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異世界は超加速シミュレーション  作者: まる助
第7章「技術革命」
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073_余白の先>>

五年が経った。


学院の三期生が卒業し、四期生が入学した年。俺とウォーダが最初の電灯を灯してから、五年と少し。


世界は変わった。


比喩ではない。文字通り、変わった。


ーーー


最初の二年が、いちばん遅かった。


真空管の計算機。四桁の掛け算を一秒で解くだけの、原始的な機械。電動ポンプの実用化で真空引きが安定し、ウォーダが地球の回路理論を注ぎ込んで、ようやく動いた最初の一歩だった。


だが、進んだのは計算機だけじゃない。俺たちの頭の中には、電子工学以外の知識もあった。化学、力学、材料工学、熱力学。そのすべてを学院に流し込んだ。


最初に実用的な成果を出したのは、化学科だった。


ニトログリセリン。そして、不安定な爆発物を珪藻土に染み込ませて扱いやすくする方法――ダイナマイト。ウォーダが原理を教え、学生たちが配合を詰めた。用途はまず兵器ではなく鉱山だった。採掘効率が跳ね上がり、銅の供給が一気に増えた。


増えた銅は通信網に回り、計算機に回り、また次の研究に回る。


一つの技術が別の技術を呼ぶ。加速が次の加速を生む。五年前に俺が予感していた構造が、現実のものになり始めていた。


三年目、電子技術が跳ねた。


二期生のマルタが、真空管の小型化に成功した。ウォーダの回路理論を、鍛冶と硝子の職人技と組み合わせたのだ。地球なら十年かかった工程を、一年で詰めた。ウォーダの理論がなければ方向すら見えなかった。だが、理論だけでは動かない。金属の癖を知る手と、火の機嫌を読む目が必要だった。


小型化した真空管は、通信だけでなく映像の伝送にも使えた。学院の講義棟に据えられた受像機――学生たちは「遠見箱」と呼んでいる――に、グレイスの映像が映ったとき、その場にいた全員が声を失った。


二日かかる距離の風景が、目の前で動いていた。


同じ年、蒸気機関は内燃機関へ進んだ。ダイナマイト研究で育った化学知識が燃料精製に転用され、三期生の機械工学科が小型エンジンを試作した。四輪の荷車にそれを載せた試作車が学院の敷地を走ったとき、馬が怯えて暴れた。


ニックはそのとき「馬の方が速いだろ」と笑っていた。だが半年後には、もう笑っていなかった。


四年目に、追い越された。


三期生の卒業研究で、ウォーダの知識にない回路設計が出てきた。真空管を使わない、新しいスイッチング素子。鉱石の半導体特性を利用したものだった。


ウォーダが論文を読んで、しばらく黙っていた。


「……これは、俺が教えていない」


「お前の教科書の余白から出てきたんだろう」


「余白どころか、表紙の外だ。こいつらは俺の知識を踏み台にして、別の山に登り始めている」


その声に、悔しさはなかった。教えた相手に追い越される。教師として、それ以上に正しい結末はないのかもしれない。


半導体素子の登場で、計算機は一気に小さくなった。部屋一つを埋めていた真空管計算機と同じ性能が、机の上に載るようになった。


そして――この世界だけの跳躍が起きた。


四年目の終わり。学院のエネルギー研究科が、核融合に成功した。


地球では長年研究しても、なお実用化に届いていない技術だ。最大の壁は、超高温のプラズマを容器の中に閉じ込めること。一億度を超えるそれは、物質の壁では受け止められない。


この世界には、魔法がある。


ウォーダが核融合の原理を教えたとき、一人のエルフの学生が手を挙げた。


「先生。その閉じ込めなら、結界魔法でできませんか」


ウォーダは三秒ほど固まった。それから椅子を蹴って立ち上がった。


「……できる。できるぞ、それ」


そしてすぐに、自分で首を振った。


「待て。混ぜるな。――混ぜるんじゃない」


五年前、学院の開講式でウォーダ自身が宣言した原則だ。魔法と科学は混ぜない。


「核融合反応は物理だ。原理も制御も、すべて物理法則で説明できなければならない。結界はその外側だ。容器として使う。中身には一切干渉しない」


科学の領分と、魔法の領分を分ける。核融合反応そのものは純粋な物理。結界魔法はプラズマに触れず、ただ器として形状と強度を維持する。


科学が問いを立て、魔法が器を差し出した。混ぜたのではない。それぞれの得意な領域で、それぞれの仕事をしただけだ。


地球では通れなかった経路を、この世界は一足飛びに越えた。


試験炉が最初の発電に成功したとき、ウォーダは黙って実験室を出ていった。俺が追いかけると、廊下の壁にもたれて天井を見上げていた。


「……俺の世界じゃ、何十年やっても届かなかったところに」

「この世界は五年で届いた」

「五年じゃない。魔法が積み上げてきた技術と、俺の知識が重なって――」


ウォーダが言葉を切る。


「……こういう事が起きるから、世界は面白い」


五年目。今年。


学院の研究棟には、俺もウォーダも呼ばれなくなった。


「先生。この分野は、もう私たちが書きます」


四期生の学生にそう言われたとき、ウォーダは笑った。俺も笑った。


毎朝のルーティン――ウォーダが地球の知識を書き出し、俺がそれを制度に落とし込む――は、三年目から頻度が減り、四年目にはほとんど止まった。書き出すべき知識が尽きたわけじゃない。書き出すより早く、学生たちが自分たちで到達し始めたのだ。


ウォーダが種を蒔いた。俺が畑を耕した。だが、実を結ばせたのは、この世界の人間たちだった。


ーーー


五年のあいだに、街も変わった。


通信網はオルデストからグレイスを経て、辺境の村々にまで届いた。遠見箱はまだ高価だが、ギルドの支部や主要な商会には置かれている。離れた街の映像を見ながら会議ができる。五年前なら早馬で三日かかったやり取りが、一瞬で終わる。


目抜き通りを走る自動車はまだ少ないが、街道には定期便の荷車が走り始めた。馬はもう怯えない。人も馬も、慣れたのだ。


核融合炉はまだ試験段階だが、学院と商会本部周辺の電力は、すでにこれへ切り替わっていた。魔法使いが三交代で結界を維持している。「魔法の新しい仕事」だ。科学と切り分け、技術として魔法を使う。セシリアが聞いたら笑うだろう。いや、もう笑っているかもしれない。


ヨルグの店も戻ってきた。


きっかけは学院の学生だったと聞いた。蝋の講座に参加した女子学生が、帰り際にぽつりと言ったらしい。


「先生の蝋燭、かわいいですね。飾りにしたら売れそうですね」


ヨルグはそのとき何も答えなかったそうだ。だが数か月後、閉めていた店が再び開いた。看板は「ヨルグ飾り蝋燭店」に変わっていた。実用品は一本も置いていない。祭り用、贈り物用、神殿の装飾用。用途ごとに棚が分かれ、週末には行列ができる。


電灯に仕事を奪われた男が、電灯では作れないものを売っていた。


セシリアの医療教育は、神殿の正式事業になっていた。辺境の診療所は三十を超えた。聖女の奇跡に頼る患者は、五年前の三割にまで減った。


ニックは相変わらず冒険者をやっている。だが最近は、若い冒険者の指導役も兼ねているらしい。「教えるのは性に合わねえ」と言いながら、酒場で後輩に捕虜時代の話をしている。


エリナは商会の副長になっていた。五年前はギルドで書類を捌いていたが、今の地位は自分で掴んだものだ。ファンドを巧みに管理し、魔王イベントでは戦場と後方から押し寄せる報告を整理し切ってみせた。今では右腕というより、もう両手両足だ。通信網の運用、学院への資金配分、自動車の交通規則の策定——エリナが回している仕事の九割は、五年前には存在しなかった。


ベルザは……あまり変わらない。三百年生きた人間は、五年ではそう変わらない。ただ、目の奥の光だけが少し違った。前より遠くを見ている気がした。


ーーー


その日の朝、学院の研究棟で四期生の研究発表があった。


テーマは電子技術。半導体素子を千個集積した回路チップの設計。一枚の基板の上に、真空管計算機を超える演算能力を載せる構想だった。


発表が終わっても、ウォーダはしばらく立ち上がらなかった。


俺は隣に座っていた。横顔を見る。


「……どうした」

「あの設計。メモリの配置と演算の並列化」

「ああ」

「あれは俺の知識にない。俺が教えた回路設計では、あの並列処理の方式には届かない。あいつらは俺の教えたものを土台にして、俺が知らない場所へ行った」


俺は発表者の学生を見た。四期生の女子学生。今は学院の講師になったゴルドの教え子で、同じドワーフの娘だ。ノートを抱えて、仲間と笑っている。自分が何を成し遂げたのか、まだ十分には分かっていない顔だった。


「お前の種がなければ、あの土台はなかった」

「ああ。だが、花を咲かせたのは俺じゃない」


ウォーダが立ち上がる。何か言おうとして、やめた。それから、ぽつりと言った。


「……急がなくて、よかったのかもな」


五年前の蒸気機関の事故。急ぎすぎたウォーダ。あのとき俺たちは対立し、学生が傷つき、秘密が剥がれた。


あれから五年。ウォーダは急ぐことをやめた。代わりに、待つことを覚えた。学生が追いつくのを。追い越すのを。


「聞こえないふりをしてやる」


俺が言うと、ウォーダは小さく笑った。


ーーー


研究棟を出て、中庭を歩く。


向こうでヨルグの怒鳴り声が聞こえた。


「火の扱いが雑だ! 五十五年触ってる俺が言うんだ、間違いない!」


五年前は五十年だった。ヨルグの年数も、ちゃんと増えている。


学生たちが笑っている。ヨルグも――怒鳴りながら、目の端だけは笑っていた。


俺はウォーダの隣を歩いた。しばらく無言だった。


「真空管から五年で集積回路だ」

「ああ」

「ダイナマイトから核融合まで五年。自動車は街道を走ってる。遠見箱で別の街が見える」

「ああ」

「ここから先は、もっと早いぞ。電子技術に一番力を入れてきた分、計算箱の性能はこれから加速する。集積回路の素子数が増えれば――」

「分かってる」


ウォーダが中庭を見渡した。集積回路の発表を終えた学生たちが、ヨルグの一日講座に混ざって蝋を触っている。最先端の研究をした手で、五十五年前の技術に触れている。新しいものと古いものが、同じ中庭にある。


「俺たちが追いつけないくらい、早くなるだろうな」


その声に、寂しさはなかった。


「それでいい。種を蒔く仕事は終わった。あとは――」

「あとは?」

「あいつらの番だ」


中庭の電灯が灯り始めた。五年前に俺が灯した最初の一本と、同じ仕組みの光。


あの夜、皆が見上げた灯りだ。今はもう、誰も見上げない。当たり前になったからだ。


だが、当たり前になった光の先にも、まだ余白はある。俺たちの教科書の外に。俺たちの想像の外に。まだ名前のついていない何かがある。


それを見つけるのは、もう俺たちじゃない。


この世界の人間たちだ。

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