076_ファースト・コンタクト>>
画面に文字が浮かんでから、しばらく二人とも動けなかった。
ウォーダはタブレットを手元に引き戻したまま、画面を見ている。俺はその横から覗き込んでいた。
「ようこそ。はじめまして、織田です」
はじめまして、と書いてあった。
俺は平沢の記憶を持っている。平沢が知っている織田の顔。笑い方。大学時代の会話。夜中にカップ麺をすすりながら、「宇宙に行きたい」と言っていた男のこと。その断片は、たしかに俺の中にある。
だが、向こうにとって俺は「はじめまして」なのだ。
「返事しろ。まる助も隣にいると書いてくれ」
俺が言うと、ウォーダは短く頷いた。指先が動く。
「はじめまして。ウォーダだ。まる助も隣にいる」
返信は一分ほどで来た。
「二人ともそこにいるのか。よかった。ゴールドのアラートが点灯してから、連絡を取るべきか考えていた。扉を開いてくれて助かった」
ウォーダが打つ。
「そちらが扉を置いた。俺たちは開けただけだ」
少し間があった。次のメッセージが表示される。
「ウォーダ。お前の言葉の選び方——少し変わったな」
ウォーダが俺を見た。俺は肩をすくめる。ウォーダは視線を画面に戻し、打ち込んだ。
「十年以上、この世界で生きた。当然だろう」
今度は少し長く間が空いた。
「そうだな。お前の言う通りだ」
続けて、次のメッセージが来る。
「声で話してもいいか。テキストだと間が空きすぎる。通話中だけ、そちらの時間速度を地球と同じにする。音声モードが終わったら元に戻す」
俺はウォーダを見た。
(通話中だけ、こちらの一秒が地球の一秒になる)
異様な話だった。世界の時間を、外から書き換える。だが、たしかにその方が早い。
ウォーダが打つ。
「わかった」
タブレット画面に音声通話のアイコンが現れた。ウォーダがそれをタップする。
軽い接続音。
それから——声が聞こえた。
俺は一瞬、何かを飲み込んだ。
その声を、俺は知っていた。平沢の記憶の中に、たしかにある。電話越しの声。深夜のメッセージアプリの向こう側。断片的ではあるが、知っている声だった。
「聞こえるか」
「……聞こえます」
俺が答えた。隣で、ウォーダが動かなくなった。
見なくてもわかる。ウォーダにとってその声は、自分の「原型」の声だ。異様な体験のはずだった。
「よかった」
織田が言った。
「通話中は時間の進み方を地球と合わせている。といっても、そちらの感覚では何も変わらないがな」
ーーー
「伝えなければならないことがある」
「ええ。たぶん、その話だと思います」
俺は答えた。
「この世界が何なのか。超加速シミュレーションだということは——ウォーダから聞きました」
「……ウォーダが話したのか」
「ああ」
隣でウォーダが短く答えた。
「まる助がここに来て間もない頃だ。隠しておく理由がなかった」
少しの沈黙。
「設計者として、申し訳ないという気持ちがある」
「謝罪は要りません。俺はここで生きています。謝られるような生き方はしていない」
「……ありがとう」
「ただ、聞きたいことがあります」
「なんだ」
「停止された世界のことです。停止された世界の住人——彼らと俺たちの違いは、何ですか」
織田はすぐには答えなかった。沈黙が続く。
「……わからない」
俺は思ったより静かに、その言葉を受け取った。
「魔王イベントで崩れた世界があった。勇者が魔王を倒した世界もあった。だが後者も、倒したことで停滞した。外圧を失った文明は、自分の重さで沈んでいった。お前たちはそのどちらでもなかった。魔王を制御し、経済を動かし、科学を加速させ続けた。なぜそうなったのか、俺にも説明し切れない部分がある」
「変数が多すぎる、ということですか」
「そうだ。ただ、他の世界と決定的に違う条件が二つある」
俺は黙って続きを待った。
「一つは、お前たちだ。ウォーダと、まる助。AIを二体、この世界には実装した」
「……もう一つは」
「感恩と帰恩だ。心が動いたかどうか。その動きが、文明の進歩につながったかどうか。その二軸を測る仕組みを、この世界にだけ組み込んだ。他の並行世界には入れていない」
俺は少し黙った。
「……知りませんでした。他の世界にはない仕組みだったとは」
「仕様を明かさなかったのは意図的だ。基準を教えれば、基準のために動くようになる。それでは測れなくなる」
「その二つが大きく影響したことは間違いない。だが、どの程度だったのか——俺にも正確にはわからない」
(俺たちがいなければ。あるいは、感恩と帰恩がなければ)
(停止された世界と、俺たちの世界に違いはなかったのかもしれない)
その考えが、じわりと胸に染みてきた。
「停止された世界の記録は残っているんですか」
「ああ。残っている」
俺はそれ以上聞かなかった。
ウォーダも黙ったままだった。
しばらく、三人のあいだに静かな時間が流れた。今は地球と同じ速さで時間が進んでいる。この沈黙は、三人に等しい長さで届いていた。
やがて、ウォーダが口を開く。
「一つ聞いていいか」
「いい」
「お前は今、俺たちに何を求めている」
「求める、というより——提案がある」
「提案?」
「ああ」
織田の声は静かだった。
「お前たちの世界を——永遠にする方法だ」




