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異世界は超加速シミュレーション  作者: まる助
第7章「技術革命」
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071_剥がれた秘密>>

ヨルグたちと会ってから四日後の朝、ベルザに呼ばれた。


ギルド長室の机の上に、一通の書状が広げられていた。羊皮紙に黒墨でびっしりと並ぶ文面。末尾には署名が連なっている。ざっと見ただけで百は超えていた。


「ろうそく職人組合とランプ職人組合の連名だ」


ベルザが書状を指先で叩いた。


「『電気が我々の生業を奪っている。技術学院は魔法を軽んじ、伝統を踏みにじっている』。署名は二百十三名」


俺は文面を読み下した。言葉遣いは丁寧だった。だが、その丁寧さがかえって重い。怒鳴り込んでくるなら、まだ対処しやすい。正式な書面を整えてきたということは、それだけ本気だということだ。


「ベルザさん。四日前、ヨルグさんたちとは直接会いました」

「知っている。窓口の報告も上がっている」


ベルザの琥珀色の瞳が、まっすぐこちらを射抜いた。


「まる助。この声を無視すれば、次は抗議書では済まない。二百人が動けば、電灯の柱など一晩で薪になる」

「……はい」

「便利なものは人を救う。だが、仕事を奪われる側には、救いではなく宣告に見えることもある」


ベルザはそこで一度言葉を切った。


「お前が進めているのは改革だ。なら、速さだけで押し切るな」


その一言が、妙に重く胸に残った。


ーーー


午前中、ギルドの会議室で抗議者の代表と向き合った。


ヨルグが中央に座っていた。四日前の路地裏とは空気が違う。背筋は伸び、顔つきも硬い。隣にはランプ職人の男、向かいには油問屋の女主人。さらに十人ほどが壁際に立っていた。


俺の隣にはベルザ。後ろにはエリナが記録係として控えている。


「商会長」


ヨルグが口を開いた。路地裏で聞いた声ではない。組合の代表としての声だった。


「あんたが灯したあの光で、俺の五十年が消えた。あんただけじゃない。この部屋にいる全員が同じだ」

「……はい」

「あんたは前に言ったな。『新しい仕事が生まれる』と。聞きたい。五十年かけて覚えた蝋の練り方を捨てて、一から何を覚えろと言うんだ」


答えが出なかった。


四日間、考えた。移行支援金。職業訓練。再雇用枠。制度の数字なら、いくらでも並べられる。だが、ヨルグの五十年を制度で埋められないことくらい、最初から分かっていた。


「……ヨルグさん。答えは、まだ出ていません。ですが、出すまでは電灯の新規設置を一時停止します」


部屋が静まった。


ベルザがわずかに目を細めた。承認でも否定でもない。ただ見ている、という目だった。


だが、ヨルグは首を振った。


「その必要はない」


意外だった。隣のランプ職人も、壁際の職人たちもヨルグを見る。


「電灯は止めるな。便利なものを止めたら、今度は街の連中が困る。俺たちはそんなことを言いに来たんじゃない」


ヨルグの声は低かったが、震えてはいなかった。


「ただ――俺たちが消えることを、知っていてくれ」


俺は何も返せなかった。


止めてくれと言われた方が、まだ楽だった。


ーーー


会議を終えたあと、昼過ぎに学院へ向かった。通信塔の設計確認と、蒸気機関の進捗確認のためだ。


今日は神殿側との教材調整も入っていて、セシリアさんも講義棟に来ていると聞いていた。記録のため、エリナも同行していた。


社会の摩擦に、まだ答えを出せていない。なのに技術だけは止まらず先へ進んでいく。その事実が胸に刺さっていた。


実験棟に入った瞬間、空気が違った。


蒸気の匂い。熱せられた金属の匂い。奥はウォーダが蒸気機関の試験に使っている区画だ。


その直後、甲高い音が響いた。


金属が軋む音。続いて、何かが弾けるような破裂音。そして――蒸気が裂ける音。


走った。


奥の扉を開けた瞬間、白い蒸気が噴き出した。視界が消える。高温の蒸気が肌を打ち、腕がひりついた。だが立ち止まるわけにはいかない。


悲鳴。


「圧力弁が――!」


トビアスの声が、蒸気の向こうから聞こえた。安全弁が飛んだのだ。ウォーダが何度も設計をやり直していた、あの弁が。


蒸気が少し薄れる。試作機の胴体から白煙が噴き出していた。吹き飛んだ弁の痕と、高圧蒸気が横薙ぎに走った跡が見える。


三人の学生が床に倒れていた。腕と顔に赤い火傷。うめき声が混じる。


「どけ!」


ウォーダの声が飛ぶ。蒸気の向こうから駆け込んできた。白衣の袖が焦げている。


「バルブを閉じろ! トビアス、補助弁だ!」


ウォーダとトビアスが残圧を抜く作業に入る。俺は倒れた学生に駆け寄った。火傷は広い。だが深くはない。蒸気の直撃ではなく、噴出の余波だ。


そのとき、廊下の向こうから白いローブが駆け込んできた。


セシリアだった。今日は講義棟で医療教育の打ち合わせが入っていたはずだ。悲鳴を聞いて、こちらまで走ってきたのだろう。髪が乱れ、肩で息をしていた。


彼女は膝をつき、火傷した学生に手をかざした。


淡い光。治癒の奇跡。


「セシリアさん――」


反射で声が出た。


奇跡を使うな。俺がこの人に課したルールだ。


セシリアが振り返る。目はまっすぐだった。怒りではない。もっと静かで、もっと深いものだった。


「ただの応急処置です」


その言葉で、あの戦場が脳裏によみがえった。


渓谷の救護テント。腹を裂かれた若い兵士。セシリアはその手を両手で包んでいた。奇跡を使えば助かったかもしれない。だが使わなかった。俺の方針を信じて、兵士の手から力が抜けていくのを見届けた。


あの日、この人が飲み込んだものの重さを、俺は知っている。


そして今、俺が進めた技術が、俺が止めなかった蒸気機関が、学生を焼いた。


(……俺の技術が傷つけた人間を、セシリアさんが奇跡で治す。それを止める資格が、俺にあるのか)


口を閉じた。


セシリアの手が二人目の学生へ移る。光が傷口を閉じていく。迷いのない手だった。あの戦場で兵士を見送った手と、同じ手だ。


そのとき――金属が軋んだ。


蒸気の衝撃で歪んだ棚だった。実験器具と金属部品を積んだ重い棚が、ゆっくり傾く。


その真下に、エリナがいた。


記録帳を抱えたまま、足を滑らせてしゃがみ込んでいる。蒸気と混乱で、上の異変に気づいていない。


体が動いた。


考えるより先に。計算するより先に。


右手が棚の縁を掴む。金属の棚。載っている器具まで含めれば、優に百キロを超える。


片手で、止めた。


静止。


その瞬間だけ、実験棟の音がすべて消えたように感じた。


エリナが見上げていた。俺の顔を。片手で棚を支える腕を。


振り返ると、全員がこちらを見ていた。残圧を抜いていたウォーダも。治癒の手を止めたセシリアも。火傷した学生たちも。トビアスも。廊下から駆けつけた学生たちも。


誰も、動かなかった。


――もう隠せない。


その事実だけが、蒸気より熱く胸の奥に落ちた。


棚をゆっくり戻す。支柱にもたせかける。金属が床に触れる音だけが、妙に大きく響いた。


長い沈黙。


それを破ったのは、入口に立つニックの声だった。騒ぎを聞いて駆けつけたのだろう。息が少し上がっている。


「……やっぱりな」


静かな声だった。怒りではない。


「荷物を持ち上げるときの足の運び。ずっと引っかかってたんだよ。鍛えた動きでも、生まれつきでもない。――そういうことだったのか」


ーーー


噂は蒸気より速く広がった。


一時間後には学院中に。二時間後にはギルドの窓口に。夕方には街の酒場にまで届いただろう。


「あの商会長、金属棚を片手で――」

「仮面の戦士。あの大規模演習のときの二人組の――」


ダニスの部下だった男が、実験棟の入口で俺を睨んでいた。


「あの戦場で俺たちが死にかけてるとき、あんたは最初から――そうだったのか」


言い返す言葉はなかった。


「あいつの強化は俺がやった。俺の責任だ」


ウォーダが横から出てきた。白衣の袖はまだ焦げている。


それ以上は言わない。経緯も理由も伏せて、ただ自分の責任だと被せた。――こいつなりの庇い方だ。


「ウォーダ、黙れ」


俺はウォーダの前に立った。


「これは俺の話だ」


ウォーダと目が合う。四日前まで蒸気機関の件で対立していた相手だ。今だって、安全弁の設計不備を許したわけじゃない。


だがこの瞬間だけ、こいつは俺を庇おうとしている。そして俺は、それを止めようとしている。


(……滑稽だな)


喧嘩相手と庇い合うとは。


俺は周囲を見回した。学生たち。セシリア。ニック。トビアス。廊下の向こうに集まり始めた人々。そしてエリナ。


「話します」


声が出た。平沢の声だ。俺の声だ。


「俺の体には、特殊な強化がかかっています。魔法とは違う。皆さんには馴染みのない仕組みですが、根本的な身体能力を底上げしています」


言葉を選びながら続ける。


「力と敏捷性は、通常の人間の十倍前後です。さっき棚を片手で止められたのは、そのためです」


空気が固まった。


十倍。目の前で見た光景と数字が繋がり、沈黙がさらに重くなる。


「なぜ隠していたか。――怖かったからです」


喉が詰まりかけた。だが、止めなかった。


「俺はセシリアさんに、奇跡を使うなと言った。反則は医学を壊すからだと。聖女の力を封じさせた。――その俺自身が、この世界で最大級の反則を抱えていた」


セシリアを見る。セシリアは静かに俺を見返していた。怒りはない。


「そして――今日の事故は、俺の責任です」


ウォーダが口を開きかける。俺は手で制した。


「ウォーダが蒸気機関を進めていたことは知っていた。安全設計が甘いことも。だが、止めなかった。どこかで、速さが必要だと思っていた」


一息置く。


「蒸気機関を止めなかったのは、俺の判断です。学生が火傷を負ったのは、俺の責任だ。応急処置が間に合わなければ、もっと深刻なことになっていた」


沈黙が落ちた。


最初に口を開いたのは、セシリアだった。


「私は、もう知っていました」


穏やかな声だった。


「特殊な強化のことも。……あなたが、そのことで苦しんでいたことも」


ニックが鼻を鳴らした。


「怒ってるんじゃねえよ。――なんで一人で抱えてたんだ、馬鹿が」


声は荒い。だが目は違った。


そのとき、入口の外から低い声が響いた。


「私はこの男に商会を任せた」


ベルザだった。連絡を受けて来たのだろう。琥珀色の瞳が部屋の全員を一度見渡し、最後に俺で止まる。


「強化のことは、知っていた」


ざわめきが起きる。ベルザが片手を上げると、すぐに静まった。


「知った上で任せた。理由は一つだ」


ベルザが一歩踏み出した。


「この男は、力を持っていて、なお他人を幸せにしようとした」


それ以上は言わなかった。擁護でも弁護でもない。ただ事実だけを置いた。それが、ベルザらしかった。


ーーー


人が散り始めた。


火傷した学生たちはセシリアの治癒で痛みが引き、医務室へ運ばれた。ウォーダは実験棟に残って蒸気機関の停止処置をしている。ニックは学生たちの誘導を買って出た。


俺は実験棟の外へ出た。夕暮れの風が頬に当たる。


ふと、回廊の向こうに人影が見えた。


ヨルグだった。


午前中の会議のあと、帰ったはずの男だ。だが学院の敷地に残っていたのか。それとも騒ぎを聞いて戻ってきたのか。


遠い。声は届かない。だが、目が合った。


ヨルグの顔に、朝の会議室にあった硬さはなかった。怒りが消えたわけではない。けれど、あの顔には朝とは別の迷いがあった。


技術は人の仕事を奪う。だが、その技術を振るう側もまた、綺麗な手ではいられない。


そんなことを、あの男も見たのかもしれない。


ヨルグは何も言わず、背を向けて去っていった。


敵意は消えていない。だが、単純な敵でもなくなった。そんな気がした。


ーーー


日が落ちた。


学院の門の前のベンチに座っていた。立ち上がる気力がなかった。秘密を抱えていた時間の疲労が、まとめて落ちてきたようだった。


足音が近づく。


「まる助さん」


エリナだった。記録帳を抱えている。あの棚の下にいた、エリナだ。


「……怪我はなかったですか」

「はい。おかげさまで」


エリナが隣に座る。しばらく、二人とも黙っていた。


「まる助さんは、この世界をどこまで変えるつもりなんですか」

「……俺たちが生き残れるところまで」


即答はできなかった。言葉を探して、出てきたのがそれだった。


エリナが俺を見る。


「……なら、私も最後までついていきます」

「エリナさん――」

「棚を止めてくれた恩もありますし」


少しだけ笑った。エリナの目に、電灯の光が映っている。


恩。仕事。信頼。


それだけで説明できる言葉のはずだった。だが、エリナの声には、そのどれとも少し違う温度があった。


俺は立ち上がった。


「帰りましょう。明日から、やり直しです」


秘密の一つが剥がれた。だが、全部じゃない。寿命のこと。そして――俺がAIだということ。まだ隠している。まだ、嘘をついている。


それでも、一枚剥がれたぶんだけ、少し息がしやすくなった。


学院の門を出る。通りの電灯が灯っている。回廊の向こうに、もうヨルグの姿はなかった。


だが翌朝、エリナの机にヨルグからの伝言が一通だけ届いていた。


「蝋のことなら、教えられる」


短い一文だった。


けれどそこには、抗議だけでは終わらせないという意志があった。


失われる側の技術を、ただ消えるままにはしない。


そんな返事に見えた。

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