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異世界は超加速シミュレーション  作者: まる助
第8章「方舟」
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077_方舟の設計図>>

「電源を切られない場所に、お前たちの世界を置く」


織田が言った。


音声通話はまだ続いている。だが、さっきまでとは空気が違った。ただの接触ではない。ここから先は、提案ではなく設計の話だ。


「具体的には」


ウォーダが聞いた。


「宇宙空間だ。量子データセンターを地球から切り離し、独立したシステムとして宇宙に置く。地球の政府にも、電力会社にも、企業にも——どの組織にも依存しない場所に」


俺は少し考えてから言った。


「地球に何かあったとき、のためですか」


「そうだ。今は俺が管理している。だが俺はいつか死ぬ。資金が尽きるかもしれない。政争で研究所が閉鎖されるかもしれない。電力インフラが攻撃を受けるかもしれない。可能性を挙げればきりがない。地球に置いている限り、この世界は地球の事情から切り離せない」


「宇宙に置けば、誰の管轄にもならない」


ウォーダが言った。


「少なくとも、地上の都合では止められなくなる」


「そうなる」


織田は続けた。


「そして、そのためにお前たちに協力してほしいことがある。技術的な協力だ」


「俺たちに」


「ウォーダ——お前の世界が確立した核融合の方式がある。光回路を使った、魔法を使わない純粋技術の核融合だ。原理の骨格は地球側の研究と同じだが、到達の仕方が違う。俺たちはまだそこに届いていない。お前たちの方式を、こちらで実装したい」


ウォーダが黙った。


俺もすぐには言葉が出なかった。


(……逆輸入だ)


この世界で生まれた技術を、地球に渡す。しかも、それはただの技術供与じゃない。俺たち自身の世界を生かすための電源になる。


「お前たちが作ったもので、お前たちの世界の電源を確保する。それが俺の提案だ」


俺は少し間を置いてから聞いた。


「切り離しの過程で、オダリオンの住人に影響は出ますか」


「出さない。段階的な移行で進める。住人には何も感知できない。体感としては、何も変わらない」


言い切った。その言い方に、織田がこの案を何度も頭の中で検討してきたことがにじんでいた。


ーーー


「もう一つ、確認させてください」


「なんだ」


「プロキシマ・ケンタウリに向かうという目標は——今も変わっていないんですね」


「ああ。変わっていない。宇宙への進出が最初のステップだ。軌道上に安定した施設を確立してから、次の話をする」


「順番がある、ということですね」


「そうだ。焦っても意味がない」


ウォーダが言った。


「一つだけ聞いていいか」


「なんだ」


「設備を宇宙に置いたとして——誰が維持する。機械は劣化する。故障もする。ハードウェアには必ずメンテナンスが要る。人間を常駐させるのか」


織田はすぐには答えなかった。


沈黙が落ちる。


「……それが、まだ解決できていない問題だ」


ようやく返ってきた声は、さっきまでより少し低かった。


「宇宙空間での長期常駐は、人間にとって過酷だ。心理的な負担が大きい。ローテーションを組んでも、コストと人材確保の問題が残る。適した人間を選び続けること自体が、長くは持たない」


「技術の問題だけじゃない、ということか」


ウォーダが言う。


「そうだ」


織田は少し間を置いた。


「倫理の問題でもある。自分が設計した世界を守るために、別の誰かに孤独を引き受けさせることに——抵抗がある」


その言葉のあと、三人とも黙った。


俺も、ウォーダも、何も言わなかった。


正しさだけで押し切れない話だとわかったからだ。


世界を守る。そのために、別の誰かの人生を狭い宇宙施設に縛りつける。理屈は通る。だが、通ることと受け入れられることは違う。


「答えが出なければ、また話し合おう」


織田が言った。


「ただ、核融合の技術提供については——前向きに考えてほしい」


「わかりました」


俺が答える。


「もう一つ」


織田が続けた。


「データセンターの移設をいつ行うか。それはまだ決めていない。お前たちの準備が整ってから、一緒に決める。急がせるつもりはない」


続けて、織田が言った。


「検討のあいだは、そちらの時間速度も今のまま落としておく。通信のたびに合わせ直す必要はない。地球側の都合で、お前たちが判断を急ぐ必要もない」


「……わかった」


そこで通話は切れた。


タブレットの画面が暗くなる。


ーーー


しばらく、俺たちは黙っていた。


中庭の光が差し込んでいる。外からは市場のざわめきが聞こえる。学院の鐘も鳴った。世界はいつも通りに動いている。だが俺たちだけが、今までと違う話を聞いた。


「技術提供には同意するか」


ウォーダが聞いた。


「当然だろう。電源オフの問題が解決に向かう」


「そうだな」


「問題はメンテナンスだ」


「そうだ」


俺はウォーダを見た。


「お前、さっき何か考えていただろう」


ウォーダは少し間を置いた。


「考えていた」


「言えないか」


「まだ整理できていない」


「俺も、考えていることがある」


ウォーダがこちらを見る。


「明日、話そう」


「ああ」


ウォーダは立ち上がり、窓際まで歩いた。


外では、街の人々が今日も動いていた。荷車が通る。市場の声が上がる。学院の鐘がまた鳴る。


(この世界が、宇宙に移る)


その言葉だけが、頭の中で何度も反響していた。


宇宙へ行くのは、データセンターだ。住人は気づかない。世界の体験は何も変わらない。朝は来る。人は働く。誰かが誰かを好きになる。子どもが生まれ、老いて、死ぬ。その手触りは変わらない。


変わるのは——置かれている場所だけだ。


どこかの宇宙空間に、この世界が浮かぶ。地球から切り離され、誰にも依存しない場所に置かれる。


(それは、いいことだ)


たぶん、いいことだ。理屈ではそう思う。


それでも、俺はまだ完全には頷けなかった。


引っかかっているものがある。メンテナンスの問題だけじゃない。もっと別の、言葉になりきらない何かだ。


その夜、俺は長いこと眠れなかった。


何が引っかかっているのか、自分でもうまく言葉にできなかった。

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