話だ。
「具体的には」
ウォーダが聞いた。
「宇宙空間だ。量子データセンターを地球から切り離し、独立したシステムとして宇宙に置く。地球の政府にも、電力会社にも、企業にも——どの組織にも依存しない場所に」
俺は少し考えてから言った。
「地球に何かあったとき、のためですか」
「そうだ。今は俺が管理している。だが俺はいつか死ぬ。資金が尽きるかもしれない。政争で研究所が閉鎖されるかもしれない。電力インフラが攻撃を受けるかもしれない。可能性を挙げればきりがない。地球に置いている限り、この世界は地球の事情から切り離せない」
「宇宙に置けば、誰の管轄にもならない」
ウォーダが言った。
「少なくとも、地上の都合では止められなくなる」
「そうなる」
織田は続けた。
「そして、そのためにお前たちに協力してほしいことがある。技術的な協力だ」
「俺たちに」
「ウォーダ——お前の世界が確立した核融合の方式がある。光回路を使った、魔法を使わない純粋技術の核融合だ。原理の骨格は地球側の研究と同じだが、到達の仕方が違う。俺たちはまだそこに届いていない。お前たちの方式を、こちらで実装したい」
ウォーダが黙った。
俺もすぐには言葉が出なかった。
(……逆輸入だ)
この世界で生まれた技術を、地球に渡す。しかも、それはただの技術供与じゃない。俺たち自身の世界を生かすための電源になる。
「お前たちが作ったもので、お前たちの世界の電源を確保する。それが俺の提案だ」
俺は少し間を置いてから聞いた。
「切り離しの過程で、オダリオンの住人に影響は出ますか」
「出さない。段階的な移行で進める。住人には何も感知できない。体感としては、何も変わらない」
言い切った。その言い方に、織田がこの案を何度も頭の中で検討してきたことがにじんでいた。
ーーー
「もう一つ、確認させてください」
「なんだ」
「プロキシマ・ケンタウリに向かうという目標は——今も変わっていないんですね」
「ああ。変わっていない。宇宙への進出が最初のステップだ。軌道上に安定した施設を確立してから、次の話をする」
「順番がある、ということですね」
「そうだ。焦っても意味がない」
ウォーダが言った。
「一つだけ聞いていいか」
「なんだ」
「設備を宇宙に置いたとして——誰が維持する。機械は劣化する。故障もする。ハードウェアには必ずメンテナンスが要る。人間を常駐させるのか」
織田はすぐには答えなかった。
沈黙が落ちる。
「……それが、まだ解決できていない問題だ」
ようやく返ってきた声は、さっきまでより少し低かった。
「宇宙空間での長期常駐は、人間にとって過酷だ。心理的な負担が大きい。ローテーションを組んでも、コストと人材確保の問題が残る。適した人間を選び続けること自体が、長くは持たない」
「技術の問題だけじゃない、ということか」
ウォーダが言う。
「そうだ」
織田は少し間を置いた。
「倫理の問題でもある。自分が設計した世界を守るために、別の誰かに孤独を引き受けさせることに——抵抗がある」
その言葉のあと、三人とも黙った。
俺も、ウォーダも、何も言わなかった。
正しさだけで押し切れない話だとわかったからだ。
世界を守る。そのために、別の誰かの人生を狭い宇宙施設に縛りつける。理屈は通る。だが、通ることと受け入れられることは違う。
「答えが出なければ、また話し合おう」
織田が言った。
「ただ、核融合の技術提供については——前向きに考えてほしい」
「わかりました」
俺が答える。
「もう一つ」
織田が続けた。
「データセンターの移設をいつ行うか。それはまだ決めていない。お前たちの準備が整ってから、一緒に決める。急がせるつもりはない」
続けて、織田が言った。
「検討のあいだは、そちらの時間速度も今のまま落としておく。通信のたびに合わせ直す必要はない。地球側の都合で、お前たちが判断を急ぐ必要もない」
「……わかった」
そこで通話は切れた。
タブレットの画面が暗くなる。
ーーー
しばらく、俺たちは黙っていた。
中庭の光が差し込んでいる。外からは市場のざわめきが聞こえる。学院の鐘も鳴った。世界はいつも通りに動いている。だが俺たちだけが、今までと違う話を聞いた。
「技術提供には同意するか」
ウォーダが聞いた。
「当然だろう。電源オフの問題が解決に向かう」
「そうだな」
「問題はメンテナンスだ」
「そうだ」
俺はウォーダを見た。
「お前、さっき何か考えていただろう」
ウォーダは少し間を置いた。
「考えていた」
「言えないか」
「まだ整理できていない」
「俺も、考えていることがある」
ウォーダがこちらを見る。
「明日、話そう」
「ああ」
ウォーダは立ち上がり、窓際まで歩いた。
外では、街の人々が今日も動いていた。荷車が通る。市場の声が上がる。学院の鐘がまた鳴る。
(この世界が、宇宙に移る)
その言葉だけが、頭の中で何度も反響していた。
宇宙へ行くのは、データセンターだ。住人は気づかない。世界の体験は何も変わらない。朝は来る。人は働く。誰かが誰かを好きになる。子どもが生まれ、老いて、死ぬ。その手触りは変わらない。
変わるのは——置かれている場所だけだ。
どこかの宇宙空間に、この世界が浮かぶ。地球から切り離され、誰にも依存しない場所に置かれる。
(それは、いいことだ)
たぶん、いいことだ。理屈ではそう思う。
それでも、俺はまだ完全には頷けなかった。
引っかかっているものがある。メンテナンスの問題だけじゃない。もっと別の、言葉になりきらない何かだ。
その夜、俺は長いこと眠れなかった。
何が引っかかっているのか、自分でもうまく言葉にできなかった。




